2024年、スローニュースはこんなスクープを出してきました!原発事故と原爆編【年末特集⑤】
2024年の調査報道の振り返り。5回目は原発事故をめぐる知られざる事実と、いまも爪痕が残る原爆についての記事をご紹介します。
隠蔽された「最悪事故の真相」をスクープ!東電が福島原発事故直後に米軍の「注水支援」を断っていた
東日本大震災の津波によって、東京電力・福島第一原子力発電所は稼働中だった1~3号機がすべての交流電源を失って原子炉の冷却ができなくなりました。発災翌日に1号機が爆発。その後、2号機、3号機もメルトダウンするなど世界史上最大の原発事故になりました。
フロントラインプレスの取材で、事故調査報告書にも書かれていない新事実が明らかになりました。1号機の爆発直後、米軍が支援を申し出ていたのに、それを日本側が断っていたというのです。(記事はこちらから)
地位、年齢が高いほどリスクを認めない!「津波対策」を却下した東電上層部の「歪んだリスク認知」を検証する
福島第一原発の事故は、土木調査部門から提案された津波対策を社内上層部が却下したことで、2011年3月11日、無防備な原発を津波にさらけ出すことになりました。なぜこんなことになったのでしょうか。
事故の2~3年前、東京電力の社内で「福島県沖の日本海溝沿いでマグニチュード8級の津波地震が発生するリスク」について、現場に近ければ近いほどより高いリスクを認識し、幹部になればなるほど認識するリスクがより低いことが、法廷などでの陳述を詳しく分析したことで判明しました。
津波地震発生の可能性を指摘した政府の地震本部の長期評価について、津波の「専門家」である土木調査部門の社員は9割の信頼を置いていたのに、津波に対して「素人」である幹部たちは「荒唐無稽」との見方でした。
社長や会長は長期評価の存在そのものを知らず、福島県に津波は来ないと思い込んでいました。事故の背景には、こうしたいわば「負の相関関係」があったのです。(記事はこちらから)
「母が死んでほっとしました」原爆を生き抜いた「ヤングケアラー」がいた…いまだ「被爆者」に認定されず
広島、長崎への原爆投下から、今年で79年。体験者たちにとって「あの日」は過去のことではありません。4歳で原爆を体験した松尾栄千子(えちこ)さんは、病に倒れた両親を介護し、家事を一身に担うようになりました。炊事に洗濯、畑の仕事まで。「あかぎれだらけになった私の手を見て、母は泣いていました」。83歳になった今でも、思い出しては涙をこぼします。
自身も闘病しながら、高校進学もあきらめて家族を支えた日々。彼女は、原爆が生んだ「ヤングケアラー」でした。その苦しみは、今に至るまで取り残されています。(記事はこちらから)
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2024年、スローニュースはこんなスクープを出してきました!
【年末特集①】政治とカネ&選挙のデータ編:https://slownews.com/n/nddf7e153d491
【年末特集②】内部告発と捜査当局の問題編:https://slownews.com/n/n671175883582
【年末特集③】PFAS汚染と健康問題編https://slownews.com/n/na123884e4b39
【年末特集④】メディアの問題と企業の働き方編:https://slownews.com/n/n76533f977a26