見出し画像

「内部告発者が受けた仕打ちを見て、私は自分の考えを変えた。違法な報復行為を刑事罰で抑止せざるを得ないと」…異論を排除する世の中に、奥山教授が強く警鐘を鳴らす

日本弁護士連合会は12月13日に「いま公益通報制度に問われていること ~近時の事例を基にして~」というシンポジウムを開きました。
基調講演にあたったのは、上智大学教授でジャーナリストの奥山俊宏さん。長年にわたって内部告発をした当事者や周辺関係者の取材をしてきた、この分野の第一人者です。

今回、奥山さんから基調講演のために用意した原稿をいただきました。昨今の状況に対しての重要な提言が数多く含まれていますので、こちらで掲載することにいたしました。


はじめに

私は奥山俊宏と申します。私は長年、新聞記者として、多くの内部告発者とお会いし、その声を声として新聞記事にする仕事に取り組んできました。2年半前からは大学の新聞学科で、内部告発を報道に生かす、社会に生かす、そんなようなことを研究や教育のテーマの一つにしております。ことし春学期には、新聞論という授業で、兵庫県の内部告発、鹿児島県警の内部告発を事態の進展にあわせて何度か取り上げ、ジャーナリズムの関わりを含め、学生と議論を重ねました。

きょうは、皆さまの前で基調講演をさせていただくという得難い幸運に恵まれております。ならば、私は、ぜひ皆さんに想像してみていただきたい、そうお願いしたい事項があります。

だれも何も声を上げなかったら……ということです。

だれも何も言わなかったら…

想像してみてください。

幼い我が子を預けた保育園でひそかに保育士の一人によって子どもたちへの虐待が繰り返し行われていたとしたら……。なのに、その同僚の保育士たちはだれも声を上げることができずに、見て見ぬふりをしているとしたら……、外部の人が知り得ないまま虐待が続けられているとしたら……。

想像してみてください。

老人福祉施設で入所者への虐待が行われ、精神病院で入院患者への虐待が行われているのに、それらで働く人たちがそれをよくないことだと悩みながらも、それを見て見ぬふりしているのだとしたら……。

想像してみてください。

市役所や県庁で、自衛隊で、職場でハラスメントが横行しているのに、だれもそれを止められず、声を上げることができないのだとしたら……。

想像してみてください。

ある県の知事が、職員に対する理不尽な叱責や過度の要求で、多くの職員のやる気を失わせ、県庁の仕事の効率を下げているのに、だれもそれをとがめようとしなかったのだとしたら……。

想像してみてください。

ある県のある部長が、その県の知事が視察のために訪問し、PRに一役買ったある事業者に対し、その事業者の商品を知事のためにタダで送ってほしいとお願いし、実際に送らせて、そのことが県庁内で噂になっているのに、だれもそれをとがめようとしなかったのだとしたら……。

想像してみてください。

ある県の知事から内示されてその県の信用保証協会理事長の地位を得た県職員OBが、副知事の指示で、県内18の商工会議所に一つひとつすべて足を運んで、知事の政治資金パーティーのパーティー券を販売するためのチラシを配布する相手となる中小企業の名簿――それら中小企業のなかには、信用保証協会の保証によって金融機関の融資を受けることのできた事業者が含まれていた可能性があったということなのですが――そうした中小企業の名簿を知事の政治団体のために集めているというのに、それが当たり前になってしまっているのだとしたら……。

想像してみてください。

ある県の警察で、一般女性の個人情報を巡回連絡簿で調べたり、その女性をストーキングしたり、そうした、いわば「女性の敵」である男性警察官が何人もいるのに、その多くについてそれを公表しないで済ませるのが当たり前になっているのだとしたら……。

想像してみてください。

ある県の警察で、警察内部にいるそうした「女性の敵」の一人――トイレの個室にいる女性をスマホのカメラで盗撮しようとした容疑者――に対する捜査について、警察本部ではなく、その容疑者が勤務する小さな警察署に捜査を委ねる、つまり、容疑者の顔見知りである同僚警察官やその上司らに捜査を任せる、そんな不自然な指示が警察本部長から下りてきて、その警察署で一時は「捜査中止の指示」と受け止められる出来事があったというのに、だれもそれをとがめず、その容疑者をそのまま警察官として勤務させ続けているのだとしたら……。

想像してみてください。

原子力発電所の原子炉の部品にひび割れが入っているのを発見したのに、それがなかったかのようにウソを規制行政機関に報告する電力会社があったとしたら……。

想像してみてください。

電力会社の土木技術者たちが、原子力発電所の敷地の高さを越える津波のリスクを認識し、対策工事の必要性を認識し、社内で対策工事を提案したのに、それを却下されて、何らの工事もおこなわれないのだとしたら……。

想像してみてください。

トラックのタイヤと車軸を結合する重要部品に強度不足の(強さが足りない)疑いがあって、走行中にタイヤが外れるトラブルが次々と起きているのに、自動車メーカーがそのことを隠していたとしたら……。

想像してみてください。

やがて、あるとき、外れたタイヤが歩道を歩いていたお母さんを直撃して、そのお母さんをその子どもの目の前で死に至らしめた、なのに、それでも、その自動車メーカーの技術者たちが黙っているままだったのだとしたら……。

(image)

私たちみんなが被害者

職場で上げられるべき声が上げられないとき、だれもが押し黙ってしまったとき、私たちみんながその潜在的な被害者です。

保育園での虐待によって、被害を直接に受けるのは、幼い子どもたちであり、子どもを預けている親たちです。そして間接的には、その被害者は、見て見ぬふりをせざるを得ない人たちを含め、子どもたちを大切に守り育てたいと考える私たちみんなです。

走るトラックから外れたタイヤで直接に被害を受けたのは、お母さんであり、その子どもです。そして、道路を歩くすべての人たちがそのタイヤの直撃を受ける可能性があります。原発事故で被害を受けるのは、周辺住民だけではありません。全国民が有形無形の苦痛を強いられます。したがって、被害者は私たちみんなであり得たし、あり得ます。

職場のハラスメントで被害を直接に受けるのは、市役所や県庁の職員であり、自衛隊員であり、働く多くの人たちです。しかし、彼らだけではありません。良い労働環境で気持ちよく働いてもらって、効率的な市役所、県庁であってほしい、精強な自衛隊であってほしい、「女性の敵」を取り締まる規律ある警察組織を培ってほしいと願う私たちみんなが被害者です。公私混同のない公正で清潔な運営が行われているものとして県の行政、県信用保証協会を信頼したい私たちみんなが被害者です。市民、県民、国民のみんなが被害者です。

大変な苦難を強いられている

だから私たちはその声を大切にしたい。だから私たちは、外からは窺いづらい現場からその声を届けてくれる人たちを守りたいのです。

その人たちは、残念ながら、多くの場合、大変な苦難を強いられています。

おかしいことを「おかしい」と指摘するのは、残念ながら、多くの職場で、たいへんな危険を伴う行為です。人生を賭けるのも同然の危険を伴うことさえあります。

兵庫県の斎藤知事の公務における様々な問題行為を告発文書にしたたためて、特定の10の先に送った兵庫県の幹部職員、退職の予定を取り消され、再就職先が決まっていたのにそれをあきらめさせられ、県職員の地位に留め置かれて、懲戒処分を受け、ことし7月に亡くなりました。

この11月にあった兵庫県知事選挙に際して、その彼に浴びせられた罵声は常軌を逸したものでした。真偽の定かではない彼の個人的な内容が記述されたポスターが兵庫県じゅうの公営の選挙ポスター掲示場に張り出されました。それを見て、女性と不倫するような人が告発者だったのかと思わされ、その反射として、彼の告発の対象だった斎藤知事に1票を投じようという有権者が続出しました。

内部告発の内容とは関係がないのに、プライバシーに属する真偽不明のことがらをあれこれ非難され、それを理由にここまで激しい人格攻撃を受けなければならなかったのはなぜでしょうか。権力ある者に対する内部告発をしたからです。

よしんば告発者が不倫したことがあったとしても――それが本当かどうか私は知りませんが――、それが何だというのでしょうか。内部告発の内容が間違っていたことになるとでもいうのでしょうか。そうはなりません。告発者の人格が抹殺されるほどに貶められて当然だということになるのでしょうか。そうはなりません。

権力者の不正を暴く情報の伝え手について、異性との関係のあることないことを暴き立てられるのは、古今東西でよく見られる現象です。告発者を貶め、その信用を傷つけ、告発内容から目をそらさせ、論点をすり替え、さらに、他への見せしめとするのが狙いの卑劣な攻撃です。そろそろ、私たちは、不倫があろうがなかそうが、そのことと内部告発の内容は無関係であり、別問題だと知るべきです。「それがこの情報の中身と何の関係があるの?」「so what?」と言えるようになりたい、そう思います。

警察組織で60歳まで勤め上げ、警察組織に身を捧げ、鹿児島県警の最高幹部へとのぼりつめた根っからの警察官が、退職3日後に、内部告発の手紙をジャーナリストに送りました。彼曰く、「鹿児島県警職員が行った犯罪行為を、野川明輝(のがわ・あきてる)本部長が隠蔽しようとしたことがあり、そのことが、いち警察官としてどうしても許せなかったからです」「不祥事を明らかにしてもらうことで、あとに残る後輩にとって、良い組織になってもらいたいという気持ちでした」。本人がのちに述べたところによれば、そうした理由で内部告発に踏み切ったそうです。
ところが、その後、まさに、その内部告発をその警察本部長によって犯罪だと決めつけられました。自宅を家宅捜索され、自殺を図って病院に搬送されるところにまで追い詰められました。いまは、秘密漏洩の嫌疑で刑事被告人とされ、公判が始まるのを待つ身です。

こうした現状を見て、職場のおかしなことについて声を上げよう、公益通報しよう、内部告発しよう、と思う人はおそらくかなり少なくなったのではないかと私は心配です。あんな目にあうのだったら黙っておこう、自分の告発の内容とは全く関係のない自分のプライベートなことをあることないことばらまかれて非難され、中傷されるリスクがあるのだったら何もやらない方がマシだ。そう思う人がいるのは当然だろうと思います。

情報の内容に反論するのではなく、情報の伝え手を攻撃する――。そんなことがまかり通れば、やがて情報の伝送路は目詰まりを起こし、この社会に必要な情報が流れづらくなる。それは私たちみんなの損失です。

それによって被害を受けるのは誰かというと、私たちみんなです。トラックから外れたタイヤにぶつかられて亡くなってしまったお母さんとか、あるいは、原子力発電所の原子炉のひび割れが隠蔽されたことで原子力安全への信頼が失われ、その結果、原発を動かせなくなってしまった電力会社、ひいては電力の消費者、みんながその被害を受けることになるだろう、私はそう心配しています。

建前ではなく、私たちの利益のために

最近、いわゆるポリティカル・コレクトネスに連なるものとして、いわば、リベラル派が唱える建前、きれいごとの一つとして、公益通報者保護をとらえる言葉遣いを見かけることがあります。公益通報者の探索や不利益扱いを規制しようとする意見を「しゃらくせぇ」とばかりに、けなし、攻撃し、黙らせようとする圧力を感じることがあります。

しかし、公益通報者保護、内部告発者保護は建前ではありません。公益通報者、内部告発者の権利を守ることそのものが目的なのではなく、内部告発者の権利を守ることそのものよりも、その効果として、私たち、内部告発者ではない多くの人たち、すなわちパブリックの利益を守ろう、公益を守ろう、私たちの被害を防ごう、ということに内部告発者保護の目的はあります。

これは、私たちの損得の問題です。納税者としての、主権者としての、お金の問題です。身の安全の問題であることもあります。命の問題であることもあります。内部告発者、公益通報者の命の問題ではなく、自動車の欠陥や原発事故、タバコの副流煙で被害を受け、命を奪われるかもしれない私たち自身の命の問題です。

人格攻撃は人間のさがに根差す?

最近、私は、異論を唱える者を排除したい、攻撃したい、というのは人間の性(さが)なのかもしれない、と考えることがあります。

私自身、真っ向から対立する意見を見聞きすると、やや心を乱されます。そこに、傾聴に値する、正しい意見が含まれていたとしても、正直、いやぁな感情を覚えることもあります。

そのような自分自身の感情のおもむきに、私は、私という人間の心の不合理さ、自分自身の直感の頼りなさを見出すことができます。

だからこそ、何らかの規範(ルールというか、あるべき理想というか、そんなような、公に示された、こうありたい姿の形)によって、その頼りなさを補い、いやぁな感情を押しとどめ、異論に耳を傾けるようにと心を促す仕組みが必要なのだろうと思われます。ガードレールを設けて、私たち自身の振る舞いを、異論の持ち主を排除するものとならないように、ガイドしてあげる。異論を歓迎するようにと私たち自身を促して、その基本線を大きくは逸脱することのないように導いてあげる。そんな規範が必要であるように私には思われます。

現行の公益通報者保護法の問題点のうち早急に手当てすべきところ

この半年、日本社会でかつてないほどに公益通報者保護法に大きな関心をもたれています。鹿児島県警の問題、兵庫県の問題が一時は連日のようにテレビのワイドショーで取り上げられ、そこで、公益通報者保護法がキーワードとなっています。

しかしながら、その公益通報者保護法は、その名前、その趣旨、その理念の立派さに比べて、実際の法律の中身の、分かりづらいこと、内実の薄いこと、すなわち、その実効性の弱さ、その対象の狭さに少なからない人たちが困惑させられているのではないか、と見受けられます。

現行の公益通報者保護法では、公益通報を理由とした不利益な取り扱いに対して、違法ではあるものの、制裁も処罰もありません。違法な報復を受けた人がみずから訴えを起こし、解雇などの処分が無効であることの確認を求め、損害の賠償を求めることができる、というだけです。

そこに刑事罰を定め、違法に公益通報者を不利益に扱った人や事業者に対し、捜査当局のメスを入れられるようにし、罰金や懲役刑を科すことができるようにする、という方向で政府・消費者庁の検討が進んでいます。実は私は必ずしも賛成ではありませんでした。

罪刑法定主義の観点から要件を明確化しなければならないことで、どうしても、保護されるべき公益通報の対象を狭める結果になりかねないからです。できることなら、刑罰による威嚇ではなく、やんわりと促されるようにして、公益通報者が自然と守られるようにしたかった。

しかし、兵庫県の内部告発者が受けた仕打ちを見て、私は自分の考えをはっきりと変えました。最後の手段として刑事罰で違法な報復行為を抑止せざるを得ない、そう考え直しました。

ただし、刑事罰が導入されたとき、違法でありながら、その対象からこぼれて落ちてしまう「不利益な取り扱い」があることを忘れてはなりません。たとえば、事業者側が「通報内容には真実相当性がない」と誤認した過失による「不利益な取り扱い」がその一例です。罪を犯す意思、すなわち故意がない行為は罰しない、それが原則だからです。
刑事責任追及にあたって捜査当局は、極端に悪質で確実に有罪となる「不利益な取り扱い」だけを起訴して、そのほかは不起訴にするのが実務の通例になるだろうと思われ、それら刑事罰の対象とならなかった「不利益な取り扱い」の中にも違法なものはあり得ます。
こうしたケースが多々あることを念頭に、刑事罰の対象にならない類型の「不利益な取り扱い」に関しても、違法であり無効となり得ることや、損害賠償の対象になり得ることを明確化する条文を念のため加えたい、と私は考えます。

兵庫県の対応で特にひどかったのは、公益通報者の探索をおこなわせ、その探索の過程で押収したパソコンから、公益通報者のプライベートな内容の文書を把握し、結果として、公益通報者を黙らせようとその情報が使われたとみられることです。

現行法の下ですでに公益通報者保護法11条とそれに基づく内閣府告示の指針により、301人以上の従業員がいる事業者は、公益通報者の探索を防止する措置を義務づけられており、実質的に、公益通報者の探索は禁止されています。

ところが、兵庫県は今年3月に知事の指示で公益通報者の探索を行いました。9月、斎藤知事は、県議会でそれを不適切と指摘され、全会一致で不信任と決議されて知事を失職しました。なのに、斎藤知事は選挙で再選され、いまだに非を認めていません。

兵庫県庁

このままでは、「公益通報を行うことを検討している他の労働者を萎縮させるなどの悪影響があり、公益通報を躊躇させる要因に」なりかねません。公益通報者の探索の禁止について、国民に十分に理解されていない現状が見られます。このため、指針ではなく、法律の規定に探索の禁止をいわば格上げするべきだと私は思います。

この点、消費者庁が、法律上、事業者に対し、正当な理由なく公益通報者の特定を目的とする行為を禁止する規定を設ける、との方向性を打ち出しているのは、兵庫県の事例を教訓としたものであるといえ、私としては前向きに受け止めています。

おわりに

先に述べましたような、兵庫県の内部告発者、鹿児島県警の内部告発者が受けた、あまりにひどい仕打ちを見て、声を上げるべきか迷っている日本じゅうの多くの組織の内部の人たちに、できることなら、「大丈夫だよ」「全力をあげて守るよ」と、力強いメッセージを送ることができるような私たちの社会でありたい。

そのために、そして、パブリック、すなわち、私たちみんな、みんなの利益、公益のために、公益通報者保護法をより良い姿に磨き上げたい、そう思います。きょうのこのシンポジウムがそのための一助となることを願います。

ご清聴、ありがとうございました。


奥山俊宏(おくやま・としひろ)

1966年、岡山県生まれ。1989年、東京大学工学部原子力工学科卒、同大学新聞研究所修了、朝日新聞入社。水戸支局、福島支局、東京社会部、大阪社会部、特別報道部などで記者。『法と経済のジャーナルAsahi Judiciary』の編集も担当。2013年、朝日新聞編集委員。2022年、上智大学教授(文学部新聞学科)。
著書『秘密解除 ロッキード事件 田中角栄はなぜアメリカに嫌われたのか』(岩波書店、2016年7月)で第21回司馬遼太郎賞(2017年度)を受賞。同書に加え、福島第一原発事故やパナマ文書の報道も含め、日本記者クラブ賞(2018年度)を受賞。公益通報関連の著書としては、『内部告発の力: 公益通報者保護法は何を守るのか』(現代人文社、2004年)、『内部告発のケーススタディから読み解く組織の現実 改正公益通報者保護法で何が変わるのか』(朝日新聞出版、2022年)、『ルポ 内部告発 なぜ組織は間違うのか』 (共著、朝日新書 、2008年)がある。