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五百旗頭理事長逝去に関する告発文書の記述について

兵庫県の前西播磨県民局長が作成した4ページの告発文書「斎藤元彦兵庫県知事の違法行為等について(令和6年3月12日現在)」をめぐり、兵庫県議会は、真実解明のため地方自治法100条に基づく調査権限を発動して、特別委員会(百条委員会)を開催しています。この文書に対する斎藤元彦知事らの対応が公益通報者保護法に違反するのではないか、との問題が社会の関心事となっています。

内部告発の実情を長年研究してきた上智大学の奥山俊宏教授が、同委員会で参考人として陳述するのに合わせ5日に同委員会に提出した文章を以下に紹介します。

奥山俊宏

先週金曜日の証人尋問で、「西播磨県民局長の停職3カ月の処分は不適切であったと今は認識をお持ちでしょうか?」との質問に対し、斎藤知事は「今も思ってはいません。適切だったと思います」と答えています。斎藤知事は今もなお、西播磨県民局長への仕打ちを適切だったと主張しているのです。その理由として、斎藤知事は今回の告発文書について「事実でないことが多々多く含まれる誹謗中傷性の高い文書だ」と述べています。その「事実でないこと」というのは何なのか、知事が証人尋問で例に挙げたのは「冒頭の『先生が何かの人事異動をもって亡くなったこと』」でした。

今回の告発文書の7つある節のうち冒頭の1つ目の節に挙げられている「五百旗頭真先生ご逝去に至る経緯」です。すなわち、公益財団法人ひょうご震災記念21世紀研究機構の理事長を務める五百旗頭真(いおきべ・まこと)神戸大学名誉教授に対し、片山安孝(かたやま・やすたか)副知事から、副理事長2人の任を解く方針を通告し、これに対し、五百旗頭理事長は憤慨しておられる様子であり、翌日、急性大動脈解離のため急逝された、というのがこの文書の指摘の大筋です。

これは後にわかったことですが、副理事長2人解任の方針を通告したのは、五百旗頭理事長が3月6日にお亡くなりになる前日ではなく、6日前の2月29日のことでした。これについては、前西播磨県民局長においても、ご遺族からこの特別委員会に提出されたご本人作成名義の陳述書により、「日にちについては聞き間違いがあり、記載に誤りがあります」とのことであり、悪意のうえでの虚偽ではなく、いわば勘違いとみなしてよいかと思われます。

知事が問題にしているのは、この文書に「斎藤知事、その命を受けた片山副知事が何の配慮もなく行った五百旗頭先生への仕打ちが日本学術界の至宝である先生の命を縮めたことは明白です」と書いてあることです。

この記述について、斎藤知事は6月20日の記者会見で、「科学的根拠もないまま、ある種の誹謗中傷にもなる」と非難し、8月7日の記者会見では「それを本当に真実だと示すような診断書」がなかったと言い、つまり、「診断書」が添付されていないことをもって、この告発文書につき、信ずるに足る相当の理由がないものだったのだと説明しています。

これら斎藤知事の説明に私は大きな違和感を覚えます。

診断書が添付されていなかったことをもって、この告発文書の内容を信ずるに足りないと切って捨てるというのは、これはかなり牽強付会であるように私には思えます。

「公益財団法人ひょうご震災記念21世紀研究機構」の事務所がある「阪神・淡路大震災記念 人と防災未来センター」=2024年9月7日、神戸市中央区脇浜海岸通

言うまでもないことだと思われますが、副理事長2人の解任の通告と理事長の突然の死の間に因果関係があるかないかについては、だれも証明できないことです。主治医であろうが、死亡を確認した救急医であろうが、その因果関係があることもないことも確かめるのはそもそも不可能です。ですので、因果関係を証明する「診断書」や「科学的根拠」はあり得ない。もし仮に因果関係があったとしても、その証拠を出せというのは、無理を強いるものです。そのような事情は、この告発文書を書いた西播磨県民局長にも分かっていることでしょうし、この文書を読むおそらく全ての人が分かることです。

前西播磨県民局長ご本人は「憶測です」と説明していますが、私が思いますに、「命を縮めた」というのは、いわば「言葉の綾」と言いますか比喩と言いますか一種のレトリック、あるいは文学的表現ととらえられるべきものです。それを字句通りにあまりに真に受けて、因果関係の立証が不可能であることをもって、誹謗中傷であると断じるのは、皮相的な受け止め方であるように思えます。繰り返しますが、因果関係がないことを証明するのもまた不可能ですので、「命を縮めた」という表現が事実と異なることを証明するのも不可能です。したがってウソと断定することもできません。

兵庫県情報公開条例に基づき県当局から私に開示いただきました面談録や県関係者の話によれば、2月29日夕、片山副知事から、副理事長2人につき「退任いただく」との通告を受け、五百旗頭理事長は「これはうれしくない話」とボソっとつぶやかれたそうです。「私の口からは分かったと言えない」との言葉もあったとのことです。午後5時に始まった面談は20分で終わったとのことです。五百旗頭理事長の意に沿わない人事だったことがはっきりと記録に残されています。

私個人にとって、今回の告発文書を初めて読んだとき、4ページにわたるあの文書の記載のうち、もっともショッキングに感じたのはここでした。五百旗頭先生は、おそらく生前最後となった報道機関のインタビューに対し、能登半島地震への対応をめぐって、自衛隊の初動の手抜かりを指摘し、「首長の強いリーダーシップのお仕着せではな」い行政を求めました。3月2日に私はこれを読んで、五百旗頭先生のすさまじいまでの覚悟、阪神・淡路大震災に関わった学者としての、生半可ではない覚悟を感じ、深い感銘を受けました。その矢先に五百旗頭先生逝去の報に接し、どのようなストレスがあったのだろうかと知人と会話したことを覚えています。

あの告発文書が冒頭の「五百旗頭真先生ご逝去に至る経緯」の節で言おうとしているのは、副理事長解任の通告と理事長の突然の死去に因果関係があると主張して死の責任を問うことではなく、阪神・淡路大震災30年を目前に控えた今年、五百旗頭理事長が全幅の信頼を置いていたであろう2人の高名な学者を副理事長から外すという、理事長の意に反する人事をその最期に突き付けた、そんな仕打ちが適切だったのかと疑問を提起しようということにある、そのように私には思えます。そのことが、告発文書のこの節の記載内容におけるいわば「核心的な部分」です。そして、日付を除けば、そこに事実と食い違うと断定できるところは見当たりません。したがって、告発文書のあの節の記載は、懲戒処分のための調査をおこなう根拠とはなり得ません。私はそう考えます。

※この記事は、兵庫県議会・百条委員会に招かれた奥山俊宏教授が、意見陳述の際に別添2として提出した文書です。

奥山俊宏(おくやま・としひろ)

1966年、岡山県生まれ。1989年、東京大学工学部原子力工学科卒、同大学新聞研究所修了、朝日新聞入社。水戸支局、福島支局、東京社会部、大阪社会部、特別報道部などで記者。『法と経済のジャーナルAsahi Judiciary』の編集も担当。2013年、朝日新聞編集委員。2022年、上智大学教授(文学部新聞学科)。
著書『秘密解除 ロッキード事件 田中角栄はなぜアメリカに嫌われたのか』(岩波書店、2016年7月)で第21回司馬遼太郎賞(2017年度)を受賞。同書に加え、福島第一原発事故やパナマ文書の報道も含め、日本記者クラブ賞(2018年度)を受賞。公益通報関連の著書としては、『内部告発の力: 公益通報者保護法は何を守るのか』(現代人文社、2004年)、『内部告発のケーススタディから読み解く組織の現実 改正公益通報者保護法で何が変わるのか』(朝日新聞出版、2022年)、『ルポ 内部告発 なぜ組織は間違うのか』 (共著、朝日新書 、2008年)がある。