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「斎藤知事の言動は“公開パワハラ”だ」兵庫県議会の百条委で奥山教授が鋭く指摘した全文を掲載(前編)

兵庫県の前西播磨県民局長が作成した4ページの告発文書「斎藤元彦兵庫県知事の違法行為等について(令和6年3月12日現在)」をめぐり、兵庫県議会は、真実の解明のために地方自治法100条に基づく調査権限を発動して、特別委員会(百条委員会)を開催しています。

5日午前は、スローニュース上で『新聞ではわからない疑惑の核心!「おねだり疑惑」斎藤兵庫県知事はどこで間違えたのか』を発信した、公益通報制度に詳しい上智大学教授でジャーナリストの奥山俊宏さんが百条委員会に招かれ、意見を陳述しました。

スローニュースは奥山教授から陳述用原稿をいただき、どこよりも詳しく全文を2回に分けて配信します。(前編)


笛を鳴らして不正をやめさせるホイッスルブロワー

奧山教授ははじめに「県庁に長年お勤めだったベテラン職員の上げた声、問題提起を真摯に受け止めて、このように精力的な調査をしておられるのは、すべての日本国民にとって、日本の社会の全体にとっても、とても意義あることだ」と百条委員会のメンバーに敬意を表した上で、次のように語りました。

私は、平成元年(1989年)にバブルが絶頂に達したときに、社会人となり、新聞記者となり、以後、一昨年まで33年、経済事件などの取材・報道に携わってまいりました。その過程で様々な内部告発者にお目にかかり、私なりにその声を社会に還元する活動に努めてまいりました。

平成14年(2002年)、政府において内部告発者保護法の検討を始めたと知り、以後、私はライフワークの一つとして、公益通報者保護法をその検討の段階から常にウォッチしてきております。アメリカ、イギリス、韓国でそれぞれの国の内部告発者保護法制を取材した経験もございます。

欧米で内部告発者はホイッスルブロワー(whistle-blower)と呼ばれます。ホイッスル、笛を鳴らして(ブローして)、不正をやめさせる。私利私欲のために国家権力に仲間を売る密告者とは異なり、ホイッスルブロワーは、自分を犠牲にして、公=パブリック=民(たみ)=一般の人々のために、よくないことを社会に知らせるヒーローなんだ。そんな考え方をアメリカで学びました。

5日の百条委員会に出席した奥山教授(兵庫県議会インターネット配信より)

ここ2年余りは私、大学の新聞学科で、ジャーナリズムに関する教育や研究に従事しております。調査報道にとって、内部告発者は極めて重要な情報源となることが多い存在です。公益通報者保護法は、報道機関への内部告発を一定の要件下で保護対象とし、それをテコにして、内部通報制度の充実を事業者に促そうという英国由来のユニークな制度設計となっており、公益通報者保護法は、より良い取材・報道に生かせるツールにもできると私は思っております。

西播磨県民局長が解任されたことが新聞で報じられた3月28日から、私はひとかたならぬ関心を抱き、事態の推移を注視し、私なりに知識や意見を世の中に発信してきているところです。

斎藤知事のふるまいは「内部告発者への人格攻撃」典型パターンの通り

内部告発された側が内部告発者に対して示す反応には、一つの典型的なパターンがあります。

内部告発者、なかでも、本質的で重要な不正について内部告発をした人は、たいてい、あることないこと織り交ぜて誇張された人格攻撃にさらされる。(中略)これは日本に限った話ではなく、古今(ここん)東西に見られる共通の現象だ。(中略)

本来ならば、内部告発の内容と内部告発者の人格は関係がない。内部告発した人がどんな悪人であっても、内部告発の内容が真実であることはあり得る。内部告発した人がどんなに正直な人であっても、内部告発が誤解に基づくものである可能性もなくはない。

内部告発の内容がウソだというのなら、内部告発された側はそれに反論すればいい。ところが、内部告発の内容について反論するよりも先に、内部告発者の人格を攻撃し、内部告発者の秘密漏洩を非難するのが、告発された側の人たちの多くに共通する習性だ。

それはなぜか。

一つは、痛いところを突かれたと感じ、「ばらしやがって」と怒り、思わず感情をあらわにしてしまう、というものだ。

もう一つは、内部告発した人の評判を落とし、信用を貶(おとし)めて、内部告発の内容の信憑性を低めようとする狙いがあっての意図的な攻撃だ。
しかし、それらだけが人格攻撃の理由ではない。

これまでの様々な事例で共通して見られる、人格攻撃と漏洩非難の大きな狙いは、内部告発の連鎖を止めることにある。内部告発が別の新たな内部告発を呼び起こすことがないように、見せしめにしようということだ。

放っておけば、正当な内部告発は必ず共感を呼び、別の内部者が声を上げる。それを止めるため、内部告発者に悲惨な末路を押しつけ、示しをつけようとする。見せしめにするのだ。

このように、内部告発した人の多くは、人格を攻撃され、情報漏洩を非難される。日本だけでなく、アメリカでもそうだし、イギリスでもそうだ。これは一つのパターンだ。

奥山俊宏「政府の側は内部告発者への違法な攻撃をやめるべき」2017年7月12日『論座』より

実は以上申し上げましたのは7年前に私が書いた文章からの引用です。そして、私は、斎藤知事のふるまいを見て、やはりいつものあのパターンだな、と感じます。

感情に駆られた県のトップによる「公開パワハラ」

先週金曜日(8月30日)のこの場での証人尋問で、斎藤知事は、3月20日に告発文書を初めて目にしたときのことについて、「大変ショックで、なんでこういった文書を作るんだろうっていう本当に苦しい思いがありました」と振り返りました。そして、その文書を作成したのが西播磨県民局長だと知ったときには「本当に悔しい辛い思い」があったと明かしています。「どうして同じ仲間で一緒に仕事してた人がこういう文書を書いてまいたんだろうという本当に悔しい辛い思い」があったと説明しています。

斎藤元彦知事 8月30日の兵庫県議会 百条委員会のライブ配信より

3月27日の記者会見で前西播磨県民局長に浴びせた「公務員失格」との言葉は、「その悲しい辛い思いから、やはりああいった表現ということをさせていただいた」とも認めています。

これらの知事の説明は、個人的な感情に突き動かされた末に3月27日の記者会見での、あのような言動に及んだことを認めるも同然だと私には思えます。

人間ですから、そのような感情になるのは致し方ありません。それだけなら責められるべきではありません。しかし、だからといって、そういう感情に駆られて、県の行政府のトップである権力者が公の場で部下の1個人に対していわば公開パワーハラスメントに及ぶ、ということは許されません。

知事と取り巻きは判断から身を引くべきだった…「独裁者の粛清」のような構図に

先週金曜日の証人尋問で斎藤知事は「誹謗中傷性の高い文書だというふうに私、県としては認識しました」というふうに述べました。「私として認識」と言いかけて、「県として認識」と言い換えています。

しかしながら、この場合、“私”である斎藤元彦さん個人と、行政機関としての“県”を同視することはできません。行政機関としての県ならば、悔しかったり悲しかったり辛かったりすることなく、そういう感情を抜きにして、バイアスなく冷静にあの文書を見定めなければならない。そのような態度が可能な人は、告発文書でやり玉に挙げられている知事や副知事や総務部長ではなく、独立性と客観性を備えた第三者だけです。

県が「誹謗中傷性の高い文書だ」と認識してしまい、そこからすべてをスタートさせることになった理由は、そのまさに「認識」の担い手が、文書の内容と無関係の第三者ではなく、斎藤知事自身やその取り巻きの副知事、総務部長ら、あの文書で告発の矛先を突き付けられている当人たちだったからです。

8月30日の百条委員会 兵庫県議会のインターネット配信より

それに加え、文書が広く流布されたときに備えてその信用性を貶めようとする意図、内部告発が他の職員に連鎖することのないように見せしめにしようとする意図も混在していた可能性が高いと私は推測しますが、今般の県当局のふるまいの最大な要因は、知事をはじめとする被告発者の人たちの怒りだったのだろうと思われます。

本来ならば、そういう人たちは、あの告発文書に関する県行政としての判断への関与から身を引くべき、忌避するべきでした。なのに、それと真逆の行動を選んだ、だから、冷静な対応ができなかった、まるで独裁者が反対者を粛清するかのような陰惨な構図を描いてしまった、そう思われます。

「知事の影響力や忖度がないように」第三者による調査の必要性

知事ら組織上層部からの独立性を確保し、客観性と専門性を兼ね備えた調査を行うためには、費用はかかりますが、一般に、利害関係のない弁護士や有識者で第三者委員会を設けるのがベストであると考えられていて、実際、上場企業の大きな不祥事の際にはその手法を採ることが慣習として確立しています。

知事、副知事、総務部長らの関与が疑われる問題についての調査なのですから、調査の結果としてその疑いが仮に晴らされたとしても、その調査が県職員によるものであれば、とうていその調査結果への信用を得られず、さらなる火種をまき散らすだけとなることが最初から明らかでした。

名指しされている知事やその部下らが関わったり有形無形の影響力を行使できたりする調査だと、自分たちに有利な調査結果になるようにしようと調査の中立性・公正性を害するおそれがあり、そうした事情がなくても、県職員は調査にあたって知事の意向を忖度せざるを得ない立場にあります。こうした影響力の行使や忖度を防ぎ、調査への信頼を得るためには、第三者が調査し、県職員らはこれに応ずる、という形にせざるを得ません。

兵庫県庁(撮影:奥山俊宏)

公益通報、内部告発への対応には独立性の確保を

これは法的な要請でもあります。県庁の内部通報窓口で受け付けられた「内部公益通報」をきっかけとする調査については、県は、改正公益通報者保護法により体制整備を義務づけられています(11条2項)。

体制整備の内容は内閣府告示である指針に示されており、それによれば、県は、「内部公益通報」の受付、それに関する調査、それに基づく是正のすべてについて「組織の長その他幹部からの独立性の確保に関する措置」と「事案に関係する者を関与させない利益相反排除の措置」の双方を義務づけられています。こうした法的義務を果たすためには、何らかの第三者性ある調査に委ねざるを得ず、そうでなければ県の措置は公益通報者保護法の体制整備義務違反となりかねません。

たしかに、西播磨県民局長だった人による文書の送付先は当初、報道機関など外部だったので、ここで言う「内部公益通報」には該当しません。しかしながら、その後の4月4日、西播磨県民局長だった人は兵庫県の正式な内部通報窓口に通報したと報じられています。これについては、「内部公益通報」に該当し、県は、その通報の受付、それに関する調査、それに基づく是正のすべてについて独立性を確保し、利益相反を排除しなければなりません。通報受付窓口の独立性だけでなく、調査や是正に関しても独立性を確保しなければならない、というところが大切です。

前局長による内部告発の文書

処分のための総務部調査がなぜ内部公益通報受けての財務部調査に先行?

あとで申し上げますが、この調査にあたって、今回の告発文書の内容が真実かどうか(真実性)、信ずるに足りる相当の理由(真実相当性)があったかどうかが、ポイントとなります。

4月4日より前にあった出来事、すなわち、前西播磨県民局長の3月の行動に関する県総務部人事課の調査と、4月4日になされた「内部公益通報」についての県財務部の調査と、その二つの調査が一時期は同時並行で進んだわけですが、その二つの調査の双方でそれぞれ、この告発文書の真実性と真実相当性について何らかの結論が出される、ということになります。この二つの調査、いずれも県としての調査という点で同じなのに、結論が違ってよいのか、という疑問が浮かびます。

このような状況で、前者、人事課の調査の結論を早々に出させて、それのみを根拠に県として前西播磨県民局長を処分するのは、問題を生じさせます。つまり、そうなると、後者の調査――「内部公益通報」についての、一定の独立性を確保し、利益相反を排除したはずであろう調査――の結果に有形無形の影響が生じる危険性が極めて大きい。

県行政としての一体性がある程度は必要でしょうから、後者の調査にあたる人たちは、先行した前者の調査結果を尊重せざるを得なくなる恐れがあります。人事課の調査の結論を先行して出すことが、公益通報者保護法などの法令によって禁止されるわけではありませんが、「内部公益通報」についての後者の調査の結果までをも、その正当性を疑わせることになるのは避けられません。

外部への「公益通報」について、県当局が敢えてその内容を調べる、というのでしたら、公益通報者保護法の趣旨に従って、その調査は「内部公益通報」に準じた扱いにするべきです。すなわち、一定の独立性を確保し、利益相反を排除するべきでした。

違法とまでは言えませんが、この点に関する県の対応は、公益通報者保護法の趣旨から逸脱しています。

続いて奧山教授は、なぜ知事らの行為が公益通報者保護法に違反しているのかをわかりやすく解説していきます。後半の全文はこちらのリンクから。


奥山俊宏(おくやま・としひろ)

1966年、岡山県生まれ。1989年、東京大学工学部原子力工学科卒、同大学新聞研究所修了、朝日新聞入社。水戸支局、福島支局、東京社会部、大阪社会部、特別報道部などで記者。『法と経済のジャーナルAsahi Judiciary』の編集も担当。2013年、朝日新聞編集委員。2022年、上智大学教授(文学部新聞学科)。
著書『秘密解除 ロッキード事件 田中角栄はなぜアメリカに嫌われたのか』(岩波書店、2016年7月)で第21回司馬遼太郎賞(2017年度)を受賞。同書に加え、福島第一原発事故やパナマ文書の報道も含め、日本記者クラブ賞(2018年度)を受賞。公益通報関連の著書としては、『内部告発の力: 公益通報者保護法は何を守るのか』(現代人文社、2004年)、『内部告発のケーススタディから読み解く組織の現実 改正公益通報者保護法で何が変わるのか』(朝日新聞出版、2022年)、『ルポ 内部告発 なぜ組織は間違うのか』 (共著、朝日新書 、2008年)がある。