見出し画像

慰霊の日に「知らなかった沖縄」について考える本

※旧SlowNewsのサービス終了前の記事です。文中のリンクは現在は使えませんのでご了承ください。

書き手:瀬尾傑

明仁上皇陛下が「忘れてはならない日」としてあげている6月23日が何の日か、すぐに答えられる日本人が沖縄県民以外にどれほどいるのだろうか。

1981年8月、当時皇太子だった明仁上皇陛下は、「日本では、どうしても記憶しなければならないことが4つはあると思います。終戦記念日、広島の原爆の日、長崎の原爆の日、そして6月23日の沖縄の戦いの終結の日です」と語っている。上皇として御代替わりしたいまも、宮内庁Webサイトに、「忘れてはならない4つの日」として掲載している。

太平洋戦争末期、1945年4月1日のアメリカ軍の沖縄本島上陸によって本格化した沖縄戦は、旧日本陸軍第32軍司令官牛島満大将(当時中将)をはじめとする司令部が自決したとされる6月23日をもって組織的戦闘が終結したといわれる。

その6月23日を、「慰霊の日」として沖縄県は記念日とした。毎年、糸満市摩文仁の沖縄平和祈念公園では、沖縄全戦没者追悼式が行われている。昨年も明仁上皇陛下は赤坂御所から黙祷を捧げた。

今回、SLowNewsのアーカイブから、あらためて沖縄と日本の戦後を考えるための本と記事を紹介したい。

報道写真家が撮り続けた戦後、歴史の闇に埋もれた「琉球検察」、戦艦大和「生存者」の証言、戦争博物館を訪ねる旅、米軍人の裁判権を巡る日米の駆け引き、そして明仁上皇陛下の沖縄への思い。ーーさまざまな角度から知られざる沖縄を描いたノンフィクションから、いまも続く日本の「戦後」が浮かび上がってくる。

フォト・ストーリー 沖縄の70年
石川 文洋 (岩波書店 2015)

1938年に沖縄に生まれ、幼い頃に本土に移住した著者は、ベトナム戦争の従軍カメラマンとして、沖縄の復帰と基地を取材した。以後、沖縄戦を経験しなかったことに「後ろめたさ」を抱きながら、沖縄について考え続け、撮り続けてきた著者が、70年の歴史を、戦争と基地を軸に描き出す。

琉球検事 封印された証言
七尾 和晃  (東洋経済新報社  2012)

秘められた沖縄の戦後史がここに解き放たれる。戦後の米軍統治下で沖縄の法治を支えたのは「琉球検察」であり「琉球検事」たちだった。
日本と米国、沖縄とアメリカ、大和と琉球という、幾重にもからまった桎梏のなかで、司法の独立を守る使命を負わされた琉球検事は、戦後日本が抱えざるを得なかった矛盾の一断面をかたどる存在である。
彼らは沖縄住民と米国民政府(沖縄の駐留政府)との間に立ち、1970年のコザ暴動でピークを迎える対立の歴史のまっただ中で苦闘の日々を送る。だが沖縄が望んだ日本への返還が果たされたとき、彼らは日本政府によってその資格を剥奪された。そして彼らの功績も名誉も苦悩もすべては歴史の彼方に忘れ去られたのである。
闇市、炭鉱など置き去りにされた昭和史を浮き彫りにしてきた七尾氏が、100歳を迎えようとする琉球検事の生き残りの方たちにロングインタビューを敢行。これまでほとんど表に出ることのなかった封印された沖縄の歴史に光を当てる。

戦艦大和 生還者たちの証言から
栗原 俊雄  (岩波書店 2007)

真珠湾攻撃の直後に竣工し「世界最大・最強」を誇った大和。だが、この巨艦はレイテ沖海戦などを経て沖縄へ向かう途中、わずか2時間で撃沈された。約3000人の乗組員の内、生還者は300人足らず。著者は現存する23人からその凄惨きわまる体験を取材、大和の航跡と戦争の実相、生存者や遺族の願いを伝える。

誰も戦争を教えられない
古市 憲寿  (講談社 2015)

広島、パールハーバー、南京、アウシュビッツ、香港、瀋陽、沖縄、シンガポール、朝鮮半島38度線、ローマ、関ヶ原、東京……。世界に大量に存在する戦争博物館と平和博物館。僕たちは本当に戦争のことを知らないのか? それとも戦争のことが好きなのか? 若い世代の旗手が、「戦争」と「記憶」の関係を徹底的に歩いて考える。

日米公文書発掘
大矢 英代, フロントラインプレス  (SlowNewsオリジナル 連載中)

「この案は殺されねばならぬ」ーー。米軍人が罪を犯しても日本の捜査当局はすぐに手出しができない。その源流となる「日米行政協定」が結ばれたのは、1952年4月。アメリカと日本、各地に散らばった公文書を重ね合わせ見えてきた緊迫の「日米交渉」、独自調査による70年目の新事実。

知られざる天皇明仁
橋本 明  (講談社  2016)

「ご学友」が見た、悩み多き天皇の青春の日々が甦る。「世襲の職業はいやなものだね」と自らの将来を嘆く。同級生と猥談に興じながら、「一生、結婚できないかもしれない」と漏らす。ミッチーブームに際しては誹謗中傷も受けた美智子さまを守り、両親と離ればなれだった幼少期から、家庭を作ることを願う――。将来の天皇という、あらかじめ定められた運命のなかで、青年・明仁皇太子は何を学び、どう成長していったのか。そして、沖縄への思いも。