三木谷浩史がのめり込む光免疫療法 開発者は辺境の化学者だった
光免疫療法を開発したNIH(アメリカ国立衛生研究所)の小林久隆は、京大の放射線の核医学科をいわば破門されたはぐれ科学者だったという。『がん征服』を上梓したノンフィクション作家の下山進が披露するノンフィクションの作法その第3回。
ノンフィクション作家 下山進
愁眉を開いた光免疫療法開発者との出会い
『がん征服』で最初に取材ができたのがBNCTでした。しかし、「膠芽腫(こうがしゅ)」への薬事承認で、このBNCTを追い抜いたかに見えた遺伝子改変ウイルスG47Δ(デルタ)を開発した東大の藤堂具紀(ともき)先生は、なぜかまったく取材に応じず、壁にぶちあたっていました。そんなときに愁眉を開いたのが、NIHに直接前著『アルツハイマー征服』と手紙を送った光免疫療法の小林久隆先生が、郷里の芦屋に帰ってくるというので、お会いできたことです。
アメリカ国立衛生研究所の研究者というのは国家公務員であるので、小林先生は、研究所以外の報酬をもらうことは厳しく制限されています。しかし、であるがゆえに、企業や日本の研究者の村から超越して率直に話をしてくれたことで、暗闇に明かりが照らされるようでした。
小林先生は、もともと京大の放射線の中の核医学科の出身でした。核医学というのは、簡単にいうと画像診断のための科です。隣の放射線科は、放射線を治療のためにつかう科で、医学部の外科、内科等の結節点となり、研究資金も潤沢です。しかし、核医学科は、実験器具をまた洗って使うなど、予算はきわめて限られていた辺境の科でした。
しかし、この画像診断のために必要なモノクローナル抗体という概念が、私にとってがん治療をひとつの道筋でとらえるのに大変役に立ったのです。
医学ではなく化学が専門だった
それまでの標準治療の悩みは抗がん剤や放射線にしても、健康な細胞にも作用してしまうことでした。これが深刻な副作用となってでてきます。どうしたらば、がん細胞にだけ抗がん剤を届けるようにできるか。
それを可能にしたのが、モノクローナル抗体というものでした。がんはたとえばある種類の乳がんであればHER2という抗原を発します。このモノクローナル抗体に抗がん剤をのせて投与すれば、乳がんにだけ届くというわけです。
小林先生は、大きな化学物質に、小さな化学物質をつけるコンジュゲート・ケミストリーの専門家でした。これは、たとえばがんを画像でとらえる際に、必要な技術です。がんを光らせる物質を抗体にのっけて送り込む。
医局人事を拒否して京大を破門
小林先生は、おかしいことがあれば、おかしいと口に出してしまう研究者でした。だから教授から提示されるポストは、研究を続けたいにもかかわらず、診療のポストばかり。最終的に提示されたポストも自分の専門外の分野でした。
この人事の内示をうけたとき、机に戻った小林先生は、NIHのある研究者に、〈あなたの下で研究がしたい。雇ってくれないか〉とその場でメールを送ります。
「有期のポジションしか用意できないが」という返事がきてアメリカに渡ります。2001年6月のことでしたが、この当時医局の人事を拒否するということは、その大学の世話にはもう一生ならない、ということを意味しました。小林久隆の名前は、京大の放射線部の同門会の名簿から抹消され、恩師からは「まあ、骨くらいはひろってやるよ」と突き放されます。
しかし、アメリカで雇われた研究室で、あいた時間に自分の研究を続けやがて小さいながらも自分のラボを持つようになり、そして光免疫療法の発見にいたるのです。