「ハームリダクションで包摂的な社会をつくる」今こそメディアが果たすべき役割と議論の深め方
薬物やアルコール、たばこへの依存に対して、私たちの社会はどのように向き合えばいいのでしょうか──。
解決策の1つになり得るのが「ハームリダクション」。一定の害があるものを完全に断つのではなく、害をなるべく減らしながら上手に付き合っていこうとする考え方です。
スローニュースが11月20日に開催したオンラインセミナーでは、このハームリダクションをテーマに、経済学者の安田洋祐さん、医療記者の岩永直子さん、ジャーナリストの堀潤さんがそれぞれの立場から議論を展開。経済学、医療政策、ジャーナリズムという異なる視点が交差する中で、依存症や社会的孤立といった社会課題の解決のための新たな道筋が見えてきました。
ハームリダクションは、包摂的な社会を実現するためにどのように機能するのでしょうか。そして、メディアが果たすべき役割、報道の在り方とは──。
ハームリダクションの有効性や社会的インパクトについて議論した前編に続き、後編では依存症を巡る報道の問題点やメディアの責任についての議論をお届けします。
構成 スローニュース
薬物依存の報道を巡るマスメディアの問題点
瀬尾:
依存症を巡るマスメディアの報道についてどのようにみていますか?
岩永:
マスメディアの新人記者はほとんどの場合、警察署を持ち場として与えられ、事件事故の取材を担当します。警察官と日常的に接する中で、「取り締まる感覚」を内面に持って取材にあたるようになるわけです。
その結果、薬物事件で逮捕された人がいれば、「ダメな人間」というレッテルを貼った報道内容になりがちです。
問題なのは、その人がなぜ薬物を使用していたのか、薬物使用でどのように自分を保っていたのか、その背景に思いを全く致していないことです。
さらに「デジタルタトゥー」の問題もあります。
たとえば、「ダルク」という薬物依存からの回復を支援する施設に通う患者が回復の過程で失敗して、薬物を再使用して逮捕されてしまうということは当然ある話。しかしながら、マスメディアは実名顔出しで報道する。施設で回復しようと頑張っている人に対して、回復の道を閉ざしてしまうようなことをマスメディアは平気でやってしまっているのです。
堀:
そういうカルチャーを変えていかないといけませんよね。これは薬物依存から立ち直るためのプログラムの提供であって、犯罪者として罰するものではないということ。そういう枠組みを日本でも作ろうというところから議論を進めていかないといけません。
ステークホルダー不足を補って議論を
瀬尾:これまで日本では、ハームリダクションについて十分に議論されていません。メディアで議論を深めるにはどうしたらいいでしょうか。
堀:
「ステークホルダー不足を補う」ということが1つの解になると考えています。先ほど、たばこと火災の関係についての話が出てきましたが、この場に保険会社の人がいれば、議論がさらに活性化すると思います。
特定のターゲットに対しての対処法ではなく、様々なステークホルダーが関わるところで、ハームリダクションがどのように関わっていくかを考えることが大切です。
マスメディアがアジェンダセッティングをしてしまうと、どうしても空振りになりがち。一般市民を含めた色んなステークホルダーが同じ目線で議論して、自分たちの立場から見えている世界を共有し合うところから始めるべきです。やはり市民目線、現場から色んな案を出して、最終的に国を動かすという議論の進め方に変えていかなければなりません。
当事者の声にこそヒントがある
瀬尾:
「包摂性のある社会をつくる」というのは、まさにそういうこと。市民やパブリック空間の中で生まれてきている多様な価値観を拾っていくこと必要がありますね。
岩永:
依存症の分野に引き付けて言うと、当事者の声を1つの角度じゃなくて、様々な角度から取り上げるべきだと考えています。
薬物依存症で逮捕された人は、逮捕報道ばかりされてきたわけです。アイドルグループ「KAT-TUN」の元メンバー、田中聖さんに取材した際、彼は「メディアにバッシングされたことで自分には価値が無い」「自分はもうダメなんだ」と落ち込んでいました。
日本において薬物の有害性が最も高いのは、体への害というよりも、メディアに報じられたり逮捕されたりすることであるわけです。
その意味でハームリダクションを実現するには、「その人がなぜ薬物を使ったのか」「逮捕や厳罰が本当に必要なのか」という点をメディア自身が問い直す必要があります。逮捕や厳罰、一辺倒な報道が本人とってプラスになったのかどうか、当事者の声にヒントがあると考えています。
堀:
報道する中身を精査していくことが大切ですよね。消費されて終わるようなコンテンツを出すのが報道じゃない。逮捕者が出て警察署に行って、送検される様子を撮影して終わりというようなやり方をアップデートする必要があると思います。
岩永:
まさに報じ方だと思います。ワイドショーでは、有名人が逮捕されたら、街頭インタビューで「がっかりです」と声を拾い、知り合いの芸能人に取材して「叱りつけたい思いです」というような声を取って終わる。こういう社会的なステイグマを増やすコメントを取ってバッシングするような一辺倒な報道はそろそろやめるべきだと強く思います。
人の行動変容につながる2つの考え方
瀬尾:
メディアの役割は本来そういうものですよね。多様な視点を取り入れながら、議論を進めていく立場にある。「依存症」や「生活習慣病」という言葉を1つ取ってみても、個人に責任があるように見えてしまいますが、本来は社会的な背景を含めて、多様な視点を取り入れることが大切です。
安田さんはアカデミズムの立場から、メディアで議論を深めていくにはどのようなアプローチが良いと考えますか?
安田:
本人の努力だけで何かを断つというのはなかなか難しいので、周りがどうサポートするか、社会がどう受け入れていくかということを考えていかないといけません。その意味で経済学者としてすぐに思いつくのは、人の行動変容には①インセンティブ②ナッジ──の2つのチャネルがあるということです。
1つ目のインセンティブは、価格を変えることが人の行動変容に強く結びつくということです。今日の議論でも安いストロング系缶チューハイの話や税率改定の話が出てきました。一方で、税の視点だけをみると、酒税やたばこ税の増税といった話にいきがちですが、健康被害や社会的包摂の視点も取り入れないといけないと、別の害を生んでしまう懸念が出てくるわけです。つまり、メディアは多角的な視点で議論の材料を提供することが肝要です。
2つ目のナッジは、英語で「軽くつつく、行動をそっと後押しする」という意味。行動変容を誘発するような仕掛けを導入しようとする考え方です。
たとえば我が家には、一振りあたりの出る量が少ない食卓塩があります。これは塩分の過剰摂取を防ぐ上でとても有効なものです。塩を取るなとは言わないものの、量をコントロールできるからです。
要は、「ちゃんと塩味のあるものを食べることができるけれど、取り過ぎは抑えられる」という本人の選択の自由を侵害しない形で、健康につなげることができるわけです。
このようにインセンティブとナッジ的なものを併用しながら、ハームリダクションの流れを広めることが大切だと思います。メディアも社会経済的な様々な視点を持ちながら報じる必要があるでしょう。
多様な声を聴いて「なだらかな社会」の実現を
瀬尾:
やはりメディアは、多くの人の声に耳を傾けないといけない。「黒か白か」と二項対立的に語るのではなく、その間にあるグレーの部分の声をいかに拾っていくかがメディアの責任としてあると思います。それがきっと、誰もが生きやすい「なだらかな社会」の実現につながるのでしょう。
今はメディアも官僚的になっていて、炎上や外部から批判を恐れているけれど、それではダメですよね。科学的な根拠を持って、世の中の流れに反することであっても必要なことは言わないといけないですね。
スローニュースでは、今後も「アカデミズム×ジャーナリズム」の形で、社会課題の解決のために議論を深めていきたいと思います。登壇者の皆様、どうもありがとうございました。
(写真は「©豊永和明」。)