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「がん」「心臓疾患」…体内汚染は病気と関係ないのか【スクープ連載『デュポン・ファイル』第11回】

国際機関から発がん性を指摘されている有機フッ素化合物、「PFOA(ピーフォア)」。三井・デュポンフロロケミカルの清水工場(静岡市)で半世紀以上にわたって使われ、工場の内外を汚染していた。その工場内の極秘データが収められた「デュポン・ファイル」を入手。5万ファイルに及ぶ膨大な資料を紐解きながら、「地下水汚染」「排水汚染」「大気汚染」「体内汚染(従業員)」の実態を4週にわたって描く調査報道シリーズの連載第11回。

ここまでは工場から汚染された排水やガスがどのように拡散していったのかを極秘資料をもとに検証した。今週は社内で従業員への健康管理がどのように行われていたのかを明らかにする。

フリーランス 諸永裕司


「亡くなった父のがんとの因果関係は?」

玄関に、ずっしりと重い表彰盾が飾られている。

清水工場のフッ素樹脂製造部門で働いていたAさんに、デュポン本社にあるポリマー事業部門の責任者から贈られたものだ。

<1988年度のポリマー専門部門への献身と貢献を認めます。あなたはそのリーダーシップ、創造性、活力によって卓越した水準の仕事を残し、デュポンのすべての社員に刺激を与えたことを称えます。あなたの貢献によって1988年が輝かしい事業年度となったことへ心からの感謝を示すものです>

(写真の一部を加工しています)

18歳で入社して、清水工場のフッ素樹脂をつくるプラントで班長をするなど、60歳の定年まで働いた。83歳で他界したAさんにとって、ほぼ唯一といってもいい勲章だった、という。

長男によると、家ではよくネズミ色の作業着姿でいたものの、仕事について口にすることはめったになかった。ただ、あるときこう話してくれたことを覚えている。

「東京ドームの天井にもテフロンは使われているんだ。フライパンだけじゃないんだよ」

みずから製造した製品の用途を語る口ぶりに、誇らさがのぞいていた。東京ドームがオープンしたのは、表彰盾にある1988年のことだった。

「新入社員教育-樹脂製品紹介」(2009年)より

昨年5月、Aさんは肺炎をこじらせて亡くなった。それから5カ月ほどたってから、清水工場による汚染が報道されるようになった。

長男はPFOAという化学物質のことを初めて目にした。工場では過去に血液検査が行われ、従業員から高い濃度が検出されていたことも知った。

10年ほど前、Aさんは前立腺がんを患った。ステージIIと早期に見つけられたこともあり、手術を受けてまもなく回復した。だから、特に気に留めることもなくすごしてきた。

「もしかしたら、前立腺がんになったことは仕事と関係があったかもしれない、と思ったりもしました。でも、今となってはもう調べようがありませんが……」

前立腺がんは、デュポンに原料を提供していた大手化学メーカーのスリーエム社(3M)のミネソタ州にある工場でかつて、健康影響の一つとして指摘されていた。

PFOAの生産にかかわる部門の従業員は、前立腺がんで死亡するリスクがそれ以外の部門より3.3倍高い、とする研究結果が出ている。また、5年以上勤務して曝露量が多い従業員は、勤務経験が短い従業員よりも最大で6.6倍高くなる、というデータもある。(注1)

汚染水を雑巾でぬぐっていた男性は

東京ドームに使われたフッ素樹脂をつくるプラントでは、もう一人の同僚が前立腺がんでなくなっていた。そう語るのは、Aさんの部下だった鈴木孝雄さんだ。

鈴木孝雄さん(撮影:諸永裕司)

鈴木さんがPFOAを扱っていたのは清水工場に勤務していたうちの13年ほど。当時は、C-8という符牒で呼ばれていた。C-8を含んだ液体を混ぜたあと、水分を飛ばして濃縮し、乾燥させてから缶に納める。3交替での勤務では素手でバケツを扱ったり、雑巾でこぼれた液体をぬぐったりすることもあった。でも当時、「危ない」と言われた記憶はない。

いま77歳。自身は舌がんにかかった。PFOAと別のがんとの関連を認める調査はあるが、舌がんとPFOAの因果関係はわかっていない。

PFOAの健康被害は「ない」と内部文書

健康影響については、アメリカの大規模調査で、腎臓がん、精巣がんなど6つの病気との関連が認められている。(注2)調査のきっかけとなったのが、デュポンがウェストバージニア州で操業していたワシントン工場による汚染だった。

また、証明されたわけではないが、その後もがんをはじめ、さまざまな疾患との関連性を指摘する研究論文はいくつも発表されている。

デュポン本社は2007年9月に作成した資料「PFOA Best Practices」のなかで、ワシントン工場労働者の調査結果を紹介している。要点をまとめると、以下のようになる。  

・コレステロール値および肝機能のGGT値、尿酸値 わずかに上昇(WW Phase I)
・腎臓がん、糖尿病 症例が少なすぎて判断できない(WW Phase II)
・虚血性心疾患による死亡 わずかに高い(WW Phase II)

「PFOA Best Practices」より

そして、こう結論づけている。

<研究は続けているが、これまでのところ、PFOAによってヒトにもたらされる健康被害はない>

元従業員の血液から平均の20倍のPFOA

ただ、「今後の作業」として挙げられた一つに、こんな記述があった。

<Washington工場で問題とされている心臓疾患についての調査を外部機関に行わせる>

当時、同じようにフッ素樹脂を使用していたワシントン工場では、従業員たちの心臓疾患が懸念されていたのだ。だが、最終的な結論について書かれたものは見当たらない。

同じように、心疾患をかかえる元従業員は日本にもいる。

元従業員のBさん。大病をしたことはないが、高血圧のために薬を欠かせず、心房細動にも悩まされている。前出の二人と同じプラントで働いていた。

3月初め、清水工場を操業する三井・ケマーズフロロプロダクツから封筒が届いた。1カ月ほど前に受けた血液検査の結果を伝えるものだった。

Cさんに届いた血液検査の報告

血漿1ミリリットル中に含まれるPFOAが48.5ナノグラム。これは全国平均の20倍を超え、アメリカの学術機関「全米アカデミー」が、健康への懸念があるとする20ナノグラムの2.4倍だった。

PFOAは分解されづらいため体の中からなかなか排出されない。3年ほどとされる半減期から逆算すると、退職した60歳の時点で800ナノグラムを超える。単純計算すると、プラントで働いていたころには2万ナノグラムを超えていてもおかしくない。

いったい、なぜこんなに高いのか。気持ちが揺れた。

昨年秋にSlowNewsが報じたように、2000年代初めの清水工場の従業員の血中濃度は、デュポン傘下にある世界各地の工場ごとの数値をみても、もっとも高いレベルだった。

今年初め、Bさんはいまの三井・ケマーズフロロプロダクツが元従業員に対する血液検査をすると知った。OB会に入っていないため会社からの通知は届かなかったが、かつての仲間から教えてもらった。みずから会社に問い合わせて、測ってもらうことにしたのだ。

指定された病院に行き、採血を受けた。医師はおらず、健康診断も問診もない。その代わりなのか、アンケートに記入させられた。ただ、実質的な質問は二つだけ。「勤続期間」と「PFOA使用の有無」。いまの健康状態をたずねる項目はなかった。

「健康への影響を本気でみきわめようとするつもりはない。会社は対外的なアリバイとしか考えていないのだ、とわかりました」

なにより驚いたのは、送られてきた検査結果の通知に次のような一文が記されていたことだ。

<当社の許可なく、本報告書の一部を複製し使用することを禁止します>

危険性を知らされずに働いていたことでPFOAを体内に取り込んでしまった。「永遠の化学物質」がどれくらい体の中に蓄積しているかを知ることは、元従業員として当然の権利だろう。そのうえで、自分の体についての情報をどう扱うかは自分で決める。

「どこにどのように公表しようと、会社が止められるものではないでしょう。それでもあえてこの一文を挿入するところに、この会社の本質を見る思いです」

デュポン本社は集団訴訟で約765億円の賠償

ちなみに、デュポン本社は、従業員を含む周辺住民らが起こした集団訴訟で2017年、合計6億7070万ドル(約765億円=当時のレート)の賠償金を払うことで和解している。

この訴訟を率いたロバート・ビロット弁護士の『毒の水』によれば、事前に行われた予備的な裁判では、デュポン側も合意した原告が選ばれた。

59歳の女性(2015年当時)で、飲み水の濃度がそれほど高くない地域で暮らし、肝臓がんと診断されていた。PFOAに汚染された水を17年間、飲んできた彼女のPFOA血中濃度は19.5ナノグラム。認められた賠償額は160万ドル(1億9000万円=同)だったという。

Bさんの血液からは現時点で、その2.5倍の数値が検出されている。その後、別の病院で腫瘍マーカーの検査を受けたところ、医師から「がんの疑いあり」と告げられた。でも、自分よりさらに高濃度で曝露した人がいるはずだ、とBさんは話す。

「フッ素樹脂をつくる工程では液体だけでなく、粉体を扱うこともありました。とくに、水分を飛ばして乾燥させるときには吸い込みやすい。重合釜やタンクの清掃も危険だったはず。そうした業務を請け負っていたのは協力会社の人たちです。彼らはいま、どうしているのでしょうか」

「ダストップ清掃」というタイトルの写真(2008年)

清水工場では、1965年から2013年まで48年間 PFOAを扱ってきたという。従業員の健康管理のためにどんなことをしてきたのか。

三井・ケマーズフロロケミカルが明らかにしていない実態が、「デュポン・ファイル」の記録群に収められていた。

(続く)

C-8の健康影響について、会社は従業員たちにどのように説明していたのか。スローニュースでは極秘文書から秘密裏に行われていた血液検査や説明の経緯を明らかにしている。

※注1
Gilliland FD, Mandel JS. Mortality among employees of a perfluorooctanoic acid production plant. J Occup Med. 1993;35(9):950-954. doi: 10.1097/00043764-199309000-00020

80) Hardell E, Kärrman A, van Bavel B, et al. Case-control study on perfluorinated alkyl acids (PFAAs) and the risk of
prostate cancer.
Environ Int. 2014; 63:35-39. doi:10.1016/j.envint.2013.10.005                              

※注2
デュポンのワシントン工場が建つオハイオ川の流域で汚染された水を飲んでいた7万人を対象にした疫学調査(通称C-8調査)。中立的な科学者3人が7年かけて検討したところ、腎臓がん、精巣がん、潰瘍性大腸炎、妊娠高血圧症、甲状腺疾患などとの関連が認められた。

諸永裕司(もろなが・ゆうじ)

1993年に朝日新聞社入社。 週刊朝日、AERA、社会部、特別報道部などに所属。2023年春に退社し、独立。著者に『葬られた夏 追跡・下山事件』(朝日文庫)『ふたつの嘘  沖縄密約1972-2010』(講談社)『消された水汚染』(平凡社)。共編著に『筑紫哲也』(週刊朝日MOOK)、沢木耕太郎氏が02年日韓W杯を描いた『杯〈カップ〉』(朝日新聞社)では編集を担当。アフガニスタン戦争、イラク戦争、安楽死など海外取材も。
(ご意見・情報提供はこちらまで pfas.moro2022@gmail.com