秘密裏の血液検査の一方、会社側は「健康影響はない」と説明し続けた【スクープ連載『デュポン・ファイル』第12回】
国際機関から発がん性を指摘されている有機フッ素化合物、「PFOA(ピーフォア)」。三井・デュポンフロロケミカルの清水工場(静岡市)で通称「C-8」として半世紀以上にわたって使われ、工場の内外を汚染していた。その工場内の極秘データが収められた「デュポン・ファイル」を入手。5万ファイルに及ぶ膨大な資料を紐解きながら、「地下水汚染」「排水汚染」「大気汚染」「体内汚染(従業員)」の実態を4週にわたって描く調査報道シリーズの連載第12回。
C-8の健康影響について、会社は従業員たちにどのように説明していたのか。今回は極秘文書から秘密裏に行われていた血液検査や説明の経緯をたどる。
フリーランス 諸永裕司
動物実験とは真逆の評価
「デュポン・ファイル」の膨大な資料群のなかで、もっとも古い時期のものが、1981年10月31日付の文書だ。「空気中のC-8の測定(メチレンブルー法)」と題され、右上にコード番号が記されている。
WWとは、デュポンのワシントン工場(米ウェストバージニア州)の略称だ。A4版2枚の文書には「安全および健康」という項目があり、こう書かれている。一部の表現にこなれない部分があるが、そのまま引用する。
<3M社は、C-8が研究室の実験でラットに与えられると出産異常を起こすということを研究でわかった。子供を生む女性の雇用者は、この操作をするあらゆる場所から避けなければならない>
動物実験で出産異常が分かったので、出産を控えた女性はこの測定作業のような高濃度度が想定される場所での仕事には関わってはいけないとの警告と読める。
デュポンは、この動物実験の結果を取引先の大手化学メーカー3Mから伝えられた後、ワシントン工場でC-8を扱っていた女性従業員を配置転換したという。(ロバート・ビロット『毒の水』より)
また、女性従業員への調査で、生まれた赤ちゃんの7人のうち2人から先天性の異常が見つかった。2人のうちひとりの母親は、直接C-8に触れる仕事をしていた。フッ素樹脂をつくる業務用の圧力釜を清掃したり、水分を取り除いて粉状にする乾燥機の中の残滓を拭い取ったりしていた。
だが、この文書ではワシントン工場で女性の配置転換が行われたことや、健康被害には触れていない。それどころか、次のように書いている。
<C-8に曝されている従業員に対して健康的な問題はないが、血液サンプル中に見つけられている。また、たいへんゆっくり体内から除去される>
むしろ健康への影響を否定していたのだ。
1981年に極秘裏の検査の指示
清水工場にはその直前にも別の文書が送られていた。1981年9月15日付で、工場長の「TAKADA」氏に宛てられた3枚つづりのものだ。
<ワシントン工場では25年以上、C-8を使ってきた。(略)限られたデータではあるが、C-8は人体に残留することが示されており、私たちは一部の従業員を定期的に検査するプログラムを確立した>
デュポン本社は、C-8が取り込まれると体内に長く残ることがわかったとして、清水工場のテフロン製造部門で働く12人ほどの血液サンプルを求めていた。その後に送られた10月30日付文書のように、表向きは「従業員に対して健康的な問題はない」としながら、実態の把握を進めようとしていたことになる。
というのも、デュポン本社は早くからその危険性に気づいていた。これより3年前の1978年に、社内の研究所による動物実験で最大量を投与されたサルが1カ月以内にすべて死亡していた。(『毒の水』より)
1981年文書には、検査結果は従業員に渡せるよう「極秘医療情報」として送り返す、と記されていたが、該当する記録を「デュポン・ファイル」の中に見つけることはできなかった。
2000年の血液検査結果は知らされていなかった
デュポンが「人間の発がんリスクを軽視できない」と認めたのは、上記の文書から16年後、1997年になってからだ。さらに2年後には、実験で使った6頭のうち4頭のサルが肝臓をやられて苦しんだため、安楽死させたという。
その翌年にあたる2000年、清水工場で従業員の血液検査が行われている。さらに8年後、再び血液検査が行われる直前の記録がある。
工場長が、フッ素樹脂の製造ラインを受け持つ製造二課の従業員を前に、PFOAの物性や摂取経路、さらには曝露防止策などについて説明したときのものだ。「2007年末工場長対話」での質疑内容が一問一答の形式で残されている。