封印された極秘資料入手!「デュポン・ファイル」が明かす地下水汚染・大気汚染・体内汚染の実態【大型スクープ連載開始】
ここに、ある工場の汚染物質の実態を明らかにする大量の極秘データがあります。国際機関から発がん性を指摘されている有機フッ素化合物、総称PFAS(ピーファス)の汚染が日本各地で発覚する中、ここまで汚染源の実相が詳細にあらわになるのは初めてのことです。
静岡市の化学メーカー、三井・ケマーズフロロプロダクツ(当時は三井・デュポンフロロケミカル)の工場でPFASが長年使われてきたこと、密かに行われた従業員の血液検査で極めて高い濃度が検出されていたことを、ジャーナリストの諸永裕司氏はSlowNewsでスクープしてきました。
その過程で、諸永氏は工場内部の膨大な極秘データを手に入れたのです。分量は実に50ギガバイト(5万ファイル分)。社内での通達文書や汚染物質のデータをまとめたExcelファイル、デュポン本社や社員同士で交わされたメール、そして画像や動画などが含まれています。
半年近くをかけて内容を詳細に分析し、関係者の証言で裏付けをとった結果、「地下水汚染」「大気汚染」といった深刻な汚染を引き起こしていた実態や、今も工場周辺で続く汚染の原因も見えてきました。
当時、デュポン傘下にあったことから、今回入手したデータを「デュポン・ファイル」と名付け、調査報道スクープ連載をスタートします。
フリーランス 諸永裕司
「C-8」と呼ばれていた問題の物質
いま、私の手元に封印されてきたPFAS汚染の極秘資料「デュポン・ファイル」がある。その中で、特に慎重に取り扱うべき物質の一つとして登場するのが「C-8」だ。
有機フッ素化合物のひとつPFOA(ペルフルオロオクタン酸)と、化学変化の過程でPFOAになる関連物質のことである。危険なPFASの一種だ。
それは会社に莫大な利益をもたらす物質だった。それだけに、万が一にも外部に漏れることがないよう、正式な名称ではなく、「C-8」という符牒が使われていた。元素記号のCで表される炭素が8つ連なる構造をしているためだ。現場の作業員の中には本当の名前を知らなかった者もいる。
C-8は水をはじき、油もはじき、熱に強い。同時に、水に溶け、油にも溶ける稀有な特性から、フッ素樹脂をつくる工程で半世紀以上前から使われてきた。焦げつかないフライパンをはじめ、傘やカーペット、ハンバーガーの包装紙、化粧品やコンタクトレンズのほか、半導体や自動車の製造過程などあらゆる用途に使われてきた。「台所から宇宙まで」と呼ばれるほど広まり、社会に、そして会社にとっても欠かせないものとなっていった。
ところが、21世紀に入るころ、人体に与える毒性が注目される。アメリカの工場周辺の住民から訴えられ、デュポン本社は2014年までに使用をやめる方針へ転じた。「デュポン・ファイル」にも、方針転換を示す詳細な資料が含まれている。
しかし、汚染は消えていなかった――。
過去のことではない、いまも続く汚染
スローニュースは昨年秋、清水工場をめぐる汚染について初めて報じた。従業員の血液中に含まれるPFOA濃度を調べる検査が過去に行われ、世界に6カ所あるデュポン工場のうち最も高いレベルにあったことや、工場内できわめて深刻な地下水汚染が起きていたことなどを明らかにした。
報道の後、静岡市は工場周辺の調査に乗り出した。その結果、工場近くの井戸から最大で1700ナノグラム、国の目標値の32倍にあたるPFOAなどが検出された。しかも、地下水汚染は工場から5キロ圏内にある井戸でも確認された。
工場周辺の雨水が流れ込む三保雨水ポンプ場では最大で13,000ナノグラム、地下水や川の水質管理の指針値(50ナノグラム)と比べると260倍もの値が検出された。この水は飲用に使われるわけではなく、のちに海へと流される。
この間、清水工場を操業する三井・ケマーズフロロプロダクツは、工場内の地下水をくみ上げて浄化する措置を講じたほか、中長期的な対策として工場の敷地境界に沿った遮水壁の設置なども検討している、とされる。
会社は報道を受けて、元従業員向けの血液検査も行った。ただし、健康への影響も含めた結果は概要さえ明らかにしていない。
工場内で何が行われていたのか
汚染源となった工場で、どのようにPFOAが使われ、どれだけのPFOAが工場外へ放出されたのか。そしてなぜ、いまも汚染は消えないのか。
「デュポン・ファイル」の分析と並行して、当時の関係者への取材も進めた。
PFOAを抑制するための排出削減プロジェクトを知る元幹部は、「製造工程ではPFOAを含んだ水が出てきますが、回収するための専用設備を通していたので、C-8が溶け込んだ水をそのまま(外へ)流すはずはありません」と証言。廃棄物や排ガスの対策もとっていたはずだという。
ただ、使用中止から10年あまりたったいまも、なぜ周辺で深刻な汚染が続いているのかと尋ねると、「排水や排気のところを担当していたわけではなく、手元にデータを持っているわけでもないので、どうしてかはわかりません」と語るのみだった。
副工場長や理事を務めたというOBはこう語った。
「体の中に入ると蓄積しやすい、とは聞いていた。工業排水には気を使っていたが、一般排水(として放流する分について)はあまり意識していなかった。でも、詳しいことはよく覚えていない。デュポンから言われた通りにやっていた」
規制がなかった当時の対応がいまになって問題視されることについては、「言葉があれだけど、後出しジャンケンのような感じ」と漏らした。
極秘資料から汚染の実態を解き明かす
幹部たちは2000年代に入って「対策をとってきた」と強調するが、逆に言えば、それ以前は汚染物質が垂れ流されていたのだ。一度汚染されれば、除去するのは容易ではない。「デュポン・ファイル」からは、そうした実態を示す資料やデータが次々と見つかった。
今回の連載では、資料から浮かび上がった4つの大きな問題を集中的に取り上げていく。
第1週「地下水汚染」
1965年に稼働した清水工場。この工場がもたらした汚染のうち、もっとも象徴的なのが地下水汚染だ。「デュポン・ファイル」には、工場内の井戸水から、現在の指針値の3万9000倍に相当する高濃度が検出されていたことを示すデータが含まれていた。さらに周辺で獲れた魚からも衝撃のデータが。汚染源をたどると、ある廃棄物の管理の問題が見えてきた。
第2週「排水汚染」
「デュポン・ファイル」には、対策が行われる2000年初めまで、汚染水を一般排水へと事実上、垂れ流していたことを示す資料が存在した。その濃度も驚くべき高さだった。
第3週「大気汚染」
2004年以降に本格的な対策が施されるまで、C-8を含んだガスは工場から放出されていた。汚染物質が上空で拡散し、再び地上に舞い戻っていたことを裏づける資料が「デュポン・ファイル」にある。社内基準より遥かに高い値で、門外不出とされたデータだ。さらにダクトの一部の破損や不具合など、さまざまなトラブルも起きていた。
第4週「体内汚染(従業員)」
2000年に続き、2008年には従業員の血液検査も行われたが、結果は従業員に知らされず、会社は「健康に影響ない」と繰り返していた。その裏で、デュポン本社は密かに動物実験を重ね、危険性を認識していた。工場内での安全管理がどのようなものだったのかも明らかにする。
清水工場が深刻な汚染を引き起こしたのは、前身の三井・デュポンフロロケミカルの時代のことで、工場の管理・運営は「本社の方針のもとに行われていた」という。このため、手元にある膨大な極秘資料群は、親会社の名前を取って「デュポン・ファイル」と名付けることにした。
そこには、「DU PONT」と赤字で刷り込まれた内部文書も複数含まれ、ロゴ下にはこう記されている。
“The miracles of science(科学の奇跡)”
果たして、それは何をもたらしたのか。
過去と現在の汚染を照らしだす秘密のファイルを開け、まずは、地下水汚染の実態を明らかにする。
(続く)
「なぜ工場の外に汚染が広がっているのかわからない」と発言する会社の元幹部。いったいどこから汚染が始まったのか。現在配信中のスローニュースでは、追跡の結果、浮かび上がったある汚染源を明らかにしている。
諸永裕司(もろなが・ゆうじ)
1993年に朝日新聞社入社。 週刊朝日、AERA、社会部、特別報道部などに所属。2023年春に退社し、独立。著者に『葬られた夏 追跡・下山事件』(朝日文庫)『ふたつの嘘 沖縄密約1972-2010』(講談社)『消された水汚染』(平凡社)。共編著に『筑紫哲也』(週刊朝日MOOK)、沢木耕太郎氏が02年日韓W杯を描いた『杯〈カップ〉』(朝日新聞社)では編集を担当。アフガニスタン戦争、イラク戦争、安楽死など海外取材も。
(ご意見・情報提供はこちらまで pfas.moro2022@gmail.com)