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【スクープ】超高濃度のPFASを従業員の血液から検出…静岡の化学工場の内部調査データを入手

フリーランス 諸永裕司

いま注目されている有機フッ素化合物(総称PFAS)による体内汚染は、実際にどれほど広がっているのか。これまでに東京・多摩地区などで汚れた水を飲んだ人々の血中濃度が高いことが判明したが、静岡県にある化学メーカーの工場で密かに従業員の血液検査が行われていたことが新たにわかった。入手した内部資料には、きわめて高い濃度のPFASを検出したことを示すデータが記されていた。検査は何のために行われたのか。従業員たちの健康に影響はでていないのか。私は工場へ向かったーー


密かに血液検査が行われていた工場とは

歌川広重の浮世絵にも描かれ、3万本の松が並ぶ三保の松原。富士山を望み、「世界文化遺産」にも指定された静岡県清水市の海岸近くに、その工場はある。

私はJR清水駅前でレンタカーを借りると、南へと向かった。ちびまる子ちゃんランドやJリーグ清水のエスパルスドリームプラザなどを通り抜け、湾沿いに車を走らせる。15分ほどして、工業地帯に入った。倉庫やプラントが並び、とても世界遺産の景勝地が近くにあるとは思えない。塀沿いに進むとほどなく、視界が開けた。

清水工場(撮影:諸永裕司)

歴史を感じさせる古びたレンガの正門には、社名が書かれた銀色のプレートがはめこまれている。

<三井・ケマーズ フロロプロダクツ>

前身は、1984年に社名変更した「三井・デュポンフロロケミカル」。ケマーズは2015年にデュポンから独立した会社だ。さらにさかのぼれば、1963年に生まれた「日東フロロケミカル」が会社の原点ということになる。創業時からデュポンが出資し、経営に関与してきた。

デュポンといえば、本国での創業は1802年。戦時も平時もアメリカを支えてきた大手化学メーカーである。そのデュポンが第二次世界大戦後、高度成長期の日本に進出し、立ち上げから2年後につくったのが清水工場だった。稼働を始めてから58年になるという。

巨大なプラントの一角ではかつて、有機フッ素化合物のひとつPFOA(ペルフルオロオクタン酸)を使って、テフロンの名前で知られるフッ素樹脂が製造されていた。フッ素樹脂は水も油もはじき、熱にも強い。焦げ付きを防止するので、目玉焼きをフライパンから皿の上に滑らかに移すことを可能にした。フライパンのみならず、傘やカーペット、ハンバーガーの包装紙、化粧品やコンタクトレンズをはじめ、多岐にわたる用途で使われ、「台所から宇宙まで」と言われるほど広まった。

開発から半世紀がすぎた2000年、「魔法の物質」に転機が訪れる。アメリカで、PFOAに似たPFOS(ペルフルオロオクタンスルホン酸、どちらもPFASの一種)の製造中止を、別の大手化学メーカーが発表した。米環境保護庁(EPA)は「(PFOSは)健康にも環境にもリスクとなる」との見解をだしたのだ。

同じ年、海を超えた日本にある、この清水工場の労働者の血液が密かに調べられていた。

環境省は現在、PFASによる健康被害が発生した事例は確認されていない、としている。しかし、有害物質を直接扱う労働者について調べたわけではない。体内汚染は一般の市民と比べてはるかに深刻とみられ、健康への影響も懸念される。それだけに、清水工場での血液検査の結果は、日本でのPFASによる職業曝露の一端を明らかにする可能性があった。

私は、プラントが立ち並ぶ広大な工場のまわりを一周したあと、工場関係者を探して回ることにした。日が暮れるころ、地元関係者の紹介で、ようやくひとりの元従業員(76)に会うことができた。

PFOAという物質を使っていたか。そう聞くと、元社員は戸惑うように口を開いた。

「うーん、なんか最近、汚染がどうとか話題になってるやつだよね。いやあ、知らないなあ」

聞けば、1960年代半ばから40年あまり、主に製造部門で働いていたという。そうであれば、無縁ということはないのではないか。

映画『ダーク・ウォーターズ』で描かれた大手化学メーカー

デュポンの名前は、2年ほど前に日本でも公開された映画『ダーク・ウォーターズ』に汚染の原因企業として登場する。実話をもとにした作品で、主人公のモデルとなったのはロバート・ビロットいう、ひとりの弁護士だった。

1996年夏、ある農夫が突然、事務所を訪ねてきた。「牛たちが次々に死んでいる」。そう言って、ビデオテープに収めた牛たちの無惨な姿を見せられた。原因がわからないまま次々と倒れ、190頭が命を落としたという。度重なる求めに応じて調べにきた政府の報告書は公開されず、「飼育方法の不備」として片付けられていた。

農夫から依頼を受けたビロット弁護士は地道な調査を重ね、ウェストバージニア州の牧場近くにある廃棄物埋立地の所有者が、ワシントン工場を操業するデュポンであることを突き止める。

法廷の争いに持ち込むと、11万ページにも及ぶデュポンの内部文書が裁判所の文書提出命令にもとづいて開示された。読み込むうち、全貌が見えてきた。工場で使われたPFOAという化学物質が棄てられ、川を汚し、地下水を汚し、地域の飲み水も汚していたのだ。最終的には原告が3千人を超える集団訴訟となり、デュポンは賠償金765億円を払うことで和解した。

こうした20年以上にわたる追及の経緯は、ビロット弁護士による『毒の水』(‎花伝社)に詳しい。原題は「Exposure」。弁護士による真相の「暴露」と、健康被害をこうむった人々によるPFOAの「曝露」という二つの意味が込められている。

この本には、19歳でデュポンに入社し、製造部門などで39年働いたという社員が登場する。

ケン・ワムズリーさん。PFOAとの関連が指摘される潰瘍性大腸炎に苦しんだのち、進行性の直腸がんとなり、退職を余儀なくされた。その後、人工肛門で暮らしている。

「ステーキも食べられない。ビールも飲めない。15年間トイレに座ったこともありません。人生を捧げた会社にやられたのです。嘘をつき、健康を破壊し、人間性に対する信頼を打ちこわしたのです。この会社はゆっくりだが確実に内側から私を殺し続けます。私が支え、私が愛した会社だったのに」

『毒の水』より

ワシントン工場でPFOAに曝露した5791人の死因を調べた研究 (2012年) によると、一般の米国民などと比べて、慢性腎臓病が3.11倍、糖尿病が1.9倍高かったという。アメリカでもっとも信頼性が高いと言われる、ジョンズ・ホプキンス大学公衆衛生大学院が発行する雑誌「American Journal of Epidemiology」に掲載されている。

アメリカの工場で起きたことは、清水工場でも起きているのではないか。そう投げかけても、元社員は首をかしげるばかりだった。「私はとくに健康に問題もないしねえ」

どのように体内に取り込まれるのか

PFOAは目にみえず、味も、臭いもない。しかも分解されづらく蓄積されやすいため、なかなか消えない。高濃度で体内に取り込まれると、腎臓がん、潰瘍性大腸炎、甲状腺疾患などをもたらすとされる。

では、どのようにして体内に入るのか。

手元に、デュポンが作成した内部文書がある。今回、あるルートから新たに入手したものだ。

<PFOA 最善策(Best Practices)>

そう題された、2007年7月16日付のデュポン内部文書は、ワシントン工場によるPFOA汚染を検証した62ページの記録だ。基本的な情報や使用実態、健康への影響などが記され、労働者が体内に取り込む曝露経路も三つ挙げられている。

  • 空気(蒸気や微粒子)によって吸い込まれる

  • 非常に水に溶けやすく、滴下したり飛び散ったりする(皮膚から吸収される)

  • 手にしたもの(タバコやサンドイッチなど)につきやすく、口に触れて取り込む可能性がある

曝露が圧倒的に多いのは「吸い込み」で、次に「水の摂取」、そして「皮膚からの吸収」の順だという。このため、「手袋とマスクの装着」や「使い捨ての服の使用」さらに「排気フード下での作業」を推奨するなどと記されている。ただし、そうした防護策が導入されたのは健康被害が相次いで見つかるようになってからのようだ。

「テフロン発明者」が工場を訪れていた

後日、別の工場関係者を探し当てたところ、PFOAという名前は聞いたことがないというものの、代わりによく覚えていることがあるという。フッ素樹脂「テフロン」の開発者のことだった。

「これを見つけたデュポンの科学者が清水工場に来たことがあったんです」

ロイ・プランケット氏。アイルランド出身で、大学卒業後、経済不況のために仕事が見つからず、アメリカに渡り、化学分野の修士課程に進んだ。その後、デュポンに就職してまもなく、ある偶然からテフロンの元となる物質を見つけたという。その製品化を可能にしたのがPFOAだった。

ブランケット氏は1988年に清水工場を訪れている。デュポンを世界的な化学企業へと押し上げた「魔法の物質」の生みの親として、テフロンの発見から50周年を記念して招かれた。このとき、プランケット氏はお返しに、額装した当時の実験ノートのコピーを寄贈している。

元従業員のひとりは、こう振り返る。
「博士だし、会社にとっては偉大な発見者なんでしょうけど、むしろ、単なる田舎のおじさんという印象しかないですね」

来日から18年後、事態は一転する。

2006年、デュポンを含む世界の主要フッ素メーカー8社は「PFOAの製造・使用を2015年までに全廃する」協定を結んだ。残留性の高さが問題視され、米環境保護庁(EPA)から指導を受けたためだ。日本からはダイキン工業、旭硝子(現AGC)と当時の三井・デュポンフロロケミカルが加わった。

工場長も記憶していなかったPFOA

同社はPFOAを清水工場では2013年まで使っていたというが、工場の元従業員たちはそんな名前を耳にしたことがないと口を揃えた。

疑問が解けないまま、たどり着いたのはかつて工場長を務めたという男性だった。

清水工場(撮影:諸永裕司)

「私が工場長だったのは1990年代の初めでね、いまさら何も隠すつもりもないが、そのPFOAという物質のことは聞いたことがないんです」
まっすぐ目を見たまま、元工場長は言い切った。

安全管理の担当だった1980年代後半には、映画『ダーク・ウォーターズ』で描かれた米ウェストバージニア州のワシントン工場を訪れたことがある。世界から担当者が集まる会議のあと、足を延ばしたという。

印象に残っているのは管理のずさんさだった。
「ライン(製造工程)に飲食した跡が残っていたり、内規では直線でなければいけない配管が曲がっていたり。私が提案した改善案がそのまま採り入れられているところもあって、逆に驚きました。清水工場ではデュポンから派遣される社員から年2回検査を受けるのですが、基準を守れなければ次の契約はしないぞ、なんて脅されていただけに、拍子抜けしたことをよく覚えています」

とはいえ、清水工場でも大小さまざまな事故が起きていた、という。
「化学工場ですから、危険物質を扱っていたのは確かです。だから、とにかく地元対策に心を砕きましてね。防災訓練があったらテントを持っていき、自治会の祭りがあれば準備を手伝って。そして、汚染や事故が起きたら、正直に情報を伝える。市にも頻繁に足を運んでね。そうやって地元に受け入れてもらってきたんです」

記憶をたどるうち、彼はある化学物質が漏出したことがあったことを思い出した。

「私が工場長だったとき、工場の敷地内のあちこちで地下水を汲み上げて、調べたんです。そう、テトラクロロエチレンが外に漏れてしまっていて」

耳慣れない化学物質の名前を聞いて、ある資料のことが思い浮かんだ。

2002年、清水工場の敷地内で行われた地下水の水質調査記録。PFAS汚染の問題を早くから報じてきた米ジャーナリストのシャロン・ラーナー氏から提供されたものだ。

あらためて表をみると、23種類の検査対象物質のなかに、確かにテトラクロロエチレンの名前があった。しかも大きな数字が並んでいる。元工場長の時代に発覚した汚染は10年ほどたっても消えずに残っていたことになる。

それだけではない。23項目の中には、「FC-143」というPFOA化合物もあった。敷地内にある10カ所の井戸のうち9カ所から検出され、その濃度は桁違いに高かった。

公共の排水溝にもっとも近い正門わきで154万ナノグラム、テフロン樹脂の製造プラント近くで120万ナノグラム……。工場周辺の飲み水に地下水は使われていないとはいえ、現在の指針値を当てはめればじつに4千〜3万倍というレベルの汚染だった。

それほどの高濃度の汚染が起きていたということは、労働者たちもかなり曝露していたのではないか。

「C8のことじゃないのか」 元従業員がついに思い出したその物質とは

「確かに、テフロンは作っていたけどね」
「テトラクロロエチレンのことは覚えているんだけど」

清水工場の元従業員たちはいずれも「テフロン」と呼ばれるフッ素樹脂をつくっていたというものの、その過程で化学反応を速め混合物を安定させるために使われたPFOAという触媒の名前は記憶していなかった。

会社は従業員に意図的に知らせなかったのか、それとも当時は意識されるようなものではなかったのか。

割り切れない思いを抱えたまま、1カ月ほどしたある日、冒頭で登場した76歳の元従業員に電話をした。取材した内容を確認しようと切り出すと、あることに気づいたという。

「あんたの本を読んでびっくりしたよ、PFOAという名前は聞いたことがなかったけど、もしかしてC8のことかい?」

この元従業員には、取材したときに、私が書いた『消された水汚染』という本を送っていた。東京・多摩地区でのPFAS汚染を解明していく過程などをつづったものだ。それを読んでくれたらしい。

「C8」とは、炭素を表す化学記号のCが8個つらなる構造の有機フッ素化合物を指す。それはまぎれもなく「PFOA」の俗称なのだ。

「そうか、C8なら使っていたよ。フッ素樹脂をつくるときに」

元従業員によると、工場の心臓ともいえる製造部は、フッ素ガスとフッ素樹脂をつくる部門に分かれていたという。

「樹脂部門で働いていたとき、C8を測って水に溶かして重合釜に入れるという作業をしていたから、私も吸い込んでたかもしれないね。あれがそんなに危ないものだなんて、まったく知らされてなかったから。気になるのは、重合釜の掃除をしていた下請けの作業員たちだよ。彼らはヘラを使ってこすったりしてたから、私たちよりずっと曝露してるだろう」

ついにPFOAを使っていた元従業員の口から、どのように扱われていたのかを具体的に聞くことができた。

じつは、今回入手した80ページほどのデュポンの内部文書には、清水工場の労働者たちのPFOA血中濃度を調べたデータが含まれていた。

それによると、血液検査は2000年、2008年、2009年、2010年に、26人に対して合計51回行われていた。そのPFOA血中濃度は、多くの健康被害を生んだ米ワシントン工場と比べて2〜3倍高かった。

前出の80代後半になる元工場長はこう言う。

「従業員の血液検査が行われていたことは初めて知りました。検査といっても、通常の健康診断かなにかで採ったものを調べたのかもしれませんね。
もし結果が本人に伝えられていないとすれば、人権問題です。伝えられていたとしても、危険性まで説明されていたかどうか。本当に健康への影響はないのか。今からでも追跡して調べる責任が会社にはあるでしょうね
私は工場長だけでなく製造部長もやりましたから。そういう意味では、(PFOAを)覚えていなからといって、(汚染を招いた)責任がないとは言えないのです」

清水工場の労働者たちの体内に高濃度で蓄積されたPFOAはその後、健康に影響を与えていないのか。追跡調査はしなくてもいいのか。社員ではない「下請けの作業員」はそもそも検査の対象にさえなっていなかったのではないか。

三井・ケマーズフロロプロダクツのホームページによると、フッ素化学のリーディングカンパニーとして、その存在・姿勢・活動の礎となる「コアバリュー」が六つあるという。最初に挙げられているのが「安全と健康の確保」だ。

三井ケマーズ・フロロプロダクツのホームページより

<私たちは、従業員・協力会社・お客様、そして私たちが事業活動を行う地域社会の人々の安全と健康を何よりも優先します> 

同社によると、2007年にPFOAを扱う製造工程で作業者の保護具を変更し、製造プラント内の換気設備の工事をした。血液検査は2010年を最後に、それ以降は行っていない。また、健康影響については「PFOA の取り扱いに関わった従業員から報告されておりません」という。

現在配信中の「スローニュース」では、デュポンの内部資料の入手経緯と、その内容をもとに、2000年から密かに行われていた清水工場従業員の血液検査について、具体的な数値を明らかにしている。それは世界各国の工場と比較しても、きわめて高いものだった。

諸永裕司(もろなが・ゆうじ)

1993年に朝日新聞社入社。 週刊朝日、AERA、社会部、特別報道部などに所属。2023年春に退社し、独立。著者に『葬られた夏 追跡・下山事件』(朝日文庫)『ふたつの嘘  沖縄の密約1972-2010』(講談社)『消された水汚染』(平凡社)。共編著に『筑紫哲也』(週刊朝日MOOK)、沢木耕太郎氏が02年日韓W杯を描いた『杯〈カップ〉』(朝日新聞社)では編集を担当。アフガニスタン戦争、イラク戦争、安楽死など海外取材も。

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