【御巣鷹山事故】日航機を救うため、墜落前に「エスコートスクランブル」上申の新事実が判明!なぜ却下?当直指令官が初めて証言した
佐藤 等
群馬県の御巣鷹山に墜落して520人が犠牲に。単独事故としては世界の航空史上最悪となった1985年の日航ジャンボ機事故は、今も人々の記憶に残り、ことしも事故が発生した8月12日に慰霊登山が行われた。
事故当日、航空自衛隊のレーダーサイトで当直指令官を務めていた元自衛官が、今回、新たな証言をした。緊急事態を知らせる信号を早い段階で傍受し、前例のない「民間機へのエスコートスクランブル」によって救助しようと上申したというのだ。もし実現していれば、自衛隊機が事故機の破損状況を確認し、無事に着陸できるよう助言できたかもしれないという。そうでなくても、かなりの時間がかかった墜落現場の特定が、もっと早くできていた可能性がある。
さらに「エスコートスクランブルの上申が行われていた」というこの証言を裏付ける行政文書も新たに入手した。
事故から38年、自衛隊内部で起きていた新事実を明らかにする。
エスコートスクランブルとは
「エスコートスクランブル」とは、自衛隊機がスクランブル=緊急発進をして、事故機をエスコートする、つまり、随伴して飛行しながら助言をすることだ。ただ、自衛隊機に対して実施することはあっても、民間機に対する前例はない。実施するには、自衛隊法上の災害派遣の要請が必要になる。
事故から5カ月後の1986年1月17日の日本経済新聞は、日航がこの事故を教訓に、機体の制御が不可能な場合はパイロットが「エスコート飛行」を自衛隊に求め、不時着水などが可能な場所まで誘導してもらうことを検討しているという記事を掲載している。
自衛隊機を緊急発進させることに関していえば、事故当時に航空幕僚監部防衛部長だった鈴木昭雄氏が、2009年の防衛研究所の戦史部教官によるインタビューに対してこんな証言をしている。
「すぐ百里(筆者注:茨城県の航空自衛隊 百里基地)からスクランブルさせて状況を確認するとともに、『運輸省にもよく聞くように』と指示をしました。最悪陸上にクラッシュの恐れありと判断し、ただちに森空幕長に状況を含めスクランブルと非常呼集について事後報告をしました」
しかし、F4戦闘機にスクランブルの命令が出たのは、日航機がレーダーから消えた4分後の午後7時1分のことだ。
自衛隊の現場が墜落前の早期から危機を察知し、民間機への「エスコートスクランブル」という初の取り組みを検討していたことが明らかになったのは、これが初めてだ。
38年後の今、証言したのは「デマを正したいから」
証言したのは、空自峯岡山分屯基地(千葉県、通称「峯岡山レーダーサイト」)で、当時、第44警戒群に所属し1等空尉だった吉田勝氏(84)だ。
事故直後に航空専門誌のインタビューに答えたことはあったが、エスコートスクランブルやレーダーサイト内部での対応について、詳細をメディアに語ったことはない。
「本当はしゃべりたくない。だが、自衛隊の事故への対応でネットや一部の書籍でデマが広がっていて、正したい思いがあった」
吉田氏は事故が起きた8月12日に、峯岡山レーダーサイトで20数人の隊員の指揮を執っていた。当直についたのは午後5時。平時と変わらない、いつもの夕方だった。この後、部隊は自衛隊で最初に日航機の異変を察知することになる。
克明な証言をもとに、知られざる当時の様子を明らかにしていこう。
自衛隊のレーダーサイトで、当日何が起きていたのか
異変に気付いたのは、午後6時26分だった。
「エマージェンシー、スコーク77(セブンセブン)!」
関東上空の航空機の飛行状況をモニター画面で監視していた部下の1人が、そう叫んだ。スコーク77は正式には「7700」。航空機に緊急事態が発生した時に管制に発信する世界共通の緊急信号だ。
レーダーサイトの室内は騒然。レーダーの黄色がかったモニター画面で、米粒のような日航機は四角く囲まれて表示された。
すぐに、空路を管制する運輸省東京航空交通管制部(ACC)に、事故機がどこの航空機なのか問い合わせた。そして、ACCと事故機のパイロットとの間で交わされている無線の周波数に合わせて、通信内容を傍受した。
数分後、今度は傍受を担当していた部下から、「(パイロットが)アンコトロール(操縦不能)と言っています」との報告があった。自衛隊に入隊してから、初めて現場で聞いた言葉だった。
墜落――その二文字が、吉田氏の脳裏をよぎった。
「陸上に落ちたら大惨事になる。飛んでいる機体を見るしかない」
すぐさま、「エスコートスクランブル」をできないか考えたという。
なぜ実施できなかったのか
空自は、日本の「防空識別圏」と呼ばれる空域に事前の飛行計画なく進入する機体があり、領空侵犯の恐れがあると判断した場合、戦闘機を緊急発進させる「対領空侵犯措置」、いわゆるスクランブルを講じることができる。
一刻を争う緊急事態となるため、当時は当直指令官にも措置命令の権限が与えられていた。
だが、民間機に対するエスコートスクランブルとなれば、全く別の話だ。上記で説明したように、前例がない。自衛隊法上の災害派遣の要請があればそれも可能だが、要請を待っていたら間に合わない。
「飛ばしましょう」
「救難ヘリでも出せませんか」
入間基地(埼玉県)にいる上官の当直幕僚に上申したが、やはり、前例がないことを理由に難しいとの認識を示されたという。
そこで吉田氏は、部下たちとレーダー上に架空の「識別不明機」を設定すれば、対領空侵犯措置を建前としてF4を飛ばせるのではないか、とも考えた。もちろん規則違反で、これまでしたこともない超法規的措置だ。
「後で怒られるだろうが、そんなことを考えている場合じゃない」
しかし、結局はそこまですることはできなかった。そうこうしているうちに、事故機の航跡を監視していた部下の叫び声が、室内に響き渡った。
「コンタクト、ロスト!」
午後6時57分、事故機の機影がレーダーから消えた瞬間だった。室内は一瞬静まりかえり、部下たちが救いを求めるように彼の方を向いたという。
もしエスコートスクランブルができていれば…
空自がF4戦闘機2機を百里基地からスクランブル=緊急発進させる命令が出たのは、日航機がレーダーから消えた後の午後7時1分だ。
その際には、災害派遣要請を待たずに、自衛隊法第83条2項の「特に緊急を要する場合は要請を待たずに災害派遣することができる」との但し書きを適用した。しかし、緊急信号から30分以上が経過していた。
仮にいち早く「エスコートスクランブル」の上申を受け入れていたならば、F4が飛行中の日航機の破損状況を確認し、無事に着陸できるよう適切な助言ができたかもしれない。
それができないにしても、墜落現場をいち早く確認することができただろう。当時の自衛隊の対応については、スクランブルしたF4と、米軍のC130輸送機が上空から現場をいち早く見つけておきながら、位置の特定は二転三転したことが批判された。その結果、地上での救助活動を開始するのに10時間以上を要したからだ。位置の特定になぜ時間がかかったのかは、「謎」としてさまざまな検証や考察がされている。
悔いが残っている、と吉田氏は語る。
「日航機が飛行しているうちに飛ばしていれば、少なくとも墜落現場を特定できたし、外から機体の損傷箇所が分かれば、パイロットに助言をして、もしかしたら無事に着陸できた可能性もある。もっと強くエスコートスクランブルを求めることもできたんじゃないか」
事故の経緯についての新事実を語る当時の当直指令官の証言。その裏付けとなる文書の詳しい内容と、「謎の米軍機」の存在について、現在スローニュースで公開中の『【御巣鷹山事故】墜落した日航機の救助をめぐる当時の当直指令官の新証言を裏付ける文書の内容と「謎の米軍機」の存在とは』では詳しく伝えている。
(※サムネイル画像:Getty Images)
佐藤 等
地方紙記者。警察や自治体、自衛隊の取材を担当し、調査報道を長く続ける。