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【御巣鷹山事故】墜落した日航機の救助をめぐる当時の当直指令官の新証言を裏付ける文書の内容と「謎の米軍機」の存在とは

佐藤 等

御巣鷹山への日航ジャンボ機の墜落事故。事故が起きた1985年8月12日に自衛隊のレーダサイトで当直指令官をしていた元自衛官の新証言で、緊急事態を知らせる信号を早い段階で傍受し、救助のため前例のない「民間機へのエスコートスクランブル」を実施しようとしていたことが明らかになった。「事故機を救えた可能性もあった」という。

この証言を裏付ける行政文書を新たに入手した。今回はその内容を詳しく説明する。

また、元自衛官はもう一つ気になる証言をしている。事故発生後、現場に急行したのは、自衛隊のF4戦闘機2機と、米軍のC130輸送機だとされてきた。ところが、実はこれまで全くその存在を知られてこなかった米軍の戦闘機が1機、事故後の現場で飛行していたというのだ。新たな謎についても明らかにする。

自衛隊レーダーサイトの指令官が重い口を開いた

証言したのは、空自峯岡山分屯基地(千葉県、通称「峯岡山レーダーサイト」)で、当時、第44警戒群に所属し1等空尉だった吉田勝氏(84)だ。事故が起きた8月12日に、峯岡山レーダーサイトで当直指令官として、20数人の隊員の指揮を執っていた。

事故当日、自衛隊のレーダーサイトで当直指令官をしていた吉田勝氏

「日航機墜落の30分以上前に緊急信号をキャッチ。自衛隊機が緊急発進をして、事故機に随伴して飛行しながら助言をする「エスコートスクランブル」を上申した」と初めて証言した。ただ、民間機に対する前例はなく、結局、実施されなかったという。

実施されていれば、自衛隊機が事故機の破損状況を確認し、無事に着陸できるよう助言ができたかもしれないという。そうでなくても、かなりの時間がかかった墜落現場の特定が、もっと早くできていたかもしれない。

吉田氏は、エスコートスクランブルやレーダーサイト内部での対応について、詳細をメディアに語ったことはなかったが、「本当はしゃべりたくないが、自衛隊の事故への対応でネットや一部の書籍でデマが広がっていて、正したい思いがあった」として今回、証言をしてくれた。

政府答弁と異なる証言

この事故について政府は、国会等で「レーダーから日航機の機影が消えたとの情報を得て、自衛隊が緊急事態と認識し、アラート待機中だった百里基地のF4の2機を19時1分に発進させた」と説明してきた。

また、運輸省航空事故調査委員会が事故の2年後、1987年6月19日に出した「航空事故調査報告書」でも、「防衛庁は救難調整本部から日航123便の機影が18時57分ごろレーダーから消えた旨の情報を受けた後、緊急事態と認識し19時01分対領空侵犯措置のため地上待機中の航空機2機を発進させ、…」としている。

ただ、これまでの自衛隊関係者の証言では、レーダーから日航機が消える前に緊急信号を受信していたことは知られている。今回の証言では、早い段階で「緊急事態」と認識した時の、自衛隊での現場の状況が初めて具体的に浮かび上がった。

証言を裏付けるため、私は証拠となる行政文書などが残っていないか探した。

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