無呼吸症の医療器具が心配…疑問にお答えします
夜中に何度も呼吸が止まり、十分な眠りが取れなくなる「睡眠時無呼吸症候群」。その治療に使われる米フィリップス製のCPAP装置(空気を鼻から送り続ける医療器具)などに問題が見つかり、2年たったいまも自主回収が続いています。
この問題、スローニュースで『無呼吸症の医療器具で「健康被害のおそれ」、いまだ回収中で被害報告も』として報じて以来、様々な質問や問い合わせを受けています。
そこで今回、患者にとってどんなリスクがあり、持っているCPAPは大丈夫なのかなどについて、取材した記者の萩一晶さんにポイントを整理してもらい、回答していただきました。
Q 問題となったCPAPの防音材って、どういうものですか?
防音材は器具本体の内部、空気の通り道に入っており、特殊ドライバーを使って裏ブタを開けないと見ることができません。黒っぽい色をしたポリウレタンで、スポンジのような素材です。
この素材が劣化すると、①細かい粒子となる、②揮発性有機化合物(ガス)を放出する、という二つの問題を起こし、患者がマスクから吸い込むことで健康被害を受ける恐れがあるとして、製品の自主回収が始まりました。素材が劣化して排出されたと思われる黒色の小さな粒が、空気の出口となるマスク付近で見つかったという報告もあります。「改善品」では、防音材は白いシリコーン素材に取り替えられています。
Q どのような健康被害の恐れがあるのですか?
米フィリップスは2021年のリコール発表当初、防音材の劣化により生じる微小な粒子にはジエチレングリコール(DEG)、トルエンジアミン異性体(TDA)、トルエンジイソシアネート異性体(TDI)という三つの化学物質が含まれている恐れがあり、最悪の事態としては気道の炎症や頭痛、喘息、腎臓や肝臓といった臓器への有害作用や毒性・発がん作用の可能性が考えられる、と説明しました。とりわけ肺に基礎疾患のある患者や心臓予備能が低下している患者には重大な問題となる可能性がある、とのことでした。
また、防音材の劣化により放出される揮発性有機化合物についても、ジメチルジアゼンなど2種類の化学物質が含まれている恐れがあり、最悪の事態としては目鼻や気道への刺激、吐き気、毒性・発がん作用の可能性が考えられるとしました。
その後、同社は軌道修正し、当初発表はデータが限られていて発がんの可能性を排除できなかったが、検証試験を重ねてわかったとして、「明らかな健康被害を招きそうにはない」と主張しています。しかし、FDAは製造元のこの発表の後も依然として「調査中」としており、取材に対し「この問題の健康被害リスクに関するFDAの考え方に何ら変更は生じていない」「私たちは違う結論に達するかもしれない」と答えています。
Q すぐにCPAPの使用をやめた方がいいのですか?
CPAPの使用を中断すると深い眠りが得られなくなり、日中に強い眠気を感じて交通事故を起こす恐れや、知的活動の低下につながる可能性が高まると考えられています。また、高血圧や糖尿病、心疾患、脳血管障害などの合併症の原因となる場合もあると指摘されています。
問題の発覚直後、日本呼吸器学会は医師に対し、まずは患者とよく相談し、患者の症状や職業事情(運転や危険業務があるか)を考慮しつつ、「治療を中断するリスクと治療継続のベネフィット」を勘案し、総合的に判断するよう求めました。患者の立場からすると、「健康被害を起こす可能性がある製品で治療を継続するリスク」も考え合わせ、他社製品への乗り換えも含めて判断したほうが良いと思われます。
ただ、米フィリップスは今年初めの時点で、世界の回収に必要な部品や器具の9割をすでに製造したと発表しています。日本国内での回収率は、フィリップス・ジャパンが公表を拒んでいるため詳細はわかりませんが、使用中の器具がすでに「改善品」に交換済みなら慌てる必要はないでしょう。しかし、体調に原因不明の異変を感じている場合は、以前の器具を使っていた期間と発症時期との関連を考えたほうが良さそうです。CPAPの「防音材の劣化の疑い」により、少なくとも49人に健康被害が出ていることが国への報告で明らかになっています。
Q 自分の持っている器具は大丈夫?
すでに改善品への交換が済んだかどうかがわからず、現在使用中の器具が安全かどうか、心配になる患者も出ています。実は、その見分け方は簡単。本体の横に「緑色の丸いシール」が貼ってあれば「改善品」に交換済みで間違いありません。
Q 使っていたCPAP装置が、自主回収された覚えがないのですが?
フィリップス・ジャパンは今回、CPAPの回収をする際に十分な説明や情報提供をしていないため、器具の「定期的な交換」と思い込んで応じた患者が少なくないようです。
たとえば、関東のある患者に届いたフィリップス代理店からの文書には、問題についての説明が見当たらず、定期的な交換と誤解されても無理のない内容でした。心配なかたは上の「緑色のシール」を確認してみてください。
Q すべてのCPAPが問題なの?
問題が発覚し、回収されているのは米フィリップス製のCPAPだけです。フィリップスは親会社ロイヤル・フィリップス(本社・オランダ)のもと、米国や日本を含む世界各地で事業展開している多国籍企業。CPAPの分野でも、レスメド(本社・オーストラリア)と並ぶ世界有数のメーカーです。業界関係者によると、日本市場でもこの2社が大きな割合を占めています。
しかし、フィリップス製CPAPの自主回収が始まった2021年以降、「防音材の劣化」が判明して自主回収しているメーカーは、フィリップス以外にはありません。レスメドはフィリップスの問題を受け、「レスメドの製品は安全」とするCEOの声明をホームページに掲げ、「我々のチームが選んだポリエステル系ポリウレタンの素材は他の素材よりも水に強く、湿気の多い環境への耐久力がもっとある」と説明しています。
Q 日本の大手メーカーなら安心なの?
「私は帝人だから安心」「フクダ電子の器具だったら問題ないよね」といった声も方々から届きました。これは、間違いです。帝人とフクダ電子は日本の会社でCPAPを幅広く扱っていますが、CPAPの製造はしていません。あくまでも代理店で、扱っている器具は主にフィリップスやレスメドの製品です。
Q なぜフィリップスのCPAPだけが問題になっているの?
今回、問題が起きた箇所は「ポリエステル系ポリウレタン製の防音用発泡体」です。ウレタンフォーム工業会によると、ポリオールとポリイソシアネートという二つの化合物を反応させ、ウレタン結合を起こしてできるのがポリウレタン。その工程で発泡剤も加えると、通気性のある「軟質ポリウレタンフォーム」ができます。台所用スポンジや車の座席シート、マットレスなどに幅広く使われている素材で、CPAPの防音材もこれに当たると見られています。
「軟質ポリウレタンフォーム」は、原料のポリオールの違いによって種類があり、フィリップスやレスメドが採用したポリエステル系だと油に強く、機械的な強度も高いものの、水に弱くて加水分解しやすいのが欠点。ただ、素材メーカーは難燃剤や安定剤、充填剤など様々な添加物を加えて特定の用途に合わせた製品をつくっており、同じ「軟質ポリウレタンフォーム」でも品質が違うことはあり得るそうです。
「国産の製品なら簡単に劣化するとは考えにくい」と工業会。海外では安価な素材も流通しているといい、1社の製品にだけ問題が出た理由を解明するには、まずは当事者であるフィリップスが防音材の素材としてどこで、どんな添加物を加えて作った製品を採用したのかを明らかにする必要があるようです。
Q 「健康被害を受けた」と感じた場合、どこに届ければいい?
医療器具によって「健康被害を受けた」と患者が感じた場合、米国では有害事象報告(MDR)制度に基づいて規制当局のFDAに届け出ることができますが、日本にはそもそも患者が報告できるような公的な窓口がありません。
医薬品については2019年に厚生労働省の関連組織、医薬品医療機器総合機構(PMDA)が「患者からの医薬品副作用報告」の受け付けを始め、安全対策に生かされていますが、医療器具については対象外となっているのです。
Q 問題が発覚したあと、フィリップス・ジャパンはどのような対策をとったの?
防音材をシリコーンに取り替えた「改善品」との交換
最初からシリコーン素材を採用した新品との交換
同様の機能をもつ他の製品との交換
という三つの方法をとっています。ただし、国内で34万台ものCPAPの交換には時間がかかるため、それまでの「安全措置」として、同社は「微粒子の吸入を軽減するためのフィルターを提供する」と国や東京都に説明していました。吸い込むマスクの手前にフィルターをはさんで、0.3μm(マイクロメートル=ミクロン)以上の大きさの粒子状物質を濾し取ろうという方法です。
しかし、「フィルターは患者の1割程度にしか配らなかった」と話す代理店もあり、実際にどの程度の患者に配布されたかは不明で、同社はその詳細も明らかにしていません。
さらに、フィリップス側は器具レンタルの際に「同意書」を交わし、患者(ユーザー)の連絡先は把握しているはずなのに、米国で発覚した事態について直接の連絡は取りませんでした。患者のなかには問題発覚から1年以上もたって、器具交換のときに初めて事態を知った、という人も目立ちます。患者はその間、事実上放置され、リスクにさらされ続けたわけです。
Q 回収がまだ終わっていないのはなぜ?
フィリップス・ジャパンは2021年7月に問題器具の回収を始め、2年たったいまも回収を続けています。国民皆保険制度がある日本では、CPAP装置は医師の処方により使用が認められ、健康保険制度の対象となっているため、同社は器具の出荷先についてはすべて把握しており、ユーザーと連絡を取るのにこれほど長い時間がかかるとは考えられません。同社は新しい防音材を海外から輸入して国内で交換修理しているので、作業に時間がかかっているのだと思われます。
また、この製品回収をクラスⅠ(重篤な健康被害や死亡の原因となり得る状況)と位置付けた米国と違って、日本ではクラスⅡ(重篤な健康被害のおそれはまず考えられない状況)に分類されたことで、「一時は騒然としかけたが、クラスⅡとなって落ち着いた」と話す医師もいます。製造販売元の自主判断をもとにクラスⅡに分類された結果、問題の「危険度」が低く受け止められた可能性も否定できないでしょう。
Q なぜこの問題は知られてこなかったの?
ヘルスケア産業の大手であるにもかかわらず、フィリップス・ジャパンは今回の問題で、ユーザーにきちんと説明をした形跡が見当たりません。ホームページに掲げられている説明は、2年前の自主回収開始当時の大まかな説明のままで、問題の詳細やその後の状況変化はまったくわかりません。
広報責任者の名前も電話番号も公表しておらず、メディアからの取材はメールでのみ受け付けて、本社玄関で「回答が届くのかどうか」を問うと「ご縁があれば」という返答でした。
一方で、米フィリップスや親会社ロイヤル・フィリップスのホームページを見ると、広報責任者の顔写真と電話番号を掲げ、少なくとも社会に窓を開いています。外部組織の協力を得て進めてきたという検証結果(英文)も2021年12月、2022年6月と12月、2023年5月とほぼ半年おきに発表し続けており、患者や医療関係者に説明しようという姿勢がうかがえます。日米で大きな情報格差が生まれている状況です。
Q 会社の説明が不十分でも、行政が対応してくれないの?
米国では、規制当局のFDAがこの製品の自主回収を最も危険度の高いクラスⅠと位置付けて重視し、米フィリップス本社に査察に入るなど、人々の「健康と安全」を最優先とする強い姿勢で臨んでいます。さらに患者の間で「回収されていると知らなかった」「情報提供が不十分だ」といった不満が高まっていると察知したFDAは昨年3月、同社に対して行政命令を出し、製品回収を進めている事実や健康被害のリスクについて、患者や医療関係者にきちんと知らせるよう強く求めました。
一方、日本では、自主回収の重要度を示す「クラス分類」が業者側の自主判断に任されている状況です。規制当局の厚生労働省や東京都が、FDAのような独自の調査や検証を行うこともありませんでした。行政の対応に、「本気度」の違いを感じます。
患者に対する情報提供についても、FDAはホームページで何度も情報を更新し、患者が取るべき対応や考慮すべきリスク、FDAの取り組みなどを詳しく説明し、最新情報を発信していますが、日本の規制当局は患者の立場にたった情報発信は何もしていません。
その理由を問うと、厚生労働省は「発信するかどうかはモノにもより、新型コロナワクチンに異物混入があったときには、その対応をホームページで発信した。フィリップスの件は、(日本では)クラスⅡとなったことの影響が大きい」(監視指導・麻薬対策課)、東京都は「自主回収の事案に行政が介入するわけにはいかないから」(薬事監視担当課長)と説明しています。
【健康被害などの情報提供を求めています】
取材・撮影 萩 一晶
フリーランス記者。1986年から全国紙記者として徳島、神戸、大阪社会部、東京外報部、オピニオン編集部などで働く。サンパウロとロサンゼルスにも駐在。2021年からフリー。単著に『ホセ・ムヒカ 日本人に伝えたい本当のメッセージ』(朝日新書)、共著に『海を渡る赤ちゃん』(朝日新聞社)など。