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工場からの排水が流れるはずがない場所がなぜ汚染されたのか【スクープ連載『デュポン・ファイル』第8回】

国際機関から発がん性を指摘されている有機フッ素化合物の「PFOA(ピーフォア)」。三井・デュポンフロロケミカルの清水工場(静岡市)で半世紀以上にわたって使われ、工場の内外を汚染していた。その工場内の極秘データが収められた「デュポン・ファイル」を入手。5万ファイルに及ぶ膨大な資料を紐解きながら、「地下水汚染」「排水汚染」「大気汚染」「体内汚染(従業員)」の実態を4週にわたって描く調査報道シリーズの連載第8回。

前回は汚染水排出をめぐるずさんな管理や、抜本的な対策が見送られた実態を明らかにしたが、汚染は予想外の範囲にも広がっていた。第3週は「大気汚染」の実態を追う。

フリーランス 諸永裕司


工場から地下水が流れるはずがない地区でなぜ汚染が

だれもが首を傾げていた。

三井・ケマーズフロロプロダクツ(MCF)の清水工場から5キロほど離れたところでも、地下水が高濃度のPFOAに汚染されているのはどうしてなのか――。

静岡市調査より 工場は地図外の上(北側)にある(以下同)

静岡市の調査によると、工場のある三保地区の南に隣接する折戸地区では、最大で国の目標値の7.2倍にあたる410ナノグラム、その南の駒越地区でも3倍〜4.2倍にあたる150〜210ナノグラムが検出されている。工場から距離が離れているため、工場排水によるものとは言えない。では、地下水脈でつながっているのだろうか。

静岡市は地下水流を解析した結果を、昨年12月12日に発表した。以下、資料から引用する。

<地下水は当該工場のおおよそ南側から北側に流れる傾向があり、工場から折戸方向への流れはない>

そもそも、折戸地区や駒越地区の方向へは流れていないという。

<三保、折戸地区では(略)「PFAS濃度が淡水地下水の動きによって隣りの地区へ移動する」という現象は生じない>

工場がある三保半島では、それぞれの地区で地下水が独立した形状になっているため、水脈がつながって汚染が広がっていくこともない、というのである。

静岡市資料より

地下水の流れは方向が違うだけでなく、汚染が広がる要因さえない。そうなると、折戸地区や駒越地区の地下水の濃度が高い理由はどう理解したらいいのか。静岡市は、次のように結論づけた。

<三保地区からの淡水地下水の流入ではなく、別の理由があると考えられる>

だが、それが何によるものなのかまでは書かれていない。担当者によると、現時点ではわからないという。

地元で地質学を研究する北村晃寿・静岡大学教授(地球科学)も地下水以外の要因があると見る。

「地下水は基本的に、降った雨が地表を通じて土壌に染み込んだあと、標高の高いほうから低いほうへと流れていきます」

静岡市作成の地下水等高線を見ると、地下水は水位の高い赤いところから、水位の低い青いところへ流れている。清水工場は図の中心の赤い枠で囲った場所にある。水色から青、つまり水位の低い地域だ。

静岡市資料より 赤い枠は編集部で加工

このことから、工場で汚れた地下水が、地図の下方に位置する折戸地区へ流れ込んでいくことは理屈上ありえない、と北村教授は指摘する。駒越地区はさらに遠く、水の流れは全く逆になる。

ではなぜ、工場から離れた地区の地下水まで汚れているのか。しかも、工場では10年以上前にPFOAの使用を止めている。北村教授は言う。

「可能性があるとすれば、地下水ではなく大気でしょう。当時、工場から吐き出された汚染物質が上空にあがって拡散し、雨となって広範囲に降り注いだと考えられます」

汚染は「空から降ってきた」

汚染は実は空から――三保地区で代々受け継いできた畑を持つ70代の男性は、そう聞くと合点がいく、という。

自宅は工場から500メートル圏内とは言え、南側にある。静岡市の調査結果によれば、地下水は南側から北側に流れるとされていることを思うと、なぜ汚染されたのかが不思議だった。喉に刺さった小骨のように引っかかっていた。

退職後のいま、トマト、キュウリ、枝豆……など、野菜づくりが日課だ。土に触れ、水をやり、作物が育つ。成長を見るのが楽しみだ。夫婦で食べるほかは、こどもや孫に送り、知り合いにお裾分けしてきた。

工場による汚染が報道された昨年秋、専門家に地下水の濃度を測ってもらった。234ナノグラム。国の目標値の4倍を超えていた。かつて水質検査でお墨付きをもらったはずの地下水はいつの間にか汚れていた。

考えてみると、当時はPFOAが検査の対象になっていなかっただけなのだろう。ずっと前から汚されていたと考えると、裏切られた、との思いが拭えなくなる。

「飲んではいけないといいながら、野菜づくりについては『知見がない』といって、市は判断を示してくれない。本当にこのまま作り続けて大丈夫なのでしょうか。今年の枝豆づくりはあきらめたほうがいいかな、と思いはじめています」

男性は長年、財布に入れて持ち歩いてきたものがあるという。白く、平らで、小ぶりな靴べらだ。

「もう30年ほど前のことですが、工場わきのグラウンドでケミカル(注:三井・デュポンフロロケミカル)の夏祭りにこどもを連れて行ったとき、もらったんです。小ぶりで柔らかく、よくしなるので、靴に足がスッと入るんです」

関係者によると、靴べらは、当時フッ素樹脂製品に使われていた素材を加工したもので、地元対策として配られていたという。

汚染を知ってから、男性は靴べらを使うのはやめようとも考えた。でも、手に馴染み、持ち運びもできる。その便利さを手放せず、いまも財布の中にある。とはいえ、靴を履くたびに複雑な気持ちになる。

「地下水が汚染されているのはなぜだろうって考えているうちに、思い出した光景があるんです」

夜中に台所に立ったとき、あけたままの小窓の向こうに、白い煙が出ているのが見えた。工場から何が出ているのか。ただの蒸気か、それとも有害なものが含まれているのか。見てるだけではわからないが、気にかかった。それが何度かあった。いつのことだったか記憶は曖昧だが、こんな夜更けになんでだろう、と思ったことだけはよく覚えているという。

「もしかして、PFOAで汚れた空気が吐き出されていたのでしょうか。それが空に上がり、雨ともに地表に降り、そのまま土壌を通して地下水を汚した、ということなのか」

清水工場(撮影:諸永裕司)

MCFは記者会見を開かず、限られた情報をホームページに載せる以外、公式に説明はしない。自治会を通じて配られるチラシには、浄化対策に取り組むなどと記されているが、知りたいことは書かれていない。

「地下水の汚染など、工場周辺のことはいろいろ報道されています。でも、その汚染がなぜ起きたのか。工場の中で何が行われていたのか。出発点となるべき、肝心な情報がまるでないのです」

そもそも、工場から離れた地区でなぜ、深刻な地下水汚染が起きているのはなぜなのか。
そして、いつか見た、夜空にたなびく白い煙は何だったのか。

ふたつの疑問に答える手がかりが「デュポン・ファイル」の中にあった。

現在配信中のスローニュースでは、あまりにも高濃度だっため「封印」された大気汚染のデータや、排気ガスの浄化装置でトラブルが相次いだことなどを極秘資料をもとに明らかにしている。

諸永裕司(もろなが・ゆうじ)

1993年に朝日新聞社入社。 週刊朝日、AERA、社会部、特別報道部などに所属。2023年春に退社し、独立。著者に『葬られた夏 追跡・下山事件』(朝日文庫)『ふたつの嘘  沖縄密約1972-2010』(講談社)『消された水汚染』(平凡社)。共編著に『筑紫哲也』(週刊朝日MOOK)、沢木耕太郎氏が02年日韓W杯を描いた『杯〈カップ〉』(朝日新聞社)では編集を担当。アフガニスタン戦争、イラク戦争、安楽死など海外取材も。
(ご意見・情報提供はこちらまで pfas.moro2022@gmail.com