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「あまりの高濃度」で封印された大気汚染のデータ【スクープ連載『デュポン・ファイル』第9回】

国際機関から発がん性を指摘されている有機フッ素化合物の「PFOA(ピーフォア)」。三井・デュポンフロロケミカルの清水工場(静岡市)で半世紀以上にわたって使われ、工場の内外を汚染していた。その工場内の極秘データが収められた「デュポン・ファイル」を入手。5万ファイルに及ぶ膨大な資料を紐解きながら、「地下水汚染」「排水汚染」「大気汚染」「体内汚染(従業員)」の実態を4週にわたって描く調査報道シリーズの連載第9回。

工場からの汚染水が流れるはずがない場所で、なぜ濃度が上がっているのか。背景にあったのは「大気汚染」だった。今回は汚染されたガスの放出の実態と、その後の対策がどのように行われたのかを読み解く。

フリーランス 諸永裕司


「あまりに濃度が高いので門外不出とされていた」そのデータとは

かつて、PFOA(通称C-8)を含んだガスは清水工場から大気へと放出されていた。その後、上空にあがってから拡散し、再び地上に舞い戻っていた。

それを裏づける資料が「デュポン・ファイル」の中にいくつかある。

もっとも衝撃的なのは、2004年に作成された一枚の濃度等高線図だ。

実際にプラントから出るガスの量を、風向きなど2002年の気象条件をもとに、デュポン本社が計算したものだ。大気に放出されたPFOAが地表に到達したときの濃度が、右上に太字で記されている。

「13μg/㎥」というのは、当時、デュポン本社が基準としていた「0.3μg/㎥」の約46倍という高さになる。

図をみると、拡散したPFOAは、ピンク色の線が示す工場境界の南西角あたりを中心に瓢箪のような形で東西南北に膨らんでいる。外側にいくほど濃度は低くなるが、灰色で塗られた地域でもデュポンの基準を上回る「1.0μg/㎥」と示されている。

連載でこれまでに触れてきたように、2004年は、PFOAの使用中止という方向への流れができ、排出削減を進めていた時期と重なる。

「このデータはあまりに濃度が高いので限られた一部の関係者だけで共有され、門外不出とされていたものです」

ある関係者はそう打ち明けた。

ただし、この図は最も濃度が高い地点から東と北は300メートル、西と南は150メートルほどの範囲で切り取られており、実際にどこまで広がっていたのかはわからない。このため、工場から南へ数キロ離れた折戸地区や駒越地区で見つかっている地下水汚染への影響は判断できない。

現在の清水工場の排気塔(撮影:諸永裕司)

排気ガスを浄化しないまま大気に放出していた

だが、PFOAが工場から大量に放出されていたことは別の資料からも確認できる。

ここから先は会員限定です。排気ガスはどのように放出されていたのか、そしてその後の対策はどのようなものだったのか。極秘資料を読み解きます。

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