【Photoルポ】鈴木萌「泡の記憶」 目に見えず、味も匂いもない。その物質はなにをしたのだろうか
目に見えず、味も、匂いもない。
初めて目撃したのはテレビのニュース映像だった。
4年前の春、大きな綿菓子のような白い泡のかたまりがふわふわと川の上を流れ、風に舞っていた。
それは、航空機の火災事故が起きたときに使う泡消火剤で、沖縄の普天間基地から誤って漏れでたものだ、とアナウンサーは言った。
揺れるように流れる白い泡はどこか現実離れしていて、怖さも恐ろしさも感じさせない。
空中を舞う泡消火剤の白い泡を目にしたとき、保育園児たちは近くでよく見かける街路樹の「トックリキワタ」みたい、と言ったという。
ちょうど、『底翳(SOKOHI)』と名づけた作品集を仕上げたばかりだった。フリーランスのビジュアルアーチストとして、緑内障によって徐々に視力を失っていく父親にカメラを向けたものだ。(2021年、「アルル国際写真フェスティバル」ダミーブック賞受賞)
次になにを撮ろうか。大きな白い泡を見たのは、そんなときだった。
そういえば、沖縄に行って東京に戻るたび、もやもやとした思いを抱えてきた。
「どのリゾートに泊まったの?」
「あの海には行った?」
聞かれるのは、青い海と青い空にまつわることばかりだった。
でも、島ではオスプレイの轟音が耳を刺し、新たな基地のために海が埋め立てられている。
私が見てきた沖縄はどこにあるのだろう。まるでパラレルワールドに迷い込んだような気持ちになった。
そして、大きな白い泡は、飲み水まで汚してしまった。その中に含まれていたのが、PFAS。「永遠の化学物質」と言われる危険な有機フッ素化合物だった。
とはいえ、汚染がひどいというガー(湧水)に行っても水は澄んで、うなぎが泳いでいたりする。泡消火剤を撒き散らしていた基地が見えても、フェンスの向こうにはたどりつけない。
PFASによる「被害」ははっきりと目に見えず、とらえどころがない。
それだけに、写真として切り取ることはできないだろうか。沖縄に通いはじめた。
こどものころによく遊んだ公園を訪れると水が止められていた、とSNSにつづった宜野湾市の28歳の女性がいた。
毎朝飲んでいた水道水に代わり、実家には浄水器が置かれているという。
彼女が使っていたコップ1杯の水を撮った。
汚染源とみられる嘉手納基地のわきを流れる比謝川には「大蛇伝説」があり、毎年6月ごろ屋良ムルチ(溜池)で祭事が行われる、と聞いた。
大蛇を鎮めるため川に投げ込まれるという卵3個を撮った。
普天間基地の近くで生まれ育ち、低体重で産んだ赤ん坊に先天性異常が見つかったという母親はずっと、私のせいでと自分を責めてきたという。
彼女の左手と、母子手帳を撮った。
汚れていると知らされないまま、地域にある簡易水道の管理を続けてきたという男性に会った。PFAS汚染は深刻だと思う自分と、病気になったわけではないから問題ないと思いたい自分と、2人の自分がいると語った。
取水源となる湧水の近くで、彼の姿を撮った。
足掛け3年にわたり20人にカメラを向け、撮影したカットは数えきれない。
その中から選んだ56点を近く、写真展で発表する。2月10日から東京都墨田区のギャラリーで、5月には京都で開く。タイトルは「Aabuku」。
そこに込めた思いを、鈴木萌さんはこう話す。
「あのとき飲んだ水に、手ですくった水に、畑にまいた水にPFASは含まれていたのだろうか。泡(あぶく)の記憶の断片をたぐりよせながら自分なりに考えようとしている人たちがいます。その姿から、つかめそうでつかめないPFASについて思いをめぐらせていただければうれしいです」
諸永裕司(もろなが・ゆうじ)
1993年に朝日新聞社入社。 週刊朝日、AERA、社会部、特別報道部などに所属。2023年春に退社し、独立。著者に『葬られた夏 追跡・下山事件』(朝日文庫)『ふたつの嘘 沖縄の密約1972-2010』(講談社)『消された水汚染』(平凡社)。共編著に『筑紫哲也』(週刊朝日MOOK)、沢木耕太郎氏が02年日韓W杯を描いた『杯〈カップ〉』(朝日新聞社)では編集を担当。アフガニスタン戦争、イラク戦争、安楽死など海外取材も。
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