無名ながら都知事選で15万票獲得!安野貴博氏が語るデジタル民主主義の真髄
過去最多の56人が立候補を届け出た今年7月の東京都知事選。その中で15万票を獲得し注目を集めたのが、人工知能(AI)エンジニアの安野貴博氏(33)だった。
「テクノロジーで誰も取り残さない東京へ」と標榜し、AIなどを活用して民意を政策に反映する「デジタル民主主義」を実践。幅広い有権者の声を集めて支持を広げた。その試みは、台湾の元デジタル担当大臣オードリー・タン氏が太鼓判を押すほどだ。
そんな都知事選の熱が冷めやらぬ7月25日、東京都内で開催された国際カンファレンス「Funding the Commons」では、この2人によるトークセッションが実現した。
安野氏は、一方的に自身の主張を伝える「ブロードキャスト」ではなく、広く民意をすくい上げる「ブロードリスニング」の重要性を説き、いかにテクノロジーを用いたのか、そのプロセスを明らかにした。
スローニュースでは、トークセッションの様子を前後編にわたってお届けする。前編では安野氏が都知事選での自身の取り組みを振り返るトークの模様を紹介しながら、日本の政治をアップデートしうるデジタル民主主義の可能性、そして、その真髄をお伝えする。
なお、対談は英語で行われ、筆者の責任で翻訳・編集した。
取材執筆 石神俊大
AIとGitHubを活用し15万票を獲得
AIエンジニア、起業家、SF作家と多彩な顔を持つ安野貴博氏が、まったくの無名ながらデジタル・テクノロジーを活用することで15万票を獲得したことは、大きな話題を呼んだ。
安野氏は「政局より政策を、そしてその先の未来を」をメッセージに掲げ、立候補者が一方的にマニフェスト(選挙公約)を伝える「ブロードキャスト」ではなく、多くの民意をすくい上げる「ブロードリスニング」を標榜。AIやソフトウェア開発プラットフォーム「GitHub(ギットハブ)」を選挙活動に取り入れながら、世界的にも近年注目されるデジタル民主主義の実践に取り組んだ。しかし、その挑戦は決して容易なものではなかったと安野氏は振り返る。
「6月初めに記者会見を開いたとき、メディアの反応は非常に冷ややかでした。しかし、無名だったにもかかわらず、私は最終的に15万票の獲得に成功しました。これは政治経験をもたない無所属の候補者のなかでも、これまでの30代候補者のなかでも、史上最多得票数だったのです」
大切なのは3つのプロセス
「インターネットやスマートフォンの普及によって、誰もが自分の意見を表明できるようになりました。しかし、これは問題でもあります。すべての意見に耳を傾けることは難しいからです。しかし、私たちは今、LLM(大規模言語モデル)によって自然言語を処理し、多くの情報をまとめられます。だからこそ、私たちはブロードリスニングによって多くの意見を取り入れ、選挙のコミュニケーションを双方向に変えていく必要があるのです」
こうしたブロードリスニングを実現するにはどうしたら良いのか。安野氏が強調したのは、そのプロセスを「リスニング」「ブラッシュアップ」「デリバリー」という3つのパートに分割し、このサイクルを高速で回す方法だ。
「リスニング」で民意を可視化
1つ目の「リスニング」は、より多くの民意をすくい上げて可視化すること。アメリカのNPO法人「AI • Objectives • Institute」が提供しているオープンソースソフトウェア「Talk to the City」を使うことで、X(旧Twitter)やYouTubeなどさまざまなソースから収集したコメントを処理し、人々の意見の全体像を可視化している。
「ブラッシュアップ」で政策を議論
続く「ブラッシュアップ」は、政策について議論する場をつくること。安野氏はGitHubを導入し、AIで有害なコメントを排除しつつ、わずか17日間の選挙運動期間中に200以上の課題を提起。うち半分以上にプルリクエスト(修正や改善の提案)が届き、マニフェストをアップデートし続けたという。
その成果は目に見える形で現れた。
早稲田大学マニフェスト研究所が主な候補者9人の検証したところ、点数(100点満点)が最高の50点だった。同研究所は対象者全員への総評として「生煮えの状態であり、とても事後検証可能なマニフェストとは程遠い」と厳しく指摘した一方、安野氏への個別コメントでは市民参加型でマニフェストがアップデートされていく点を「非常に面白い」と激賞した。
「これまでこんなスピードでマニフェストを更新することは不可能でした。早稲田大学マニフェスト研究所の評価で得た最高得点。これは過去10年間で最も評価が高かったようです」
「デリバリー」で最新のマニフェストを届ける
3つ目の「デリバリー」は、最新のマニフェストをきちんと市民に伝えること。CI/CD(継続的インテグレーション/デリバリー/デプロイ)と呼ばれる手法を取り入れ、ウェブサイトを自動的に更新した。
さらに、有権者からの質問に24時間回答できるようAI技術を駆使。独自に開発したアバター「AIあんの」がYouTube上で回答し続けたほか、電話とAIあんのをつなぎ、さまざまな問い合わせに対応できる環境を構築したという。
「選挙期間を通じて、AIあんのは、YouTube7400件、電話1200件で計8600件の質問に回答しました。言うまでもなく、私1人ではこれほど多くの質問に答えることはできないでしょう。私たちはこうしたツールを使うことで、市民と私、市民と候補者のコミュニケーションを拡大できたのです」
Plurality(多元性)は日本の政治を変えるのか
こうしたデジタル・テクノロジーの活用は、これまでの日本の選挙でほとんど実践されてこなかったものだと言える。
もちろん、一般的には開発者向けツールとして使われるGitHubを使い慣れている人は少なく、都内全域のあらゆる人々に安野氏の取り組みやメッセージが行き渡っていたとは言えないことも事実だろう。
しかしながら、今回の安野氏の取り組みは、これからの選挙のあり方を変えていく可能性を秘めている。
「私たちは、今回活用したブロードリスニングのシステムすべてをオープンソース化していきます。これから行われる選挙に立候補するあらゆる人々に、私たちの知識を公開していくのです。それは日本の選挙を変えていくための効果的な方法だと思っていますし、それこそがデジタル民主主義の実現につながっていくと考えています」
選挙を巡る取り組みは選挙期間中に集中してしまうため、選挙が終わると知識やノウハウが蓄積されることなく忘却されてしまいがちだ。安野氏は自身の挑戦をオープンソースソフトウェアとして広く公開していくことで、これからの選挙の在り方をも変えようとしている。
こうした挑戦の出発点となったのが、他ならぬオードリー・タン氏だったと安野氏は語る。
「オードリーさんが(経済学者のグレン・ワイル氏と上梓した)著書『Plurality: The Future of Collaborative Technology and Democracy』を読んで、私はブロードリスニングの概念を知ったのです。そして、自分自身で実践しようと考えるようになりました。この本は非常に刺激的でしたし、今日はオードリーさんに感謝をお伝えしたいです」
近年、オードリー氏やグレン氏が提唱している「Plurality(多元性)」の思想は、一つの視点や考え方だけでなく多様な視点や考え方を認め、テクノロジーと民主主義の共存を目指すものだ。
AGI(汎用人工知能)の登場によるシンギュラリティ(特異点、単一性)とは異なる未来を提示するPluralityは世界各地で広がるムーブメントとなりつつあり、その実践のひとつの形としてオードリー氏が取り組んできたデジタル民主主義にも期待が寄せられている。
安野氏の挑戦は、まさに日本でPluralityを実践するもの。それは日本の政治や選挙にどのような影響を与えていくのか。
スローニュースで現在配信中の後編では、オードリー氏と安野氏の対談の様子を伝えながら、現在のデジタル民主主義が抱える課題やこれからの広がりについて考えていく。