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飲み水のPFAS基準値は世界各国より大幅に緩い「1リットルあたり50ナノグラム」にと発表、このまま認められるのか

飲み水の基準値を発表、ところが…

その方針は、昨年のクリスマス・イブに発表された。

飲み水1リットル中に「PFOSとPFOAの合計50ナノグラム」としてきた目標値を、そのまま基準値とする。

環境省のもとにある「水質基準逐次改正検討会」は、水質管理の分類を「水質管理目標設定項目」から「水質基準」に引き上げることで水道事業者に遵守を義務づける、という方針を決めた。

検討会は、水環境中の水質管理について検討する「PFOS・PFOAに係る水質の目標値等の専門家会議」と合同で開かれ、計13人の専門家(兼任4人)がオンラインで参加した。

目標値が設けられてから、まもなく5年となる。委員からは「さっさと(水質基準に)引き上げるのがいい」といった声が相次いだ。

水質基準の3段階(環境省資料より)

だが、その値を海外と比べると、隔たりは大きい。

アメリカのEPA(米環境保護庁)は昨年4月、「PFOS 4ナノグラム、PFOA 4ナノグラム」を規制値に定め、合計70ナノグラムから大幅に引き下げた。健康への影響を考えると事実上ゼロにすべきとされたが、浄水場の検査機器で調べられる下限値に合わせた。

また、すでに製造・使用が禁じられているPFOSやPFOAに代わって使われるPFHxS、PFNA、PFBN、GenXについても「10ナノグラム」なども新たに加えた。

このほか、PFASを個別に規制していくのではなく、グループとしてまとめて管理する潮流が広がっている。

たとえば、ドイツは「4物質の合計で20ナノグラム」または「20物質の合計で100ナノグラム」、カナダは「総PFASで30ナノグラム」を示している。さらに、環境意識の高い北欧では、PFOS、PFOA、PFHxS、PFNAの4物質について、スウェーデンが「合計4ナノグラム」、デンマークは「合計2ナノグラム」としている。

日本の基準値だけが緩い理由

一方、日本の基準値となる「PFOSとPFOAの合計50ナノグラム」が桁違いに大きいのは、根拠としているデータが古いためだ。

基準値は、食品安全委員会が摂取しても健康への影響がないとして設けた「耐容一日摂取量」にもとづいて決められた。その耐容一日摂取量を算出する根拠として使われたのは、2005年と2006年に発表された動物実験の結果だった。

つまり、PFASが社会問題となってから積み重ねられてきた、ヒトを対象とした疫学研究の結果は一切採り入れず、いまから20年前の動物実験のデータにもとづいて決められているのだ。

ちなみに、EPAはかつて、この動物実験のデータをもとに飲み水の健康勧告値を「PFOSとPFOAの合計70ナノグラム」としていたが、前述したように、「PFOS 4ナノグラム」「PFOA 4ナノグラム」へと引き下げている。

日本の飲み水は本当に安全と言えるのだろうか。

水質基準逐次改正検討会に出された資料

会議では、「安全側に立った考えに基づいている」という環境省の説明に、委員から異論はでなかった。むしろ、「重要な判断」「安全側の措置」と肯定する意見が相次いだ。

それでも、世界的に見れば、きわめてゆるい規制であることについては認識しているのだろう。浅見真理委員(国立保健医療科学院上席主任研究官)はこう発言した。

「現時点で適切ということだと思います。評価は国際的、科学的知見によっても変わってくるので、確定的という表現は(使わないように)検討してはどうか」

「基準値の10%程度を目標に」という意見も出たが…

また、青木康展委員(国立環境研究所名誉研究員)も手を挙げた。環境省の資料には「(健康影響に関する)情報が不十分」とあるが、この基準値づくりに反映されていない健康影響への懸念が実際にあるとしたうえで、こう語った。

「『情報が不十分な、有害性があるという物質』ということからすると、やはりこのベンチマークの10パーセント程度を、場合によっても一つの目標とするというのは重要なことであると思います」

ベンチマークとは、今回、水質管理の目標値を基準値にするのにともなって全国の浄水所の実態を調べるにあたり、目標値の10パーセントを超えるかどうかを目安としたことを指している。

いずれにしても、基準値は安全側に立って決められたものであるとの説明を受け入れながら、飲み水として提供するときはその10パーセント、つまりPFOSとPFOAの合計で「5ナノグラム」を目指すのがいい、というのである。

たしかに、リスク管理においては、合理的に達成可能な限り低くする「ALARA(as low as reasonably achievable)の原則」があるが、10分の1の濃度で管理するのが望ましいのであれば、そもそもの議論の前提が揺らぐような指摘ではないだろうか。

これを受けて、検討会の座長をつとめる松井佳彦・北海道大学名誉教授が、音声のミュートを解除した。活性炭を頻繁に交換するなどコストをかければ濃度を抑えられることを前提に、こう語った。

「合理的なコストということで考えれば、(PFOSとPFOAの)合算値で1桁台っていうのはけっこう厳しいんじゃないか。10パーセントにすると5(ナノグラム)になりますので、若干厳しいんじゃないかなというところは感じているところでございます」

基準値の10パーセントとなる「PFOSとPFOAの合計で5ナノグラム」を目指すのは技術的には可能だが、コストを考えると現実的ではないとの見方を示した。

その直後、環境省の担当者がすかさず発言した。

「50ナノグラムは一生涯、飲み続けても影響がないといったところの観点から算定しているので、それが満たされていれば水道水としても問題ないのかなというふうに考えております」

5ナノグラムに下げなくても50ナノグラムで健康への影響はない、と基準値の正当性をあらためて強調したのだった。

一瞬、光が当てられたかにみえた懸念は打ち消され、まもなく「PFOSとPFOAの合計で50ナノグラム」を基準値とする方針が正式に決まった。

PFOS、PFOAの検出状況(環境省資料より)

来年の春には正式決定へ

基準値が適用されるのは2026年4月1日とされる。

環境省の担当者は、まだ水質検査をしていない水道事業者や専用水道(大型井戸)の設置者が対応を取らなければならなくなる可能性があり、検査頻度が増えるため検査会社も準備に時間がかかるとして、「一定の猶予期間が必要」との見解を示した。

初めて目標値が設けられた2020年当時、「PFOSとPFOAの合計で50ナノグラム」というのはEPAより低く、世界でもっとも厳しいレベルのものだった。

だが、このまま基準値になれば、世界的なPFAS規制の潮流から大きく遅れをとることになる。規制が緩く、遅いだけでなく、PFOS、PFOAの代わりに使われている物質はいまも対象に入っていない。

環境省は今後、中央環境審議会の了承をえた後、食品安全委員会に諮問して答申をえたら、パブリックコメントを経たうえで春ごろまでに正式決定したい、としている。一度決まれば当面、見直されることはない。

日本のPFAS政策の基軸となる飲み水の基準値はこのまま認められるのか。

全国各地で汚染が確認されているPFAS。最新情報について、「諸永裕司のPFASウオッチ」で毎週お届けしています。


諸永裕司(もろなが・ゆうじ)

1993年に朝日新聞社入社。 週刊朝日、AERA、社会部、特別報道部などに所属。2023年春に退社し、独立。著者に『葬られた夏 追跡・下山事件』(朝日文庫)『ふたつの嘘  沖縄密約1972-2010』(講談社)『消された水汚染』(平凡社)。共編著に『筑紫哲也』(週刊朝日MOOK)、沢木耕太郎氏が02年日韓W杯を描いた『杯〈カップ〉』(朝日新聞社)では編集を担当。アフガニスタン戦争、イラク戦争、安楽死など海外取材も。
(ご意見・情報提供はこちらまで pfas.moro2022@gmail.com