【諸永裕司のPFASウオッチ】毎年50億円をかけている世界的にも貴重な大規模調査の結果が、ほとんど公表されていないのはなぜか
「永遠の化学物質」として問題になっているPFAS(有機フッ素化合物)の最新情報を伝えているジャーナリスト、諸永裕司さんの「PFASウオッチ」。前回の記事で、食品健康影響評価書(案)に欧米より遥かに大きい「許容摂取量(耐容一日摂取量)」が盛り込まれたことについて、全国からパブリックコメントが寄せられ、「パブコメ一揆」のような状況になっていることをお伝えしました。
今回は世界的にも例のない「エコチル調査」と呼ばれる調査の結果が、なぜかほとんど公表されていない実態を明らかにします。
4000通近くの意見が寄せられた
「パブコメ一揆」の結果が明らかにされた。
食品安全委員会は15日、PFASの「許容摂取量」を盛り込んだ評価書(案)に対するパブリックコメントの件数をホームページで公表した。
合計で3952通にのぼる。
食安委は「集計中で、いつ終わるかわからない」「最終決定する評価書で明らかにする」としていたが、前回の「PFASウオッチ」が出た2日後に方針転換した形だ。
世界的にも例のない「エコチル調査」とは
ところで、評価書(案)を決める過程では、ヒトへの影響をみる疫学研究が国内では少ないとの指摘が出ていた。議論の対象となった論文は、北海道大学の岸玲子・特別招聘教授のグループによる「北海道スタディ」くらいだった。
国内ではほかに疫学調査は行われていないのだろうか。
じつは、環境省が取り組む「子どもの健康と環境に関する全国調査」というものがある。エコロジーとチルドレンを組み合わせて「エコチル調査」と呼ばれ、全国10万組の母子を対象に2010年から続いている。
赤ちゃんが母親のお腹のなかにいるときから定期的に健康状態を確かめ、こどもたちの成長や発達に、どんな化学物質が、どのような影響を与えるのかを明らかにするものだ。
当初、こどもが13歳になるまでとされたが、より長期の追跡が必要として18歳まで引き上げられることが決まった。今後、40歳までの延長も検討されており、世界でもほとんど例のない大規模で長期的な疫学調査といえる。
調査する化学物質は多岐にわたるが、PFAS(有機フッ素化合物)としてはPFOSとPFOAが選ばれている。
対象となるのは、北海道から沖縄までの全国15地域。ただ、のちに高濃度の汚染が見つかった沖縄本島や東京・多摩地区、岡山県吉備中央町、岐阜県各務原市などは入っていない。
つまり、PFOSとPFOAによるこどもの健康への影響について、明らかな汚染がない地域で全国的な傾向をみるということになる。
なぜPFOS・PFOAの結果はほとんど明らかにされないのか
ただ、これまでに公表された研究成果は2件にとどまる。
こどもが4歳のときの「ぜん鳴・ぜん息との関係」(2023年10月31日)と、こどもが4歳までの「川崎病の発症について」(同12月7日)。どちらも摂取との関係はない、と結論づけられた。
だが、「妊娠・生殖、先天奇形、精神神経発達、免疫・アレルギー、代謝・内分泌系等に影響を与えているのではないか」という疑問(中心仮説)の解明に応えるものとは言えない。
エコチル調査は、環境省が企画・立案し、さまざまな大学の研究者が分析を担い、国立環境研究所(コアセンター)が中心となってとりまとめ、これまでに430件の研究成果を公表している。
ではなぜ、社会問題となり注目度も高いPFOS・PFOAについての知見がほとんど明らかにされないのだろう。
じつは、対象となる2万5千人の母親からの採血は2017年に終えている。2021年には、統計的な処理を済ませてデータも固定している。「そこから分析して、論文を仕上げるには3カ月もあればできる。その後に研究者間で精査するとしても、年単位でかかるものではない」と、複数の専門家が口にする。
環境省関係者は昨年末、「ほかにも10本ほどのテーマを走らせており、年度内(2024年3月末)には次々公表される見通しだ」と語っていたが、3月19日時点で新たに公表されたものはない。
「50億円投入の調査、タイムリーな公表を」
じつは、エコチル調査をとりまとめるコアセンターの次長である中山祥嗣氏は、食安委のWGの委員も務めている。早くにエコチル調査の結果を出すと、食安委による評価書の決定に影響を与えかねないとして公表を遅らせているのだろうか、と勘ぐりたくもなる。
エコチル調査を外部からチェックする企画評価委員のひとり中下裕子弁護士は、次のように指摘する。
「エコチル調査は規模の大きさだけでなく参加者の離脱率の低さからも、世界的に貴重な取り組みです。そのために毎年50億円ほどの税金が投じられていることを考えると、社会的関心の高いPFOS・PFOAについての分析はタイムリーに公表されることが求められます。また、調査で蓄積されたデータバンクは国民共有の財産と言えます。それだけに、血液のデータも学会などに提供して、より多角的な疫学研究に役立てられるようにすべきでしょう」
環境省はホームページにこう記している。
<エコチル調査の目的は、子どもの成長や健康に影響をあたえる「環境要因」をさがし、解明していくことです>
汚染のない地域のこどもたちへの健康にどんな影響があるのかないのか、を早く明らかにすべきだろう。その向こうには、高濃度の汚染が見つかった地域のこどもたちがいる。
諸永裕司(もろなが・ゆうじ)
1993年に朝日新聞社入社。 週刊朝日、AERA、社会部、特別報道部などに所属。2023年春に退社し、独立。著者に『葬られた夏 追跡・下山事件』(朝日文庫)『ふたつの嘘 沖縄密約1972-2010』(講談社)『消された水汚染』(平凡社)。共編著に『筑紫哲也』(週刊朝日MOOK)、沢木耕太郎氏が02年日韓W杯を描いた『杯〈カップ〉』(朝日新聞社)では編集を担当。アフガニスタン戦争、イラク戦争、安楽死など海外取材も。
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