【諸永裕司のPFASウオッチ】まるで「パブコメ一揆」…食品安全委員会に全国から意見殺到
「永遠の化学物質」として問題になっているPFAS(有機フッ素化合物)の最新情報を伝えているジャーナリスト、諸永裕司さんの「PFASウオッチ」。食品安全委員会のもとに設けられた専門家会議が1月末にとりまとめた食品健康影響評価書(案)。盛り込まれたのは欧米より遥かに大きい「許容摂取量(耐容一日摂取量)」でした。それに寄せられたパブコメの内容とは。
まるで「パブコメ一揆」
食品安全委員会が初めて示したPFASの「許容摂取量(耐容一日摂取量)」に対するパブリックコメントが7日に締め切られた。
米環境保護庁(EPA)の暫定案と比べて最大で666倍、欧州食品機関(EFSA)の60倍以上。規制強化へ向かう世界の潮流に逆行するかのような値だけに、コメントは「かなりの数にのぼる」と関係者はいう。
この国に科学はあるのか――。
そんな思いが、PFAS汚染問題に取り組む市民の間に渦巻いているのは間違いない。
沖縄、岡山、大阪、兵庫、愛知、岐阜、東京、神奈川など全国の汚染地域の人々がコメントを寄せた。「パブコメ一揆」とも言えるような状況が生まれたのは、食安委の出した数値だけでなく、その根拠にも十分な説得力がないと受け止められたからだろう。
専門家もパブコメで批判
そのなかには専門家もいる。
遠山千春・東大名誉教授(環境保健学・毒性学)は国立環境研究所での勤務経験もあり、WHO、厚労省や環境省の審議会・専門委員会だけでなく、まさに食安委の汚染物質調査専門部会で2013年まで10年間、委員を務めていた。
「許容摂取量を盛り込んだ評価書(案)を読んでみて、このまま出たらAIですぐに翻訳されて国際的にも恥をかくと思ったのです」
科学的な問題点を書きはじめると、ゆうに5000字を超えたが、食安委のホームページから投稿フォームを開いてみると、字数が500字に制限されていた。パブコメをガス抜きとしか思っていないのかとあきれつつも、ファックスで送ったという。
遠山名誉教授は言う。
「欧米ではPFASのうち9物質以上のリスク評価をしているのに、3物質しか対象としないなど、最新の科学的知見に基づいてリスク評価する、という前提からはずれています。ヒトを対象とした疫学研究の結果を『一貫性がない』として退けただけでなく、『国際的に統一された評価モデルもない』としています。健康影響について世界中の研究者が一致するまで、日本は何もしないというのでしょうか。首を傾げざるをえません」
それだけではない。「リスク評価を担う食安委はホームページで『リスク管理と機能的に明瞭に分離し、独立性を確保しつつ行う』と謳っているが、評価書(案)では『無理なく到達可能な範囲でできるだけ低くすべき』と、管理する立場から記載している」と遠山名誉教授は指摘する。
「これでは、厚労省・環境省といった水質基準担当のリスク管理機関に配慮した評価と言われてもしかたないでしょう」
コメントの件数は行政手続法で公表が義務づけられているが、食安委は「いま集計中で、いつ終わるかわかりません」という。数字の持つインパクトからか、できるだけ公表を先延ばししたいということだろう。
説得力がない数値の根拠
食安委が設けたPFASワーキンググループ(WG)の専門家たちも認めるように、この許容摂取量は汚染がないとされる地域の大人を対象としたものでしかない。各地で明らかになっている高濃度汚染地域やこどもなど、汚染の影響を受けやすい人たちは想定されていない。
全国でもっとも深刻な飲み水汚染が起きた岡山県吉備中央町や、広い範囲にわたって高い濃度が検出された東京・多摩地区などのこどもたちも声を届けた。
振り返れば、私がPFAS汚染について取材をはじめたころ、厚労省や環境省の担当者は「健康への影響については海外を含めた知見が十分にない」として、規制に踏み切ることはできないと説明していた。
2019年春には、次のようなセリフを耳にした。
「欧米で多くの研究が行われているとはいっても、あくまで動物実験によるものです。ヒトの疫学研究とは異なるだけに、そのまま採用することはできません。そのため、今後も知見の集積に努めていきます」
その3カ月後、厚労省は突然、飲み水の目標値を設けると発表した。それにともない、環境省も川や海の水質について指針値を設けることになった。
「知見の集積」から一転、「目標値の設定」へと動いたのはなぜか。理由について、厚労省の担当者は明確に答えることはなく、決定過程でつくられた文書を開示請求すると「不存在」とされた。
8年前にタイムスリップした日本の目標値
そして2020年、厚労省は水質管理の「目標値」を初めて設けた。その際、参考にしたのは、EPAが動物実験の結果に基づいて2016年に決めた健康勧告値(PFOSとPFOAの合計で70ナノグラム)だ。
結局、厚労省はヒトとは異なるので採用できないとしていたはずの動物実験の結果をもとに目標値を弾き出したのだった。
食安委のWGは今回、257本の論文について検討したものの、疫学研究の結果については「一貫性がない」として採用しなかった。世界の知見を切り捨てた代わりに拠り所とした動物実験の結果は、2016年のEPA勧告値がもとにしたのと同じものだったのだ。
つまり、PFASによる健康影響についての科学的な評価が日本では8年前のまま止まっていることになる。
「不適切にもほどがある!」
昭和から令和にタイムスリップした設定の同名ドラマが人気だが、PFASをめぐる食安委の判断は時代を先取りするどころか、過去へ後戻りしているかのようである。
パブコメを反映するのか
食安委は当初、この評価書案を3月下旬までに正式決定する見込みとしていたが、パブリックコメントを受けてどうなるのか。事務局の責任者である紀平哲也・評価第一課長にコメントを求めたところ、代わりに広報担当者から説明があった。
「今後、WGの委員の方々と相談しながらパブリックコメントへの回答案をつくります。そのうえで、あらためてWGを開いて再検討していただくか、このまま決定するかを決めることになります」
それを見極める時期について「現時点ではお答えできません」。
食安委によると、過去に「ヒ素」(2013年)や「トランス脂肪酸」(2012年)など、パブリックコメントを受けて再評価に至った事例はあるという。
諸永裕司(もろなが・ゆうじ)
1993年に朝日新聞社入社。 週刊朝日、AERA、社会部、特別報道部などに所属。2023年春に退社し、独立。著者に『葬られた夏 追跡・下山事件』(朝日文庫)『ふたつの嘘 沖縄密約1972-2010』(講談社)『消された水汚染』(平凡社)。共編著に『筑紫哲也』(週刊朝日MOOK)、沢木耕太郎氏が02年日韓W杯を描いた『杯〈カップ〉』(朝日新聞社)では編集を担当。アフガニスタン戦争、イラク戦争、安楽死など海外取材も。
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