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「会社代表の住所非公開は透明化に逆行し危険を招く」代替手段はあるとする澤教授の意見を全文掲載する

株式会社の登記簿には現在、代表者の名前と住所が掲載されていますが、一定の要件を満たせば掲載する代表者の住所を市区町村までにとどめ、それ以上の情報は非公開にできるようになります。省令の施行は10月1日です。

登記簿は会社代表の本人を特定できる数少ない情報で、不正な商取引や詐欺、反社会勢力の進出などを防止するため、非常に重要な役割を果たしてきました。その重要なルールが改正された経緯などについては、前回の記事で紹介しています。

法務省は省令改正前に募ったパブリックコメントを公表していますが、ほんの一部であり、しかも要旨を短く載せているだけです。そこで、実際には4000字に及ぶ重要な指摘を送っていた、ジャーナリストで早稲田大学教授の澤康臣さんが提出したパブリックコメントの全文を掲載します。

骨子

反対する。代表者の住所は本人特定に欠かせず、また反社会的勢力とのつながりを調べる有力情報でもあり、不法行為の賠償請求を逃れさせない資産確認の手がかりとして欠かせない。国際調査で日本の企業情報開示度は現状でも低く、透明化の流れに逆行して情報秘匿が拡大すれば無責任な匿名会社による違法取引や犯罪収益隠匿が横行するタックスヘイブン化の危険を招く。起業促進は責任ある社会参加の拡大であるべきだ。折衷案として「窓口では開示、ネットでは非開示」にすれば身元確認や閲覧者開示などセーフガード策も導入できる。

本文

「商業登記規則等の一部を改正する省令案」に対し、会社の代表者の住所が開示されることは企業活動の透明性および責任の維持の上で極めて重要であることから、反対する。

1.住所は代表者の特定に欠かせないこと

会社はビジネスをはじめ社会的活動を行うものであり、その活動が責任あるものとなるには、会社の素性や背景の情報開示が欠かせない。「代表者は誰か」はその根幹である。これが開示されなければ、ビジネス相手が反社会的勢力、独裁国家機関ダミーなど望ましくない関係者であるか確認できない。消費者トラブル、環境問題など社会問題の責任解明を市民の調査検討によって行うことも著しく困難となる。捜査当局、行政機関にとっても捜査・調査の障害にになりえる。

代表者に同姓同名者がいる可能性は常にあり、住所が分からない限り本人特定はできない。また住所から経営者は反社会的勢力とのつながりが判明することもあり得る。会社代表者の住所不動産が、反社会的勢力の関係者から譲渡されたと判明することも、そのようなものではないと判明するためにも不可欠であろう。また、様々な消費者問題や環境問題、労働問題での真相解明や責任追及にも住所情報が貴重な手がかりになり、損害賠償請求に絡んだ財産調査にも欠かせない。

2.世界の「情報開示拡大」の流れに逆行

タックスヘイブン(租税回避地)ではこうした情報が隠され、いわば「匿名会社」が容易に設立でき、違法取引、犯罪収益の隠匿、富裕層の税逃れ、政治家による資産公表逃れなどに用いられ、犯罪や国家収入毀損の温床となってきたことが、2016年の「パナマ文書」報道などで示された。それも契機となり、企業活動の透明性を高め、会社代表者だけでなく実質的所有者(UBO)の情報までも幅広く開示すべきだというのが国際社会の議論の一つの柱になっている。だが税逃れ防止や企業活動の透明性向上を目指す国際団体「タックス・ジャスティス・ネットワーク」の2022年国際調査https://fsi.taxjustice.net/#
では、企業・経済活動の透明性ランキングで日本の透明性は141の国・地域中63位、先進国では最低レベルに甘んじている。

法務省が2018年に代表者住所の非開示を検討した際、共同通信の同年8月18日配信記事は、国際企業の税逃れ問題に取り組む「タックス・ジャスティス・ネットワーク・ジャパン」の青葉博雄運営委員の次のようなコメントを掲載している。

「公正な税制のため、企業の「真の所有者」など実態を監視するには税務当局のほか研究者や市民団体、報道機関の検証が欠かせない。そのための情報開示の基本が会社代表者の特定だ。法務省も今回の改定作業の中で代表者特定のため重要だとして住所を登記する意義は認めている。個人情報を保護するなら、ネット閲覧を制限し法務局窓口限定で厳格な本人確認を条件付けるなどの策もある。パナマ文書、パラダイス文書報道以後、20カ国・地域(G20)や経済協力開発機構(OECD)も企業情報透明化を推進しているのに、日本が世界に逆行し不透明化してはならない」

匿名会社によるビジネスは無責任になり、犯罪や不正の温床になりやすいことは、匿名発信が可能なSNSの言論がどのようなものになっているかを見れば明白であろう。たとえ代表者「氏名」だけは開示されるにせよ、住所という本人特定の足がかり、背景事情の端緒を失う。住所という情報もまた開示してこそ、代表者について情報開示をする責任を政府が果たしたと言える。パナマ文書の調査報道でも住所情報が判明したから解明できたものもある。今回の改定がそのまま実現すれば、企業の透明性を高める国際的な流れに逆行する。タックスヘイブンのような腐敗の温床になりやすい国とみなされかねない。

3.起業者は社会の責任あるプレイヤーになってこそ

情報の開示は当事者にとっては不快であり不安も伴う、不利なものである。しかし会社代表者は単なる一般私人と呼ぶべき存在ではなく、小規模ビジネスといえども社会にインパクトを与える。だからこそ大切な存在であり社会的存在である。そのため、一定の責任を負うべきであり、また、社会的責任を一人一人が引き受ける社会参加だからこそ、市民による起業は尊く価値あるものであろう。軽薄で無責任な起業を促進するものではないはずである。

なお、住所情報は日本において近年、公開の場での開示機会が減りつつあるが、米国や英国の選挙運動では戸別訪問のため有権者名簿が欠かせず、公開されている。スウェーデンでは個人の住所は、そこに住む人の氏名や生年月日などの情報とともに公開情報であり、ネットでも検索できる。住所情報は軽々しく扱うべきでないにせよ、民主主義の基礎であるコミュニティの概念にとっては根本情報でもある。センシティブ情報として取り扱うことは不適切である。企業とその代表者など社会的存在の検証を困難にするだけでなく、市民間のアクセスという民主主義の基盤に損失を与えかねないことに注意すべきであろう。

4.代替手段として「窓口では開示」は最低ラインとして保持すべきである

今回提案されている改定案は2018年にもほぼ同内容で出されたが、2.に引用したコメントのように公益の立場からの反対論、懸念論が強く、それに応えて「住所情報開示の開示は維持し、悪用を抑制する」策が編み出された。すなわち、窓口では開示をするが、インターネット上では見せない、という方法である。

原則論として代表者住所は公表公開情報とし、ネット上でも開示されるべきものと考えるが、今回の改正作業にあたり、せめて「窓口だけで開示」を現実的な情報開示の最低ラインとして採用すべきである。一切開示しないとする現在の提案は乱暴に過ぎる。

米国の情報公開法制においては1989年の同国連邦最高裁判決で「practical obscurity」という概念が示された。これは何らかの役所で一般人が普通に入手でき非公開(private)とはいえない情報にもかかわらず、各地に散らばるそれらの情報をまとめた公文書の開示請求は拒むこともあり得るという、例外的グレーゾーンの概念である。上記の米判決ではFBIが持つある人物の犯罪記録が論点となった。各地に散らばるさまざまな公開裁判の記録(米国では原則完全公開)により誰でも調べられる情報ではある。しかし実際には各裁判所でかなりの手間を掛ける必要があり、それをまとめたFBIの記録文書を開示するとなると別の意味を持ちうるからというので純然たる「公開情報」というのも躊躇され、practically obscure だとしてFBI文書自体をダイレクトに開示することは認めなかった判断である。となるとpractical obscurityは「実務上中間ゾーン」とでもいうのが適切であろう。一定の苦労をすれば情報自体にはたどり着くこと自体は保証されていることが重要である。その上で、かといって便宜にまとめた文書も直ちに開示情報とするには及ばないというグレーな存在である。

情報開示の後退として批判も多い概念だが、日本においては、情報開示に一定以上の懸念が示されれば「念のため」に完全秘匿とし、いわば安易にシャットアウトする傾向もあるようにうかがわれ、それに比べればはるかに現実的に当事者と公共の利益のバランスを取る知恵と評価できる面もあろう。

となると、今回の登記情報に関する改定案において「法務局窓口では代表者住所を開示するが、ネットサービスでは見えない」という仕組みを取り入れるという仕組みもそれに通じるところがあるように思われる。上記の米国例では「散らばった情報としては公開され、集めれば分かる」ものを「まとめた資料は開示しない」ケースであるなど性質を異にするところは当然あるが、「便利さが生む懸念」という面では非常に共通性があり、「完全開示か、完全非開示かに二分はしない」という判断のメリットを公益性の観点から検討すべきである。

現実問題として、上記の2018年の改正作業の際にはパブコメを踏まえ、実際にこうした折衷案が実行されることに一時なっていた。しかし断念されたのは「デジタル庁の担当者は2月以降、法務省に複数回にわたり『行政のデジタル化を進めるという政府方針と異なる』などの内容の懸念」を伝えたと報じられ(日経新聞2022年10月29日)ている。だが、デジタルの長所と短所を柔軟に使い分けてこそ市民本位のデジタル化であり、杓子定規な対応はデジタル化の「活用」でなく「桎梏」になりかねない。まして、情報の使いやすさを追求するはずのデジタル化が、情報の過度な秘匿を招くのは本末転倒である。デジタル情報だからこそ柔軟な非開示ができるという面もあるのであり、むしろデジタル化の利点を生かした対応ということもできよう。

5.「ネット非開示、窓口だけで開示」方式には、乱用防止の諸施策を追加しやすい

法務局の窓口では開示し、インターネットでは開示しないという折衷案によって、住所開示の懸念に対し様々なセーフガード策も設置可能となる。例えば次のようなものである。

(1)法務局窓口では厳格な身分確認を行いその記録を残す
本来の開示情報であれば、誰に対しても開示すべきであるが、ここに障壁を設けるとともに、万一不正な利用方法が疑われた際の証拠にもなる。

(2)閲覧・謄写をした者が誰であるかもまた、開示対象とする
この制度を使ったものへの透明性を高めれば不正利用への抑止が期待できる。開示という趣旨との矛盾度合いは高まるが、民事訴訟記録閲覧においては閲覧請求書が記録に綴られ、それ以後に閲覧した者には「それまでに誰が閲覧したか」が分かるという同種の制度があり受け入れられていることを考えれば、問題は小さいと思われる。

(3)正当な理由を持つ者には代表者住所を開示する
学術、報道、消費者問題調査などの社会的な価値に基づくことと疎明できれば開示するという仕組みを設けることも一案である(これはネットを通じた手続きも可能であろう)。ただし、この範囲を「正当な理由のある者」や「公益性のある理由のある者」ではなく「利害関係者」にすると過剰に狭まり、一般社会における正当な調査・検証・研究活動を妨げ、既に述べた不透明性が懸念されるため、開示をできる限り幅広く認め、ただし偽りの理由を述べた場合のペナルティを設けるなどの方法で対処すべきであろう。

6.非開示への異議申立ての手続きがないのは欠陥

なお、本改正案において、非開示の申立てと決定に対する第三者からの異議申立ての手続きがないことは制度的な欠陥である。情報を秘匿する決定に対して、その反対利益に関わる当事者は社会一般ということになるが、社会一般からの第三者による異議申立てを認める手続きなしにこうした制度が導入されることは歯止めを欠き危険というほかない。この点も合わせて申し述べる。

次回はジャーナリストで上智大学教授の奥山俊宏さんのパブリックコメントを掲載します。過去の経験から、制度の重要性について述べています。

澤康臣(さわ・やすおみ)

ジャーナリスト。早稲田大教授(ジャーナリズム論)。1990~2020 年共同通信記者。タックスヘイブンの秘密を明かした「パナマ文書」報道のほか、「外国籍の子ども1 万人超の就学不明」「戦後憲法裁判の記録、大半を裁判所が廃棄」などを独自に報じた。著書に『事実はどこにあるのか』(幻冬舎新書)、『グローバル・ジャーナリズム』(岩波新書)。