朝日新聞社内でジャニーズ報道を仕切る「ジャニ担」の影響力
伊藤喜之(ノンフィクション作家)
大手メディアがジャニーズ問題について振り返るのはやはり限界があるのか。そう思わざるを得ない出来事だった。
今年4月のカウアン・オカモト氏による外国人記者クラブでの会見以降、新聞メディアの中では比較的手厚く問題を報じ続けている朝日新聞は6月29日付の朝刊第三社会面で、不定期でメディアの問題を扱う企画「Media Times(メディアタイムズ)」でジャニーズ問題とメディアの関係について特集した。
ジャニー喜多川氏による性加害が野放しになってきたのは、メディアがそれを看過してきたからでもある。テレビ局だけではなく、新聞、出版にもおよぶジャニーズのメディアコントロールの手法と、いまだ強くのこる影響力に、朝日新聞元記者でガーシー被告に密着した『悪党 潜入300日 ドバイ・ガーシー一味』が話題のノンフィクション作家、伊藤喜之氏が迫る。
これまでの関係には触れないアンケート
記事のリード文では、ジャニー喜多川氏の性加害問題について「新聞やテレビが早い段階から報じなかったことに、批判の声があがっている」と指摘し、「どこに問題があったのかを考えた」と切り口を設定していた。
自社とジャニーズの関係についてある程度踏み込んでくれるのだろうと筆者は期待を膨らませた。しかし、結論から言えば、それは落胆に終わった。
主な新聞社やテレビ局にアンケートを取っていたが、長年報じなかったことへの受け止めと今後の報道姿勢を問う内容であり、これまでのジャニーズ事務所との関係について回答させるものではなかった。
朝日新聞の見解として、野村周ゼネラルエディター兼東京本社編集局長は「性加害、とりわけ男性への性加害という問題に対する認識が不足していたことなどが根底にあったと思います。ご批判は真摯に受け止めます」とメディアの責任に言及した。
自主的に振り返ることもないもしていないメディアと比較すれば、一定の評価もできると言えるかもしれない。しかし、肝心な過去の対応などについての検証は一切なかった。
「上層部は過去の関係を有耶無耶にしたい」
こうした姿勢は「自己批判をした」と前向きな評価の声も多かった6月17日放送のTBSの報道特集でも似たようなものだった。
「メディアの姿勢を含め検証します」とし、番組アナウンサーが「私たちがこの問題を取り上げてこなかった理由の1つは、テレビ局の様々な部署がジャニーズ事務所と深い関係を持っていることがあった」と指摘したものの、そうした番組制作現場での具体的な「深い関係」がどうであったかについて言及はなかった。
取材した、ある新聞社の記者は「絶対に情報源がわからないようにしてください」と私に求めながら、こう指摘した。
「対応があまりに中途半端でウミを出しきれていない。上層部は過去の関係については、このまま有耶無耶で終わらせた方がいいと思っているんじゃないか」
この新聞社では社内の一部から自社とジャニーズの関係について踏み込んで検証すべきだという声が上がっているが、編集幹部の反応は鈍いという。
「メディアコントロール」の手法を明らかに
私も、この記者と同じ問題意識を持っている。
ジャニーズとの関係がどのようなものであったかをつまびらかにし、過去の教訓として共有しなければ、再び同じようなことが起きかねないのではないか。
ジャニーズ側がどのようにメディアの担当者、記者や編集者らと関係を築き、どのように「都合の良い」番組や記事が量産させてきたか、ジャニーズ側がメディアコントロールをどのように効かせてきたか、を明らかにする必要がある。
ここまで問題化しながら、それでも既存メディアはジャニーズ側に何か配慮を重ねているようにも見える。
既存メディアの中でも新聞メディアは、テレビや出版社と比較すれば、それほど濃厚な利害関係が生じにくいと思われるのだが、何か後ろめたいものがあるのだろうか。私は現場に近い記者らに取材を重ねることにした。
「ジャニーさんのことを、みんな慕っていたのよ」
朝日新聞には長らくジャニーズを取材してきたベテラン女性記者が複数いる。その一人が最近、こんな発言をしていたという。
「ジャニーさんのことを、(所属タレントは)みんな慕っていたのよ」
「告発している子は名声目当て。信用できない」
ジャニー喜多川氏による所属タレントへの性加害問題について、BBCや週刊文春の報道に続いて、ジャニーズJr.だったカウアン・オカモト氏が外国人記者クラブで会見したことで、これまで黙殺してきたテレビ・新聞などの既存メディアも重い腰をあげた。そして、その報道が加熱していたときのことだった。
この記者は2017年1月23日付夕刊、24日付朝刊の2日に渡って、同僚記者と連名で、ジャニー氏へのインタビュー記事を執筆している。
「ショーに託す、平和の願い ジャニーズ事務所・ジャニー喜多川社長に聞く」「我が子ように育てる ジャニー喜多川社長に聞く」とそれぞれ題した記事である。
前者は、ジャニー氏が作・構成・演出を手がけた舞台を紹介する。少年時代に大空襲にあった戦争体験に触れながら、「昔を生きているからこそ、平和の尊さがわかっている」とのジャニー氏の言葉を明かす。
「親から信頼を受けて大事なお子さんを預かる」
気になるのは、「子どもたちへの温かい視点も当時からあった」とジャニー氏のタレントとの接し方を絶賛していることだ。
ジャニー氏の性加害問題については、1980年代に元所属タレントが被害を訴える手記の出版をしていた。2000年前後には、週刊文春がキャンペーン報道を展開し、被害者の証言などを詳しく報じていた。記事の内容をめぐってジャニーズ事務所が発行元の文芸春秋を訴えた裁判では、04年に「セクハラ」があったとする記述を真実と認める判決が最高裁で確定していた。
ジャニーズを担当していたならその事実を知らないわけがない。にもかかわらず、記事ではそのことにはいっさい触れていない。
それどころか、翌24日の朝刊では「我が子のように育てる」という見出しのもと、ジャニー氏の「親御さんから信頼を受けて大事なお子さんを預かる以上、私も命をかけて自分の子供のように教育しようとやってきた」という発言を、無批判で掲載をしている。
カウアン・オカモト氏は被害を訴える記者会見で、もし大手メディアが性加害を報じていたら事務所には入らなかったか、という質問に、「知っていたら親は行かせなかっただろう」と答えていたことを思い返してしまう。
ジャニーズ副社長の信頼厚い「ベテラン記者」
さらに、記事が出された時期には重大な問題が孕んでいる。国民的アイドルグループのSMAPが直前の2016年12月31日に解散したタイミングだったからだ。
記事では、SMAPについては後編の質問で一言触れているだけだ。ジャニー氏の回答もあくまで一般論で、SMAPについては具体的に話していない。もちろん記事の見出しにもなっていない。
事務所にとってはセンシティブな話題であったとしても、読者の関心から考えても、明らかに不自然である。徹底した忖度ぶり、と指摘されても致し方ないだろう。
朝日新聞の場合、週刊朝日やAERAなどの雑誌発行ではジャニーズと深い関係を築いてきた。表紙やグラビアにジャニーズのタレントを起用できれば、手堅い売り上げが見込めるからだ。
ジャニー氏へのインタビュー記事を書いたベテラン記者はAERAにも一時期所属し、SMAPを勢揃いさせた特集を仕掛けるなどして、社内では「ジャニーズを任せるならこの記者」と信用を勝ち得ていたという。
現在のジャニーズ副社長で長年広報責任者を務めてきた白波瀬傑氏は、このベテラン記者を連絡の窓口にしていたと多くの記者が口を揃える。他の記者が申し込んだ取材の断りがベテラン記者から「あれはダメだったみたい」などと知らされることも日常的だったという。
ジャニーズはメディア各社に従順な記者や編集者を抱え込むことでメディアコントロールを働かせてきた。各社によって呼び方は違うが、いわゆる「ジャニ担」だ。
実際、ジャニーズは新聞のコンテンツ作りの現場にも口をはさんできた形跡がうかがえる。
突然、連載が打ち切られたのはなぜか
朝日新聞デジタルでは、「ジャニ担!」と呼ばれるオンライン連載があった。
ジャニーズファンで知られる放送作家の山田美保子氏がジャニーズタレントの近況などについてコラム形式で連載するもので、2015年4月から始まった。しかし、2年ほどで突然打ち切りとなった。
事情を知る朝日新聞記者が明かす。
「ジャニーズ事務所から連載についてクレームが来たと聞いている。山田氏も渋々だったようだが、連載打ち切りに同意した」
連載はすでに130回以上に達していた。にもかかわらず、なぜそのタイミングで、ジャニーズ側が苦情を伝えたのか。ちょうど朝日新聞紙上でジャニーズ事務所を退所した元SMAPメンバー3人による「新しい地図」の連載が始まっていたことと関係があるのでは、といぶかしむ声があったという。
いずれにせよ、ジャニーズ側の事実上の「外部圧力」に応じる形で、朝日新聞が連載の打ち切りなども決定してしまった事例だと言える。
ジャニーズと新聞社の繋がりは記事だけではない。広告出稿というビジネス面でも密接な関係を結んできた。現在公開中の『「嵐」大型企画で深まった朝日新聞とジャニーズの「広告ビジネス」』では、新聞社とジャニーズにおける広告ビジネスの事例、それが生み出す「忖度」の構造を取りあげた。
伊藤喜之(いとう・よしゆき)
1984年、東京都生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後、2008年に朝日新聞社に入社。松山総局(愛媛)を振り出しに、東日本大震災後には南三陸(宮城)駐在。大阪社会部では、暴力団事件担当として指定暴力団山口組の分裂抗争などを取材する。その後、英国留学を経て20年からドバイ支局長。22年8月末で退職し、同9月からドバイ在住で作家活動を始め、今年3月、初の単著『悪党 潜入300日 ドバイ・ガーシー一味』(講談社+α新書)を出版。講談社ノンフィクション賞最終候補作に。