「動物の檻のような何もない隔離室での2年が、息子を死に至らしめたのではないか」両親が明石市の精神科病院を提訴
フリーライター 中部剛士
兵庫県明石市の精神科病院「明石土山病院」で約2年にわたり、わずか3畳ほどの「隔離室」での生活を強いられた初田竹重さん(当時50歳)。朝食のパンをのどに詰まらせて窒息死したが、病院は朝食の後片付けをしたのに気づかず、約2時間半後に死亡しているのを発見した。
竹重さんの死亡の責任を病院側に問い、両親が26日午後、神戸地方裁判所に訴えを起こした。代理人の弁護士とともに神戸市内で記者会見を開いた両親は、竹重さんへの思いを語り、精神科病院の患者隔離の在り方に憤りをぶつけた。
代理人の今西雄介弁護士らが提訴に至った経緯などを説明。続いて両親が書面を読み上げて胸の内を明かした。
父の毅さんは冒頭、「約2年間の隔離が死に至らしめたのではないのか」と強く述べた後、こう訴えた。
「隔離室は、鍵のかかった小さな部屋です。柵があって柵越しに患者に看護師が対応できるようになっていて、食事は小さな窓から出し入れされる、まるで動物園の檻のような部屋。寝具とトイレしかなく、テレビもない、好きな音楽も聴けない、何にもない。息子は、その隔離室に、ほぼ2年間も隔離されていたのです」
毅さんは今年81歳。提訴はこれからの暮らしに大きな負担となるが、「第二の竹重を出さないために頑張る」と、明石土山病院だけでなく、精神科病院の隔離措置そのものへ一石を投じた。
母の美千子さんも79歳。悪い足を苦にしながら裁判所に現れた。会見では竹重さんが亡くなった日のことを振り返り、病院内で倒れたのに約2時間半も誰も気づかなかったことに悔しさをにじませた。
「膳を下げた人も気づかず、巡回の看護師も来ず、苦しんだのか、苦しむ間もなかったのか、誰も、何もわからず放置された。(当日のことが)分かってくると、死を防げたのではないかという思いが強くなってきました」
「朝のまぶしい太陽を見ることもなく、雨の音、風の強弱を感じられる部屋でもない隔離室では、明けない夜が永遠に続いていたのではないでしょうか」と息子の無念さをかみしめていた。
中部剛士(なかべ・たけし)
1966年大阪府生まれ。神戸新聞編集委員、論説委員を経てフリーに。災害報道や地域振興、地域医療の取材に携わったほか、アスベストによる健康被害、過労死・職場のメンタルヘルスといった労働問題に力を入れてきた。共著に『忍び寄る震災アスベスト』(かもがわ出版)。『「働き方改革」で過労死はなくなるか』(アトリエエムブックレット)