「まるで動物園の檻」精神科病院の隔離室の映像を入手。のどを詰まらせた男性が気づかれることなく亡くなった経緯が明らかに
日本の精神科病院では隔離・身体拘束の措置が頻繁に取られている。患者が亡くなる事例は後を絶たず、兵庫県明石市の精神科病院「明石土山病院」でも悲劇が起きてしまった。
約2年にわたって隔離室生活を強いられてきた初田竹重さん(当時50歳)は、朝食のパンをのどに詰まらせて死亡。その5日前、両親に電話をかけ「このままでは足が立たなくなる」と漏らし、50歳の若さで嚥下機能が低下していた可能性が浮上している。
今回、関係者から隔離室の映像を独自に入手した。わずか3畳ほどの部屋には寝具と洋式トイレがあり、トイレットペーパーが無造作に転がっているだけ。食事は小さな窓から差し入れる。竹重さんの父は「まるで動物園の檻のような部屋」と怒りをにじませている。
フリーライター 中部剛士
不眠や摂食障害で統合失調症と診断。農作業に携わり、尾崎豊が好きだった
竹重さんは兵庫県加西市に両親と3人で暮らす。地元の高校を卒業し、大学入試の浪人時代に不眠や摂食障害を起こし、精神的に不安定になって統合失調症と診断された。時折、入院することもあったが、治療を続けながらも日常生活を送っていた。畑でトラクターに乗り、肥料を撒き、草刈りもした。両親が運営する障害者支援のNPO法人にもかかわった。歌手尾崎豊を愛し、よく歌を口ずさむ。自由へのあこがれが強く、ふらりと旅立ってしまうこともあった。
両親によると、何度か精神科病院に入院することもあったが、長くても3カ月程度だった。それが、状態が悪い時に兵庫県姫路市で警察に保護され、妄想・幻覚などがあったことから2019年5月28日から医療保護入院することになった。帰宅を求めて大声を出したり、看護師詰所のドアが開くと体当たりするように入り込もうとしたりしたため、同年6月5日から隔離室に収用されることになった。
「出してください、土下座でもなんでもしますから」
精神科病院の隔離室はあまり知られていないが、両親が入手した診療・看護の記録から、その運用実態が明らかになった。
竹重さんは隔離が始まってから亡くなるまでの680日間で、一日中隔離室から解放されたのは、わずか33日間しかなかった。それ以外は昼間の部分解除があっても隔離措置がない日はなく、2020年3月13日~10月6日までは終日、つまり24時間隔離され、さらに2020年12月8日から亡くなるまでの128日間も終日隔離が続いていた。
隔離は自傷や自殺を防ぐための措置だが、竹重さんはこの約2年間、悪い状態がずっと続いていたわけではない。妄想や暴れたりするような行動がある一方、隔離室から出られないいらだちから乱暴な言動にいたった様子もうかがえる。病院の記録には多くの竹重さんの言動が残されていた。
病院の相談員に「そろそろ退院考えたい。太陽の光が浴びたい」と訴え、診察時には「とにかく加西(地元)に帰りたいです。それだけです。あそこ(隔離室)から出られないのが辛くって…」と。無理に非常口を開けようとしたり、ドアノブをゆすったり、突発的な行動も見られ、職員が制止した記録がある。
「死ぬまでここから出られないんですか」
「出してくださいよ、土下座でもなんでもしますから」
そう懇願していた。
亡くなる5日前、竹重さんから、加西市の自宅に電話がかかってきた。「もしもし、お母さん、久しぶりやな」その落ち着いた言葉に母の美千子さんは安心感を覚えた。父の毅さんは、電話がかかってきたときの竹重さんの言葉をノートに書き残している。
「みんな、どうや元気しとるか」
「(隔離室にいたら)足がたたなくなってしまう、車イスになってしまう」
「何で面会に来てくれないのか」
「お父さんから(病院に)言ってくれないと僕は何もできひん、誰も聞いてくれない」
切実な声であり、毅さんが迎えにいくことを約束して電話を切ったという。
入手した映像には倒れた2分後に職員の影? 異変に気付かず
2021年4月14日、竹重さんはどのように亡くなったのか。関係者から映像を入手した。
部屋の天井のカメラから映しており、隔離室は3畳ほどに見える。マットを敷いた寝床、むき出しの洋式便器。トイレットペーパーがころりと転がっている。自傷、自殺に使用される恐れがあることから精神科病院の隔離室は最低限度のものしか置いていない。