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「手錠は規則だから外せない」救命のための医師からの要請に応じない警視庁の非道な振る舞い

警視庁に逮捕された40代女性が心臓の病気で留置場から病院に救急搬送された際、手錠につながれたままの状態で治療を受けさせられていた──。

無罪主張を続ける女性が、300日以上に及ぶ勾留体験を独占告白した。医療行為中の戒具(手錠・捕縄)の利用はどこまで許されるのか。

女性は「人間扱いされているとは到底言えなかった。適切な医療を適切な形で受けさせてほしかった」と訴えている。

スローニュース 宮崎稔樹/フロントラインプレス


勾留322日、一貫して無罪を主張 

取材に応じたのは、新型コロナウイルス対策の雇用調整助成金を不正受給したとして、警視庁渋谷署に詐欺容疑で逮捕された日下早苗さん(48)=公判中=だ。

容疑は、コロナ禍の休業手当を従業員に支払ったかのような虚偽の申請書を作成し、国の雇用調整助成金をだまし取ったとされている。警視庁は逮捕した4人のうち、日下さんが指示役であるとのシナリオを描いていた。

日下さんや弁護人によると、経営コンサルタントの日下さんは、会社を経営する他の容疑者から相談を受けた際、助成金の仕組みや申請の仕方についてアドバイスし、申請書類の作成を手伝ったことはあった。

だが、伝えられた従業員の休業などが虚偽とは知らなかったという。

その後、東京地検は他の容疑者とともに日下さんを詐欺罪で起訴。詐取した補助金は総額3030万円とされた。この間、日下さんは「不正受給には関わっていません」と一貫して否認し、それ以上の質問には黙秘を続けた。

そのためか、3回に及ぶ保釈請求は却下されるばかり。認められたのは4回目、逮捕から300日以上が過ぎた2024年4月26日だった。

前日の誕生日は東京拘置所で過ごしたほか、三女の中学校の卒業式や高校の入学式にも出席できなかったという。

日下さんが勾留中に綴った被疑者ノートは200ページ近くに及んだ

外部病院での治療を訴えるも認められず

1年近い勾留で、日下さんは体調の悪化を最も懸念していた。約10年前から患っている「冠攣(かんれん)縮性狭心症」という心臓の持病。日本循環器学会が公表しているガイドラインによると、胸に痛みが走り、悪化すれば心筋梗塞を起こし、突然死もあり得る。

日下さんは閉所恐怖症でもあり、警察官が両脇に座る護送車での移動や3畳ほどしかない留置所の環境が、冠攣縮性狭心症の悪化に拍車をかけたという。パニックになりそうになるのを抑えようと力むと、胸の不快感が強まった。

留置場だった警視庁原宿署の署員に外部病院での診察を希望するも、「逮捕された身分で、一般の人とは違うんのだから普通に病院に行けるなんて思わない方がいい」と相手にしてもらえなかったという。そうしたなか、問題の「手錠したままの治療」が起きた。

本人開示請求で入手した当時の救急搬送の記録を読む日下早苗さん/東京都内で

心臓の病気で救急搬送

2023年8月5日午後8時45分頃、その日の痛みはそれまでと明らかに違っていた。違和感が痛みに変わり、胸の真ん中から背中へ。顎や首、耳の下にしびれが広がる。ニトロ舌下錠を2回服用しても症状が治まらない。「これは本当にヤバイ」。消灯時間が過ぎた午後9時過ぎ、鉄格子の前にいる原宿署員を呼んで声を絞り出した。

「救急車を呼んでほしい」

東京消防庁への情報開示請求で得た渋谷消防署の「小隊活動記録票」などによると、原宿署からの通報時間は午後9時25分。救急隊は17分後に到着し、日下さんを6階の留置場から台車付きの担架(ストレッチャー)で運び出そうとした。

ところが、急ごうとする救急隊員を静止し、原宿署員が日下さんに前手錠をはめ、捕縄を使用。救急車には女性の巡査部長2人が同乗し、仰向け状態の日下さんの脇付近から垂れ下がった捕縄を強く握っていた。救急車は約3キロ離れた慶応義塾大学病院(新宿区)へ向かった。

日下さんは、日々の取り調べの様子や自身の体調などを弁護士から差し入れてもらった「被疑者ノート」に記録していた。この記録によると、運び込まれた救急処置室には7、8人の医者や看護師がいた。日下さんが鮮明に覚えているのは、病院到着後の医師と警察官のやりとりだ。
 
心電図など必要な検査を実施するため、医師は同乗してきた女性警察官に手錠を外すよう求めていた。だが、警察官は「規則だから」と応じようとしなかったという。

この後、医師が警察官に放った言葉とは。実際にどのような治療が行われたのか、スローニュースでは入手した資料をもとに当時の状況を詳しく伝えるとともに、識者が指摘する『問題点』についても明らかにしている

日下さんが救急搬送された慶応大学病院


宮崎 稔樹(みやざき・としき)

長崎県出身。2014年4月に毎日新聞社に入社し、福島支局で震災・原発事故報道、東京経済部でIT企業やデジタル経済などを担当した。2020年10月に国際協力機構(JICA)へ転職後は2年間、フィリピンの平和構築を主に担当したほか、メディア支援プロジェクトを新規で立ち上げた。その後、英イーストアングリア大学院で修士号(Media and International Development)を取得し、2023年10月からスローニュースに編集者として参画。一貫して「メディア×人道」の領域に関わっている。