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終わらない戦争

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この世界から戦争が消えることはないのか。過去の戦争の今も残る傷痕や、現在も進行中の戦争に関する記事をこちらにまとめています。
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#原爆

原爆製造にも使われていた「テフロン」開発した科学者は36年前に初来日した際、何を語ったのか

二つの原爆が投下されてから79年になる。 長崎に落とされた原爆の製造に関わっていたのが、いまやPFAS汚染の代名詞ともいえる米大手化学メーカーのデュポンだった。その過程では、直前に発見されたフッ素樹脂の「テフロン」も使われたという。 戦後、民生品に欠かせない物質としてデュポンの経営を支える生命線となったテフロンは、のちに深刻な健康被害や環境汚染を引き起こすことが明らかになり、21世紀には経営を脅かす爆弾へと変わった。 日本を訪れていた「テフロン」開発者「魔法の物質」の発

「母が死んでほっとしました」原爆を生き抜いた「ヤングケアラー」がいた…いまだ「被爆者」に認定されず 

広島、長崎への原爆投下から、今年で79年。体験者たちにとって「あの日」は過去のことではない。 4歳で原爆を体験した松尾栄千子(えちこ)さんは、病に倒れた両親を介護し、家事を一身に担うようになった。炊事に洗濯、畑の仕事まで。「あかぎれだらけになった私の手を見て、母は泣いていました」。83歳になった今でも、思い出しては涙をこぼす。 自身も闘病しながら、高校進学もあきらめて家族を支えた日々。彼女は、原爆が生んだ「ヤングケアラー」だった。その苦しみは、今に至るまで取り残されている

原爆を落とした後、アメリカ軍が隠したかったものとは何か 膨大な資料からその実態を読み解く

膨大なニュースや情報の中から、ゆっくりと思考を深めるヒントがほしい。そんな方のため、スローニュースの瀬尾傑と熊田安伸が、長い時間をかけて国内外の資料を調べ、証言者に当たった調査報道などをおすすめしています。 きょうのおすすめはこちら。 原爆初動調査 隠された真実広島・長崎に投下された原爆。未だに解明されていない謎がいくつもあります。 「残留放射線は、どう影響したのか」 「低線量被ばくの人体への影響は」 「被爆2世への影響はあったのか」 「行方不明となっている、原爆投下2日

もう一つの「この世界の片隅」ある女性が編んだ広島・原爆の現実

※旧SlowNewsのサービス終了前の記事です。文中のリンクは現在は使えませんのでご了承ください。 書き手:石戸 諭  戦争の記憶が生々しく残る戦後20年目(1965年)の夏、ある女性が中心になって一冊の本が世に送り出された。  作家・山代巴(2004年に死去)が編者となり、あの日からの広島を生きる人々の声を集めたルポルタージュ『この世界の片隅で』(岩波新書)だ。  有名とは言えない山代の本が、こうの史代さん『この世界の片隅に』を連想させるタイトルになっている。えっと