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【ルポ能登半島地震】「ボランティアには本当に助かった」復旧進まぬ新潟「忘れられた被災地」からの報告

スローニュース 熊田安伸

その地区に足を踏み入れた瞬間、ぐらっと景色全体が歪んでいるように見えた。

道路には、いまも液状化で噴き出した土砂のあとが残っている。滑っている場所も残ってはいるが、歩くと乾いた土埃が舞い上がる。地震の発生から1カ月以上たったというのに、大きく傾いた電柱もそこかしこに見られる。

写真でも一見わかりにくいのだが、家々の塀はことごとく大きく傾いている。いまにも塀が内側に倒れ込みそうなこの家は、玄関に板が打ち付けられている。

まるで遠近法の描画を間違えたような「歪み」がそこかしこにあるので、町全体に異空間に入ったような違和感があるのだろう。

「ごめんください」
平日の午後。被災した住宅を何軒もピンポンして回ったが、応える住民はいない。

やはり何でもないように見えるこちらの住宅。近寄ってみると、「危険」が浮かび上がる。

お分かりだろうか。隣り合った住宅の屋根が重なってしまっている。それほど、家が傾いているのだ。

「遠景」でみると一見なんでもないような地区が、中に入ってみると暮らしが打ち壊されていることが分かる、典型的な液状化の被災地が広がっていた。

大量の土砂が噴き出した、人影のない町

前回お伝えした新潟市西区の寺尾東地区は、海に沿った砂丘の縁に当たる場所で、大地震があれば液状化の被害が出てもおかしくない場所だった。

だが、この善久地区はずっと内陸だ。信濃川沿いにあり、新潟市の「液状化のしやすさマップ」でも危険度の高い場所になっているとはいえ、ピンポイントで激しい液状化が起きていることに驚く。

赤い丸で囲ったところが善久地区

訪れたのは地震の発生から1カ月以上たった2月9日。それにしても本当に住民らしき人影がほとんどない。住宅街なのに子どもの声もしないと思ったら、地区の中にある公園は、あちらもこちらも立ち入り禁止になっていた。

目を凝らして奥を見ると、鉄棒の下が大きく陥没しているのが分かる。液状化のせいで遊具が使えないということか。

その時、見慣れない車が横切った。「路面下空洞探査車」と書いてある。

液状化で地下に空洞ができてしまっているところがないか、ゆっくりとした速度で走行し、念入りに調べているようだ。

地区の中をぐるぐる回るこの車についていくと、1人の男性に出会った。

電気・水道が復旧しても出ていくほどの被害

谷川直人さん(58)の自宅も、最初の危険度判定で「半壊」とされたという。住宅1階の車の収納スペースが落ち込み、車が地面にこすりそうになっている。この日は改めて修繕に向けた測量をしてもらっていたところだった。

「これでもうちはまだましな方。周辺は家が傾いてもう住めないと出ていった人が相次いでいますよ」

激しく揺れた1月1日。地区全体が液状化した。東北電力ネットワークに勤める谷川さんは、こうした災害の際に会社にかけつける役割だったが、自分が被災してしまい出社することができなかったという。

発災時、地区にはガスの臭いが充満していた。地下のガス管が壊れたのだ。ただ、電気は止まらなかった。

「自分が電力に勤めているからというわけではないですが、オール電化にしておいて助かりました」

水道は修理業者が早く確保できたので、3日目には復旧することができた。電気も水もある。それでも出ていく住民が相次ぐのは、液状化の被害の大きさを物語っている。

「国、県、市から補助が受けられるとはいえ、どうやって直したらいいのか。杭を入れるのか、土を入れるのか。これから考えなけば」

数日後に早くもボランティア、助かった

もう一つ、助かったことがある。西区の社会福祉協議会を通じて数日後にはボランティアが訪れ、地区の側溝の土砂を取り除いてくれたことだ。

「自分たちだけではできなかった。ボランティアは本当に助かった」

ボランティアといえば、発災当初、「ボランティアはまだ来ないで」という声が上がった。しかし被害の規模が大きく、交通手段も限られた能登は議論のあるところだろうが、それ以外の被災地ではできることはもっとあったのではないか。ボランティアの面でも能登に目を奪われ、「忘れられた被災地」になっていたのではないか。それは今後、検証すべき点だろう。

谷川さんのこれからの悩みは、地区を走る道路の復旧だ。

「多くが住民が共有する私道なんです。一定の補助は出ますが、予算を超える分は地区で出さなければならない。自宅のことでさえ、みんな手一杯なのに…」

市営住宅の無償貸し出しも始まっているが

新潟市の住環境政策課は、被災地の住民に対して市営住宅の無償貸し出しを進めている。

1次募集では提供戸数が56、それに対して申し込みが105あり、抽選の結果31世帯が当選した。全部埋まらないのは、同じ西区内での提供が少ないのと、エレベーターがない住宅の4階の物件は人気がないなどの事情があるからだという。

2次募集では提供戸数23に対し、申し込みは31、当選が10世帯だった。

ただ、当選した計41世帯も、全てが入居に至るというわけでもないらしい。民間の住宅を本人が契約して申請できる制度がスタートしたからだ。いわゆる「みなし仮設」に当たる。こちらの方が条件がいいものを選べる可能性があり、住民も迷っているからだという。

こちらも申請は38件あるものの、まだ契約に至ったケースはない。家賃補助の額が限られていて、1~2人の家族で6万円。3~4人で8万円。5人以上だと10万円と限られていることが影響しているのだろうか。(未就学児は2人以上で1人にカウント)

能登だけが被災地ではない

新潟県のまとめによると、2月29日時点での住宅被害は合計1万9273棟にのぼります。全壊101棟のうち、92棟は液状化で被害が大きかった新潟市、今回取り上げた現場です。

敢えて新潟の被災地を取り上げたのは、新潟に行ける機会があったことと、私がかつて新潟県中越地震と中越沖地震の取材に関わった経験があるからです。

ただ、あまりにも全国メディアの報道が少ないことが気になり、特に能登以外の被災者の事情や、何より「顔」が見えないと感じました。数字は災害の大きさを測る指標にはなりますが、被災者一人ひとりにそれぞれの事情があります。

たった1日、駆け足で被災地を回っただけなので、不十分な取材だとは分かっています。それは重々承知のうえで、今回、「忘れられた被災地」の顔を伝えたいと考えました。取材は少し前になりますが、改めて取材した方に電話したところ、「何も変わっていない」と語っていました。

最後に、いま各メディアが取り組んでいる「被災状況マップ」をつけておきました。残念なことに新潟の液状化被災地のものはなかなか見当たらないので。



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