謎の調査集団べリングキャットの正体と「OSINT」とは NHK敏腕プロデューサーが語る
執筆:高木 徹
ベリングキャットをはじめとする世界各地のOSINT(オープンソース・インテリジェンス)を追ったNHKのドキュメンタリー、BS1スペシャル「デジタルハンター ~謎のネット調査集団を追う~」のオリジナル版としての英語版をプロデューサーとして制作し、放送したのが2020年の4月、今思えばコロナ禍の最初の波が日本を襲った頃だった。この番組はBS1や総合でも10回近く再放送されてきたので、ご覧になられた方も多いと思う。
その初回放送から2年、ベリングキャットは今回のウクライナへの軍事侵攻でも次々と独自の手法による調査結果を自らのサイトやツイッターなどで公表し、国際的な名声をさらに高めている。しかし、ベリングキャットとは何か?という問いに対しては、その実態がある種変幻自在であるために、明快に解説しきれない面がある。これほど有名になっても「謎の調査集団」という表現が今でも通用するかもしれない。
概括的なベリングキャットの紹介は「スローニュース」の別稿に譲るとして、番組制作の体験とその後の展開を通して、私なりに感じるベリングキャットの「正体」を、いくつかのキーワードを通して記してみたい。
OSINTとジオロケーション
今回の軍事侵攻をめぐり、世界中のSNSが「OSINT」というキーワードで満ち溢れている。ネットに触れる世界中のあらゆる組織や個人がOSINT(オープンソース・インテリジェンス)を実行し、ウクライナの悲劇的な状況や、ロシア軍の軍事車両が破壊された様子の画像などが大量にデジタル空間を飛び交っている。
だが、OSINTという考え方そのものは決して新しいものではなく、デジタル化のはるか以前からあった情報収集の有力な手段だ。各国の情報機関が、007のような「スパイ活動」よりもはるかに多くの情報をメディアやアカデミアなどの公開情報、つまり誰でもアクセス可能な情報=オープンソースから得ている、とよく言われてきたその手法のことだ。
報道や論文など公開情報だから秘密の情報ではないが、無限に広がる情報空間の中から正しい情報を見出し、さまざまな角度の情報を組みあわせて真実を読み取る分析眼によって、得られる成果は全く異なってくる。それが情報のプロの仕事だということだ。
これがデジタル時代になると、飛躍的に得られる情報の量が増大する。メディアやアカデミアのプロだけでなく、一般の人が周囲に起きたことを画像・映像として瞬時にオンラインで世界に届けることができるのが今の時代だ。しかしこれは、情報の量は上がっても、その平均的な質の低下を意味する。たとえば、同じ戦争の現場を捉えた画像にしても、実績ある通信社が配信したものであれば、それがいつどこで何を撮影したのかといった情報もキャプションとして付けられており、信頼性も高い。一方アマチュアによってSNSで拡散された画像には、正確なキャプション情報がない場合が多く、単に不正確なだけでなく、意図的なフェイクの可能性もある。
オンライン上に出てくる無限ともいえる膨大な情報や画像・映像の中なら、必要なものを探り出し、その真実性を確かめ、総合的に分析して結論に至る。この作業を行うエキスパートの集団がベリングキャットだ。その具体的な手法には様々なものがあるが、中でも有力なのが「ジオロケーション」と呼ばれるテクニックだ。真実性やその意味合いを明らかにしたい画像などが撮られた場所や、時刻を特定する手法のことだ。背景の映り込み、たとえばたまたまそこにあった商店の看板や、遠くの山並みの稜線、あるいは人物の影の角度や長さから、ピンポイントの撮影場所や日時まで絞り込んでしまう。
ベリングキャットの記事の多くでは、こうした手法のプロセスも公開され、その謎解きのスリリングさも魅力の一つになっている。
ゲーム感覚
こうしたデジタル空間におけるOSINTをベリングキャットで行っているのはどのような人々だろうか。OSINTやジオロケーションは、PC画面上からデジタル情報の海に入っていき、宝物を見つけ出して分析するような作業で、何日も朝から晩までPC画面と格闘しなければ目的は達成できない。コロナ禍のテレワークで長時間PCと向き合い続けることの大変さを実感している人も多いと思うが、ベリングキャットのメンバーは、こうしたPC上の謎解き作業が本質的に「好きで好きでたまらない」という、あえて言えばオタク的な気質がなければとてもつとまらない。そうしたエネルギーの志向性を違法なハッキングなどに向けてしまう人も世の中には多いと思われるが、ベリングキャットは、その特殊なスキルを世界各地で行われている、国家権力が隠す犯罪や事件の真相を暴く、というジャーナリズムの実践に向けているということが本質的な特徴だ。彼らが扱う事象は極めて深刻なものが多いが、そのベースにあるマインドはどこか「ゲーム感覚」であることは前述のドキュメンタリー「デジタルハンター」の制作でも強く感じたことだ。
もちろん、それがいけないというわけではない。従来型の「朝回り、夜回りで足で稼ぐジャーナリズム」も、とてつもなく手間のかかる作業で、記者たちにそれを可能にしているのは、「謎を解きたい」「真相を知りたい」という人間の根源的な欲望であることは同じだろう。
オールドメディアとの協調
ベリングキャットのリーダー、エリオット・ヒギンズ氏は、見た目は少しさえない40代の中年である。彼は自らが優れたOSINTの使い手であるだけでなく、プロデューサー的能力に優れており、ベリングキャットをここまで育て上げてきた。国際的にゲーマーとして名を馳せた経験を活かし、世界にベリングキャットの仲間を増やしてネットワークを築いた。彼らの謎解きマインドを満たすことを、「新しい調査報道」に昇華させたのが彼の功績である。
その際に、彼が選んだ一つの道が、オールドメディアの世界的な組織と協調していくことだ。これについて詳しくはドキュメンタリー「デジタルハンター」や、番組に合わせて書いた記事に描いたが、ヒギンズ氏はベリングキャットのメンバーを積極的にニューヨークタイムズ(NYT)やBBCに送り込み、例えば2020年1月に起きたイランでの民間航空機撃墜事件などでは、NYTのOSINTチームの一員となった若手メンバーと連絡を取りながら、NYTの記事とベリングキャットのサイトでほぼ同時に調査内容を公表する成果をあげた。NYTなど大手メディアは、OSINTではない従来型の人対人の情報収集能力、言ってみれば「地上取材力」に優れており、それは極めてアナログな世界の調査だが、OSINTの情報と総合することで、大きな成果につながるという考え方だ。また、NYTやBBCといった、世界を代表するメディアと組むことで、出す情報の信頼性が飛躍的に増大する点も見逃せない。同じ情報でもベリングキャットが単独に出すのと、NYTやBBCも一緒に出すのでは影響力が全く異なるのである。
NYTやBBCから見れば、基本的なジャーナリズムの精神が共有できるのであれば、これまで築き上げてきた「地上取材力」の膨大なノウハウや人脈の蓄積に、新たなツールとしてOSINTが加わることになるので、その手法や人材は大歓迎ということになる。
考えてみれば当たり前のことだが、「アナログかデジタルか」ではなく、「アナログもデジタルも」であり、どちらが古いとか新しいとか、両者を対立的に捉える考え方は不毛と言える。
ワークショップ
ただ、ベリングキャットと旧来型の大手メディアの思想には、異なる点もある。ベリングキャットは、自らの調査手法を積極的に啓蒙し、広めようとしている。ワークショップを世界各地で開き、興味を持つ一般の人からプロの情報関係者まで、丁寧にそのOSINT手法を伝授しいている。私の周囲にも、こうしたワークショップを受講したという人が何人かいる。これはもちろん、ベリングキャットを運営する上での収入源という意味もあるだろうが、世界中の人々が自らOSINTを行うことで、よりオープンで、言わば「情報民主的な」世界が到来する、といった理想を持っているように感じられる。
いっぽう、私も含めてオールドメディアに属する人間から見れば、特に人対人の取材技術には長年の経験を必要とし、まさにプロフェッショナルとしての能力だというのが実感だ。またそれ以上に「報道の倫理」や「取材の倫理」といったことについては、組織に蓄積された長年の失敗事例も含めた知見の共有といったものが極めて重要になってくる。ベリングキャットが進めているようなワークショップで簡単に、質の高いものが広がっていくとは私には思えない。
さらに言えば、ベリングキャットの主要メンバーこそがプロ中のプロであり、私から見ると、いくら教えられたとしてもあのようなことができるとはとても思えない高度なデジタル情報技術と分析技術の粋を極めている。そして何と言っても、デジタル空間に対峙するその熱意と耐性が尋常ではない。少なくとも他にも仕事があり、毎日が忙しいアマチュアにまねができることではないと私は思う。
このあたりの、オールドメディアとベリングキャット的なOSINTジャーナリズムの基本的な考え方の違いは他にもあると思われ、メディア論的にも興味深いテーマなので、私も今後、もう少し考えを深めていきたいと思っている。
プーチン氏と軍事侵攻
ベリングキャットにとってプーチン大統領は仇敵といっても良い存在であり、ウクライナとロシアの関係におけるOSINTについてもかなり以前から大きな成果を上げてきた。ベリングキャットが最初に世界にその名をとどろかせたのが、2014年7月におきたウクライナ上空でのマレーシア航空機撃墜事件で、ベリングキャットはOSINTとジオロケーションにより、ロシアから入ってきた自走式地対空ミサイル「ブーク」がウクライナ東部ドネツク州の反政府勢力支配地域で1発のミサイル発射し、これがMH17便を撃墜したと鮮やかに主張した。この「ブーク」が移動した経路や、途中でミサイルが1発なくなっていることを地元の人々がSNSに投稿した画像を集めて分析しただけでなく、ロシアの兵士たちのフェイスブックやその母親たちが作っているオンラインサイトなどの情報も読み取って立体的に描き出した。
その後も、ロシアの元スパイがイギリスで毒殺未遂にあった「スクリパリ事件」ほか、プーチン政権が起こしたと言われる事件の真相に何度も迫っており、当然のようにロシア側からマークされている。創設者のエリオット・ヒギンズ氏を始め、いやがらせ的なことはもちろん、身の危険も常に感じていることだろう。
そうした実績から、プーチン氏やロシア軍、情報機関の動きを対象とするOSINTや、ウクライナに関する土地勘などもベリングキャットには十分にあり、今回の軍事侵攻に関して連打されている記事にも生きていることは間違いない。
ただ同時に、今回の軍事侵攻が全くの国際法違反であることは論を待たないこととは別に、現場で何が起きているかについては、それが戦争である以上双方のいわゆる「情報戦」が戦われていることは明らかだ。ベリングキャットはもちろん意図的に情報戦的なものをしようと思っているとは考えられないが、その創設以来、プーチン政権とは徹底的に対峙してきたということは念頭に置いておくべきだろう。
ベリングキャットから離れたところで言えば、現在のところ、国際的な報道空間・デジタル空間には、ロシア軍の戦闘車両が撃破された画像やその車列、ウクライナの非軍事施設が攻撃されている動画などが満ち溢れており、多くが現実を反映していると考えられるが、情報の地域的な偏りや、ロシア軍に比べてウクライナ軍に関する情報が少ないことなど、デジタル空間から得られる印象がウクライナの全体的な現状を表しているかどうかについては注意深く見ていく必要があると思われる。デジタル空間は、あくまでメタ空間であり、現実世界とは異なった世界だということは忘れてはならないだろう。
そこから真実に迫るには、デジタル空間での研ぎ澄まされた分析眼とともに、アナログ情報(それは戦域からだけではなく、世界中あらゆる現場が考えられる)の地道な取材との融合がさらに求められる時代になっていると、いま考えている。
高木 徹 NHK国際放送局 チーフ・プロデューサー
1965年、東京生まれ。1990年、東京大学文学部卒業後、NHK入局。ディレクター・プロデューサーとして数々の大型番組を手がける。NHKスペシャル「民族浄化~ユーゴ・情報戦の内幕」「バーミアン 大仏はなぜ破壊されたのか」「情報聖戦~アルカイダ 謎のメディア戦略~」「パール判事は何を問いかけたのか~東京裁判・知られざる攻防~」「インドの衝撃」「沸騰都市」など。BS1スペシャル「デジタルハンター」では科学ジャーナリスト賞を受賞、企画・脚本・制作を担当した「ドラマ東京裁判」は国際エミー賞にノミネートされた。番組をもとに執筆した『ドキュメント 戦争広告代理店』(講談社文庫)で講談社ノンフィクション賞・新潮ドキュメント賞をダブル受賞。2作目の『大仏破壊 ビンラディン、9・11へのプレリュード』(文春文庫)では大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した。