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【阪神・淡路大震災から29年】本社ビルも全壊した神戸新聞が被災直後に掲載した『神戸は亡びない』という叫び

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陳舜臣さん、阪神・淡路8日後に寄稿文「神戸よ」 どん底の被災地に一筋の光 2月に生誕100年

我が愛する神戸のまちが、潰滅に瀕するのを、私は不幸にして三たび、この目で見た。水害、戦災、そしてこのたびの地震である。大地が揺らぐという、激しい地震が、三つの災厄のなかで最も衝撃的であった。

新聞一面で、その記事を読んだときのことを、いまでも覚えています。

1995年1月17日早朝に阪神・淡路大震災が発災をしてから、まもなく29年が経とうとしています。地元の神戸新聞が被災から8日後に一面に掲載をした、作家・陳舜臣さんの寄稿全文とその経緯を1月14日に紹介をしています。

この記事によると神戸生まれの陳さんは、神戸市東灘区の自宅で被災し、京都のホテルに避難、そこから寄稿したそうです。

当時、東京の月刊誌の編集部にいた私はやはり被災した兵庫県尼崎市の実家に泊まり込んで取材をしていました。そして、その朝、広げた新聞で目にした「神戸市民の皆様、神戸は亡びない」と呼びかける作家の熱い言葉に、自然と涙が出てきたことを思い出します。

神戸新聞もまた本社が全壊という状況でありながら、自ら被災者である記者たちが取材を続け、京都新聞の印刷所を借りて発行を続けたことは、よく知られています。地域メディアとしての社会的役割を、自らの体を削るようにして果たした新聞の姿でもあります。

今回の能登半島地震では依然、行方不明者の捜索や被災者の救済が続いています。水道などインフラの復旧も目処が立たず、道路状況から援助の手が届かない地域もまだまだ多い状況です。津波や火災で壊滅的な打撃を受けた地域の映像には胸がいたみます。だからこそ、なんとか希望を見出したいという思いでいっぱいになります。

「私たちは、ほとんど茫然(ぼうぜん)自失のなかにいる。
それでも、人びとは動いている。このまちを生き返らせるために、けんめいに動いている。」

という陳さんの叫びのような言葉が、いま時間を超えて共鳴をしているように感じる記事でした。(瀬)