避難所暮らしで気づいた「寄り添う」より「役割を与える」ことの大切さ。カタリバはなぜ「居場所」を作るのか
能登半島地震で、被災した子ども一人ひとりのニーズに合わせて支援の品を送り届ける「MY Boxプロジェクト」という取り組みを実現したNPO法人「カタリバ」。国や自治体でもできていなかった取り組みだ。
カタリバの主要な活動の一つが、「子どもの居場所を作ること」。今回はその活動の意義と、原点となった「被災地での気づき」について、代表の今村久美さんに聞いた。(2回連載その2)
聞き手:スローニュース 熊田安伸
被災地に子どもの「居場所」を
カタリバは能登半島地震の発災後、1月3日からスタッフが現地入りして地元の団体などと連携し、「みんなのこども部屋」「みんなの勉強部屋」を被災地に開設してきた。
避難生活の中でストレスや苦しみを抱え込んでしまうようになる前に、できるだけ迅速な対応が必要なこと、そして子どもたちの親も暮らしの再建を迫られる中で子どもの変化に気づいたり、ケアをしたりすることが難しくなることから行っている取り組みだ。
どうやって運営しているのか
──今回の能登半島地震では、発災直後の1月3日から現地に入り、乳幼児から小学生が安心して過ごすことのできる「みんなのこども部屋」や、中高生のために「みんなの勉強部屋」を設置していますね。
はい。珠洲市、輪島市、加賀市、七尾市はカタリバの直営で、能登町、志賀町、金沢市は地元のNPOに運営をお願いしています。
──協力してくれる地元のNPOはどうやって探したんですか?
珠洲市と金沢市には、以前から連携している組織がありました。あとは現地に入ってから探しました。
──行ってから足場を探すということですね。
そうです。頑張っている団体があったら紹介してくださいと言って歩き回りました。
──最初はどんな活動から始めたのですか。
はじめに珠洲市の避難所で、高校生やおばあちゃんたちと一緒に「みんなのこども部屋」というスペースを作りました。地元のNPO団体は被災していて、何をしたらいいのか途方に暮れていたので、一緒にやりましょうと声をかけ、徐々にその輪が広がっていきました。
──こども部屋を設けて、被災者はどんな反応を示しましたか。
まず、お母さんたちに伝えると、子どもを連れてきます。一緒に子どもと遊ぶお母さんに「ここで働いてくれる人を探しています」と声をかけると、「嬉しい!これからのことが不安でしょうがないから1円でも稼ぎたい」という反応が返ってきたんです。
私たちが東京からボランティアを1人連れてくれるだけでも往復3万円かかるわけですから、それだったら現地の人を時給1000円で30時間働いてもらった方がいいんですよね。
──その方が自立につながりますね。
何もやらない時間をひたすら過ごすことはよくないですし、働かなくなった親を持つ子どもの意欲を高めることは、とても難しいんです。
なぜ「みんなの子ども部屋」が必要なのか
──「みんなのこども部屋」は、東日本大震災の時から作っていたんですか。
こども部屋は西日本豪雨(2018年)からです。災害時、親は子どもが横にいると復旧のことを考える時間が持てません。避難生活が長引くと虐待リスクは上がるということも過去の経験からわかっていました。
そこで、子どもたちが自由に遊べる場を提供し、親がストレスをため込まないようにすることを支援活動として行いました。
──子どもを支援することで、保護者がフリーハンドになれる大人への支援でもあるのですね。先の不安がたくさんあるのにどうしよう、というストレスを回避できる手段としてもやる意義がありますね。
そうなんです。
──能登半島地震の発災から2カ月間活動してきた中で、子どもたちはどんな様子でしたか。
小さな子どもについては、安心して楽しく遊んでもらえればいいんです。
けど、思春期の子たちは複雑な感情を抱いています。大きな被害に遭っていない子でさえ「何もできなくて申し訳ない」と思い悩んで引きこもることもあります。被災した子たちも、これから家族とどこで暮らすのか、友達と会えなくなるのかなど、人生の選択を迫られています。