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分断する社会に、ノンフィクションは「人のやさしさ」に気づかせてくれた 壇蜜流 “事情マニア型” のスローニュース活用術

※旧SlowNewsのサービス終了前の記事です。文中のリンクは現在は使えませんのでご了承ください。

29歳でグラビアデビュー後、圧倒的な存在感で、ドラマやバラエティで活躍されてきた壇蜜さん。エッセイや小説も発表を続ける多彩な才能はどのように培われているのでしょうか。

2019年には漫画家の清野とおるさんと結婚。「互いに自立と自活をしながら、精神面でつながっている」という壇蜜さんたちは、ひとつのニュースの裏側にまで思いを巡らす事情マニアを実践されているとのこと。そこから得られるのは「他者への共感」だと言います。

そんな壇蜜さんにインタビューして、SlowNewsに収録されているノンフィクション作品を切り取ってもらいました。

壇蜜(ダンミツ) タレント
1980年12月3日生まれ、秋田県出身。O型。日本舞踊師範、調理師など多彩な職業を経た後、29歳でデビュー。数々の雑誌でグラビアを披露し注目を浴びる。テレビ東京系ドラマ『アラサーちゃん無修正』での主演をはじめ、TBS系ドラマ『半沢直樹』、NHK連続テレビ小説『花子とアン』などに出演。2013年公開の主演映画『甘い鞭』では、『第37回 日本アカデミー賞』新人俳優賞を受賞。19年11月、漫画家の清野とおると結婚。

紹介する作品
『24時間こども預かります 歌舞伎町で点いた火』(松本創『日本人のひたむきな生き方』より)
サマント・スブラマニアン『産地偽装の闇を暴く「サプライチェーンの科学捜査班」』
デュアア・エルデイブ『コロナ禍で見殺しにされる透析患者たち』
岡嶋裕史『メタバースとは何か』
荻原和樹『データを伝える技術』

絵本のウラ事情まで知りたい


――壇蜜さんはタレントや女優業もこなしながら、エッセイや小説をたくさん出版されています。当然、読書も大好き。書き手としても、読み手としても活躍されている壇蜜さんが、今回スローニュースを試していただいたところ、かなり使っていただいたとか。

壇蜜 いまはお仕事として書く方に重きを置いているので、どちらかというとじっくり読書をする時間を取れていません。絵本とか漫画を手に取る機会の方が多いかもしれませんが、絵本を読んだとしても、昔からその物語が描かれたウラの話を知りたくなるんです。例えば「グリム童話」とか「イソップ物語」「アンデルセン」など、それが描かれた時代背景だったり、思想だったり、深掘りするのが好きだったんです。

――表面に出てくる絵本の楽しさや教訓をそのまま受け取るのではなく、それが描かれた背景が気になるというのは面白いですね。

壇蜜 昭和女子大で英米文学を専攻していたので、大学時代にグリム童話の解説集を読んだことがあったんです。そのほか桐生操さんの『本当は恐ろしいグリム童話』なんかも読みました。たとえば「ヘンゼルとグレーテル」では、お菓子の家にさまよいこんだ兄妹のうち、魔女が男の子のほうを食べようとして、女の子を小間使いにします。なぜ男の子なんだろう、どうして女の子は食べないのだろうと思いますよね。そこで調べていくと、封建時代の欧州には、領主がいて、魔女はその領主の使いだったのではないかということが見えてきます。その領主が男の子が好きで、魔女のミッションは男の子をさらってくることだったのではないか。と、こんなウラ事情が見えてきました。そんな衝撃的な話を子ども向けに伝えるように試行錯誤があって今の「ヘンゼルとグレーテル」がある。絵本の世界とその裏側にある本当の世界のギャップを知ることが楽しかったのです。

――情報の背後に潜む真実ですね。まさに調査報道やノンフィクションが挑んできた世界観です。

壇蜜 そうかもしれません。ただし、私はブログやエッセイ、小説を書きますが、すでに世に広がっている情報をもとに、私の体験を重ね合わせて描いています。それは泉の水面をすくっているようなものかもしれません。

一方で、ノンフィクションやジャーナリストの方たちは、その情報を掘り起こしていくお仕事です。彼らは水をたたえる泉の水源を探り当てているようなもの。そんな貴重な作業は私にはそれができませんので、とても尊敬しています。

――とても美しく表現されますね。ブログやエッセイを書かれているとき意識されていることは何ですか。

壇蜜 私のブログは、ある意味で着飾った“余所行きの私″が表現されています。特にブログは無料で読んでいただいていますから、そこからファンクラブに入っていただいたり、夕刊フジの連載を読んでいただいたり、エッセイや小説を買っていただく。いわばブログは私のことをしっていただくイントロダクションだと思っています。

――確かにご著書には、ブログで表現されていることよりもさらに踏みこんで、ちょっとドロリとした壇蜜さんの感性に触れることができます。

壇蜜 そうなんです。無料のブログより有料のエッセイのほうが、私をより深く表現しているのかもしれません。それは私の狡猾で意地汚さなのかもしれません。でも、それは悪い意味ではなくて、ビジネスのために集まっている事務所の中の一人としての役割。私たちも一人一人が自立して仕事をしているわけですから。

でも、エッセイや小説を書いていても、やはり私はひとつの事象を深掘りをすることはしていません。たとえば、学校にあまり行かなかったという表現をするときでも、「学校になじめなかった」と表現したい。たとえば「仲間外れにされた」とか「いじめられた」と書くとさらに具体的に、どんなことをされて、それがいつまで続いたのか、なんてことまで書いていかなくては伝わらなくなってしまいます。でも「なじめなかった」と表現することで、その読み手の方の体験と重なり合って想像していただけます。それは一つのジャンルとしての読み物です。だからこそ、別のジャンルに位置する事情に踏み込んでいくジャーナリストの方々のお仕事が、とても大切だと感じるのです。

歌舞伎町に保育園を作った女性の、裏まで書き尽くした作品

――フジテレビの番組の『ザ・ノンフィクション』がお好きだと聞きました。

壇蜜 はい、やはり人にはいろんな事情があって、行動に行きつくもの。そんなことが分かるのがドキュメンタリーでありノンフィクションだと思います。この文脈で言えば、スローニュースで読んだ『24時間こども預かります 歌舞伎町で点いた火』は、とても心惹かれる作品でした。

――歌舞伎町の24時間保育園を作った女性の半生を描いた作品です。夜の街のシングルマザーへの偏見や金策と戦いながら、行政から認可を勝ち取った女性もまた、子どもを故郷に置き去りにして東京に出てきた過去がありました。

壇蜜 現代から過去と未来までもが見える作品でした。保育園を作った女性自身も一度は家庭を捨てたことが赤裸々に描かれています。しかし、そんな業を抱えている彼女だからこそ、希望のある未来につなげていくことができました。我が子を置き去りにしながら、歌舞伎町のシングルマザーの子どもたちに愛情を注ぐ。一見すると矛盾に満ちた行動でも、自分自身への向きあい方でこんなにも明るい未来が描けるのかと。やはり人生は自分との向き合い方でどんどん変わっていくのだなと、こんなことを思い知らされた作品でした。

――これを地上波のテレビでやれば、この女性はもっときれいに描かれたかもしれません。歌舞伎町で奮闘するその姿がクローズアップされるでしょう。しかし、この作品ではその彼女が最初に取った家族を捨てるという矛盾した行動に焦点を当てています。

壇蜜 家族を捨てたことへの女性の思いや、夫の女性の連れ子に対する思いなど、人の身勝手な行動を全て隠さないところがすごいと思いました。これが描かれることで歌舞伎町に日本で初めて24時間保育園が認可されたリアルが伝わってくる。皆、事情を抱えて生きているんだって、だからこそたくましくもなれるんだって思えました。こうした感情は、私の余所行きのブログでは味わえないし、まさに水源ともいえる世界の本当の事情が現れていると思います。

――また、The Guardianの『産地偽装の闇を暴く「サプライチェーンの科学捜査班」』を推していただきました。モノの「産地」が偽装されていることを、科学調査によって立証するジャーナリズムです。壇蜜さんはどのように読まれたのでしょうか。

壇蜜 取材者の意図とは違う感想かもしれませんが、私はかえって人間のエゴが産地偽装に繋つながってしまっているのではないかと感じました。確かに産地を偽るのは、消費者を欺く行為かもしれません。しかし、その産地というブランドを求めるあまり、消費者はモノの良し悪しすらも判断できなくなってしまっているのかなと。そうさせているのは、もしかして人間のプライドなのかもしれないなと思うことがあるんです。

たとえばハマグリやアサリの品質は中国産でも問題はないはずです。でも、熊本産が上質だと言ってそれを買い求める癖が日本人には染みついていますよね。だったら「天津甘栗」にもメイド・イン・ジャパンを求めるのでしょうか。こんな状態が続いていくと、やがてカニカマとズワイガニの区別もつかなくなっていくんじゃないかなと。そんな矛盾が産地偽装のウラ側にはあるかもしれないと感じました。

産地にもそれぞれに背景があって、経済的なものや伝統的なもの、宗教的なものまでいろんなウラ事情があるでしょう。私は秋田の曹洞宗のお寺で教えを受けて育ったので、それぞれの信仰がいかに人の生活に根差すものかもなんとなく見えてくるのですが、あふれるモノに対して一つ一つの産地を気にしていては、もう世界が成り立たなくなってしまっているようにも思います。

事なかれ主義かもしれませんが、だったら自分の食べるものにプライドを持ちすぎないほうがいいのかな。私が産地偽装の問題をこのように感じてしまうのも、この国に女性として生まれ、またこの時代を生きる一つの世代として生まれたことが大きく影響しているかもしれません。これもまた、私のウラ事情かもしれませんね。

分断の原因?人の事情が見えなくなる怖さ


――ProPublicaの『コロナ禍で見殺しにされる透析患者たち』も読んでいただいたとか。コロナ禍で医療体制が崩壊して、従来の医療患者たちが犠牲となっていく。そこには社会階層や人種によって提供される医療が違うという根深い問題もありました。

壇蜜 医療体制の逼迫ひっぱくは日本でも起こっていたことで、この記事はコロナと対峙する世界の問題として生々しい現場のリアルが報じられていました。私はこうした記事を読むことで人類が本当に頼りない生き物なんだということを感じました。コロナは「地球上の生物で最も頼りないのが人間なんだぞ」ということを突き付けたのかなと思います。

人間は他の生き者よりも、自活できるようになるまでにすごく時間がかかりますよね。自立できない人もたくさんいて、それに悩みを深くする人もたくさんいます。そんな頼りない生命体が世界を牛耳っている。今回コロナウイルスによって、いまの私たちを取り巻く環境でさえ、本当はすごく脆いものだということが分かってしまいました。

でも、弱いくせにプライドがあるから自分を守るために記憶も思い出もなんでも補正して武装しちゃう。こんな弱さを知った私たちが、次に何をするか、ですよね。

その点で普段からあふれている情報が、どのように切り取られているのかを知る上で、『データを伝える技術』はとても勉強になる作品でした。一つのデータを伝えるために、報道の方々は、いろんな創意工夫をして分かりやすく、ポイントを伝えようとされています。でも、そこに作り手の誠実さが失われたら…。悪意のある情報操作も簡単にできてしまうんだと。

――『データを伝える技術』はメディアの人たちに向けて解説された作品ですが、それを読んでフェイクニュースを察知する情報リテラシーを学ぼうとされたのですね。素晴らしい読み方です。

壇蜜 ありがとうございます。まさにデータのカラクリという話を聞いたことがあったので、興味があったんです。また、その発想の末にデータを使ったテクノロジーもすごい発展を遂げていますよね。

そこで読んでみたのが『メタバースとは何か』でした。でもそこに現れるヴァーチャルリアリティと呼ばれる疑似世界は、これが当たり前になっていいのかなと思っちゃいますね。人間が疑似空間の中で、現実には体験したり、知らなかったりすることまでエゴや欲望のままに見える化されてしまう。現実の世界で生きるために、少しくらい曖昧なままの方がいいんじゃないかなって思えてきます。

そうしたエゴと欲望を満たすだけの世界は、意図しない内に今のフィクションの世界を覆っているような気もしています。本来、人が持っている感情とか寛容さが、テレビドラマや映画では色濃く表現されていきます。でも、それがさらされるほど逆に、「現実は別だよね」という切り離しが行われているような気がしてすごく怖い。だからこそ、ノンフィクションを読む価値があるんだと私は思えてきました。

事情マニアの夫、清野とおるの人間像


――確かに、壇蜜さんのパートナーで漫画家の清野とおるさんの『東京北区赤羽』はノンフィクションの傑作です。

壇蜜 そうですね。描かれている人たちは、みんな生身で生きることを体現していると思います。特に街を歩いていて、真っ赤な服に身を包むおじさんが、なぜそうなったのかを追及したりする作品があります。普通の人からすれば変わったおじさんも、清野さんはなぜそんなに真っ赤な服に身を包むのか、そのウラ事情を知りたがるんです。普通の人には見えない軸を持っている清野さんは、本当にラッキーな人です。

清野さんは事情マニアと言ってもいいかもしれません。先日も人前でイチゴの板チョコをたくさん持ち歩いて、これ見よがしに美味しそうに食べている青年を見つけました。そこで、二人でつけていったんです。私にはちょっと近づいちゃいけない人にしか思えないのですが、清野さんはなぜ彼がイチゴチョコにあれほど執着しているのか、またそれを美味しそうに食べる自分を人に見せたがるのかを知りたがるんです。電車に乗っても座席で美味しそうに食べていました。ずいぶんと付け回した後、清野さんは「彼はイチゴのチョコが好きなんだ」「それを知ってほしいという気持ちが、心の中で誤作動したに違いない」と納得して、ようやく尾行をやめました。

清野さんは、人が何を思ってそんな行動をとるのか、そこには必ず事情があるんだってことを追及している方なのです。

――それこそノンフィクションの一つの形ですね。

壇蜜 やっぱり人が生きているからには、それぞれの事情があると思うんですよね。歌舞伎町の保育士さんもそうだし、モノのサプライチェーンを構成している世界の産地にもやっぱり人知れぬ事情があるんだと思うんです。それは彼らの自立や自活のためには仕方がなかったことかもしれない。私のブログの狡猾さも自立のための意地汚さだったりもするわけですが、でもみんな生きるためにそこは同じだから…。

他者の事情をリアルな世界で知ることで、私たちはその人に寛容な気持ちで接することができるようになるのかなって思います。

構成:藤岡雅  写真:穐吉洋子