不思議な裁判官人事 第3回 原発を止めたらどうなるか?
取材・執筆:木野龍逸・フロントラインプレス
国家賠償請求や事業の差し止め請求などで国に不利な判決を出した裁判官は、その後の人事で左遷されるのではないか。そんな“都市伝説”を検証するため、フロントラインプレスは記者2人で取材チームをつくり、膨大な数の判決と格闘してきた。数百本、文字数にして何百万字もの判決文を読み込むなどし、「その後の人事異動」を評価する対象として141人の裁判官をピックアップした。判決と人事異動の因果関係を検証する連載の3回目は、原発の差し止め請求の裁判を見ていこう。日本全体のエネルギー問題を左右する原発政策は、まさに国家の根幹。その裁判で「国に不利」な判決を出した裁判官は、その後、どんな裁判官人生を送っていくのか。
原発を止めたのは「エリートではない裁判官」が圧倒的多数
原発の再稼働を止めさせる訴訟は、明らかに加害者と被害者がいる原発事故と違い、エネルギー政策そのものに影響する。国にとって本丸と言える裁判だ。東京電力福島第一原発の事故前から各地では「運転の差し止め」を求める訴訟が相次いでいたが、原発事故後は原告の請求を認める判決も増えてきた。
こうした訴訟は、電力会社に運転の差し止めを求めたり、原発を建設・稼働させるために必須の設置許可の取り消しを国に求めたりする。脱原発弁護団全国連絡会が2021年3月10日現在でまとめたところによると、現在進行形のそうした裁判の件数は、訴訟31件、仮処分の申し立て3件。合計で34件を数える。すでに終了した裁判も多いが、実際に原発の運転差し止めなどを認めた判決は多くない。「国敗訴」「電力会社敗訴」の過去判決9件を一覧表にまとめてみた。まずはそれをご覧いただきたい。ただ、下級審で差し止めなどが認められても、全ては最終的に上級審で覆っている。原告の請求が認められ、確定したことは一度もない。
表には判決を言い渡した裁判長の名前、および、各裁判長の「エリート度」「冷遇度」の評価も盛り込んでいる。一覧表にすると、一目瞭然だ。運転差し止めなどを言い渡した裁判官のエリート度は、軒並み「1」。エリートコースとは縁遠い経歴だったことがわかる。全体としては、最高裁の行政部門に座るようなエリート裁判官はそもそも原発差し止め訴訟のような、国の根幹に関わる訴訟にタッチしていないし、ましてや「原発を止めろ」と判決で示すことはない。
一覧表を見ると、冷遇度の数値も高くないことが見て取れる。原発を止めた裁判官たちは、そもそもエリートとは言い難いため、その判決によって人事で冷遇されることもないという実態が見えてくるのだ。
「エリート度」と「冷遇度」の評価を担ったのは、明治大学政治経済学部の西川伸一(にしかわ・しんいち)教授だ。裁判官人事の研究では、日本の第一人者である。西川教授による「エリート度」の指標は、以下の通りだ。最も高い「4」はエリート中のエリート。逆に「1」はそうではないことを示している。
4:最高裁事務総局局付の勤務歴のある者、および法務省へ異動しての勤務歴が長い者
3:高裁所在地の地裁所長、東京家裁所長、横浜地裁所長、京都地裁所長、神戸地裁所長の勤務歴のある者
2:3と1の間にいると考えられる者
1:支部勤務、家裁勤務が長い者
「冷遇度」の指標は、以下に基づいている。「国敗訴」などの判決を出した後、その裁判官がどのように遇されたかを評価する内容で、こちらは5段階。数字が大きいほど冷遇されたことを示している。冷遇の度合いが最も大きい場合は「4」、無関係の場合は「0」になる。
4:当該判決の影響が顕著に推測される者
3:当該判決の影響がかなり推測される者
2:当該判決の影響がある程度推測される者
1:当該判決の影響が推測できるか微妙な者
0:当該判決の影響がまったくみられない者
一覧表のうち、ただ1人の冷遇度「3」は、『もんじゅ』の設置許可処分を無効とする判決を出した名古屋高裁金沢支部の川崎和夫(かわさき・かずお)である。原発の差し止め訴訟で原告が勝訴したのは、この裁判が初めてだった。
川崎は同支部長だった2003年に『もんじゅ』の判決を出し、その後は熊本家裁の所長に転じた。西川教授によれば、金沢支部長からの異動先が名古屋高裁管内にならなかったのは、過去20人中、川崎を含めて4人しかいない。いずれも、岡山、宮崎、熊本、高松というあまり大きくない家裁(宮崎は地家裁)の所長に転じている。
川崎の経歴を見ると、任官してからは東京近辺の勤務がほとんどだ。西川教授は「定着は東京高裁管内だったのではないか」と推測する。裁判官は、一定の年数を経ると全国に8カ所ある高裁が所管する地域のいずれかに勤務地が「定着」することが多いのだ。
ところが、川崎は定着していたはずの東京を離れて突然金沢に行き、さらに西の熊本へ異動していく。しかも九州は初めての任地である。川崎の出身地は佐賀県で大学も九州大学だが、熊本に赴任後は2年で依願退官しているうえ、退官後は東京で公証人をしていることから、西川教授は「九州勤務には違和感を感じる」と言い、冷遇度「3」と高くした。
では、『もんじゅ』判決以降に原発を止めた裁判官たちはどうだろうか。その評価を1人ずつ、ざっと見てみよう。
裁判官という公的な立場といはいえ、自身の経歴を「ああでもない」「こうでもない」と論評される人たちに対しては、失礼なことだとは思うが、お許しを願いながら検証を続けたい。
【井戸謙一(いど・けんいち)司法修習31期=志賀原発の運転差し止めを認める】
(判決例)
金沢地裁の部総括だった2006年3月24日、北陸電力志賀原発2号機の運転差止め訴訟において、安全設計の基準を超える地震が発生する可能性が否定できないため同機の耐震性は十分とは言えず、事故時には住民の放射線被ばくの危険があるとして、運転差し止めを認めた。裁判の進行と同時期に、国は耐震設計審査の指針見直しを進めており、判決後に新指針を定めた。
(異動歴)
1979年に任官。神戸や甲府などの地裁で判事補を務めた後、1989年に大津地家裁彦根支部で判事、2002年に金沢地裁で部総括。その後は京都地裁部総括、大阪高裁判事を務め、2011年に依願退官。
(西川教授のコメント)
金沢での判決後も京都地裁部総括、大阪高裁という異動なので冷遇とは言えない。もう少し長くいれば高裁の部総括になったかもしれない。エリート度の表では「1」としているが「1.5」くらいのイメージ。
【樋口英明(ひぐち・ひであき)司法修習35期=大飯原発、高浜原発の運転を差し止め】
(判決例)
福井地裁部総括として2012年4月から15年4月の間に、原発の運転を止める判決と、仮処分を出した。訴訟の判決は2014年5月21日。関西電力大飯原発3、4号機の運転差し止めを認めた。仮処分決定は2015年4月14日。関西電力高浜3、4号機の再稼働を認めなかった。仮処分で原発の運転を禁止したのは初めてだったとされる。
(異動歴)
1983年に任官。1993年に和歌山家地裁田辺支部で判事。その後は大阪や名古屋の地裁、熊本地裁などの支部を経て2009年に名古屋地家裁半田支部長。2012年に福井地裁で部総括。原発の運転差し止め判決の後に名古屋家裁部総括になり、2017年に定年退官。
(西川教授のコメント)
田辺、玉名(熊本地裁)、半田(名古屋地裁)と支部勤務が長いこともあり、エリート度は「1」と評価した。原発の判決後の異動も地裁から家裁ではあるものの、福井から格上の名古屋なのでそれほど冷遇というわけではないだろう。
【山本善彦(やまもと・よしひこ)司法修習40期=高浜原発の運転差し止めを認める】
(判決例)
大津地裁の部総括として、関西電力高浜原発3、4号機の再稼働禁止を求めた仮処分申し立て事件を担当。2016年3月9日、基準地震動の策定や津波対策、避難計画などが関電から十分に説明されていないなどとして運転の差し止めを認めた。
(異動歴)
1988年任官。1998年に鹿児島地裁で判事。福岡地裁、大阪高裁などを経て2011年に山口地裁部総括、2014年に大津地裁部総括。2020年に大阪高裁判事で定年退官。
(西川教授のコメント)
高裁部総括、地家裁所長にならずに定年退官しているが、大津地裁から大阪高裁判事はそれまでの経歴から見ても冷遇という異動ではない。
【野々上友之(ののうえ・ともゆき)司法修習33期=伊方原発の運転差し止めを認める】
(判決例)
広島高裁の部総括として、四国電力伊方原発3号機の運転差し止めを求める仮処分の抗告審を担当。2017年12月13日に、火山の危険性に関して原発への影響はないと評価した原子力規制委員会の判断は不合理などとして、1審の決定を変更し、運転差し止めを命じた。
(異動歴)
1981年任官。1991年に大阪地裁で判事。2002年に岡山地裁、2006年に広島地裁、2011年に大阪地裁でそれぞれ部総括。基本的に中国地方(広島高裁管内)を中心に異動。2014年に広島高裁で部総括になり、2017年12月に定年退官。
(西川教授のコメント)
判決のすぐ後に定年退官しているので冷遇度は判定不能。大阪地裁と広島高裁管内が中心なのでエリート度の評価は「2」。出身が岡山なので中国地方が多いのは本人の希望かもしれないが、岡山と広島が中心で最後は広島高裁の部総括になっていることを考えると、当初から中国地方のエースとして育てようとした可能性もある。
【森一岳(もり・かずたけ)司法修習34期=伊方原発の運転差し止めを認める】
(判決例)
広島高裁の部総括として、四国電力伊方3号機の運転差し止めを求める仮処分申し立ての抗告審を担当。2020年1月17日、原子力規制委員会による火山噴火の影響評価や、中央構造線に関する活断層の評価などが過小、あるいは不十分などとして運転差し止めを認める決定を下した。規制委の火山ガイドラインが不合理とも指摘した。
(異動歴)
1982年任官。1992年に大阪地裁で判事。2008年に新潟地裁で部総括。2011年に東京高裁右陪席、2014年に千葉地裁松戸支部長などを経て、2016年に広島高裁で部総括。2020年1月に定年退官。
(西川教授のコメント)
判決のすぐ後に定年退官しているので冷遇度は判定不能。大阪地裁で判事になってからは広島高裁管内、東京高裁管内の比較的大きな地裁も長いが、支部勤務も多い。当初は広島、次は東京で定着しているようだが、最後はまた広島に戻って高裁部総括になっている。異動に一貫性がないように見える。評価が難しく、エリート度の表では「1」としているが「1.5」くらいのイメージ。
【森鍵一(もりかぎ・はじめ)司法修習49期=大飯原発の設置許可処分を取り消した】
(判決例)
大阪地裁部総括として、原子力規制委員会が関西電力に与えた大飯原発3、4号機の設置許可処分の取り消しを求めた裁判を担当。2020年12月4日、規制委の審査には看過しがたい過誤、欠落があるとして設置許可を取り消した。福島第一原発事故後、設置許可の取り消しを認めたのは初めて。
(異動歴)
1997年任官。2007年に大阪地裁で判事。2000年に最高裁行政局付になっているほか、2009年に福岡高裁那覇支部、2015年に那覇地裁部総括と2回の沖縄赴任がある。2020年に大阪地裁部総括。
(西川教授のコメント)
初任地の大阪に始まり、その後に最高裁行政局付、東京地裁、いったん地方に出て大阪に戻るというのは、大阪高裁管内のエースに育てようというルート。行政局はエリートコースでもあり、「4」と評価。那覇地裁は往復切符と言われていて必ず戻る。2回行って2回とも大阪に戻っているのは典型的。
【前田英子(まえだ・えいこ)司法修習42期=東海第二原発の運転差し止めを認める】
(判決例)
水戸地裁部総括として、原告ら住民が日本原電に東海第二原発の運転差し止めを求めた訴訟を担当。2021年3月18日、原発から30km圏内の住民94万人に対する避難計画、防災体制が極めて不十分であり、原発の運転には具体的な危険性があるとし、運転の差し止めを命じる判決を出した。裁判所が避難計画の不備を理由に差し止めを認めたのは初めてだった。
(異動歴)
1990年任官。2000年に仙台地裁で判事。横浜地裁や静岡家裁、東京地裁立川支部などを経て2018年に水戸地裁で部総括。
(西川教授のコメント)
東京高裁管内がほとんどで、出たのは仙台だけ。立川支部は大きく、支部長は人口が少ない県の所長よりも格が上。水戸地裁は横浜地裁に次ぐような位置付けなので、そうした裁判所の判事や部総括を経由するのは悪くないので、エリート度は「2」と評価した。
以上のように、全体ではエリート度も冷遇度も低い裁判官が多いことが一目でわかる。この全体像を見て、西川教授はこう指摘した。
「もともとエリート度の低い裁判官が、原発を止める判決を多く出しています。したがって、『原発を止めたら左遷』という前提条件が成立しにくく、この言説は都市伝説に過ぎなかったということでしょう。それに、『原発を止めたら左遷』という露骨な人事はさすがにできないでしょうし、そもそも露骨な人事の対象になりそうなエリートは差し止めなどの判決を出していないということです」
「判決後の異動は左遷ではない」と明言した裁判官
もうひとつ、都市伝説を否定する話が出てきた。
福井地裁で関西電力の大飯原発、および高浜原発の運転を止める判決や決定を出した樋口英明元裁判長が最近、『私が原発を止めた理由』(旬報社)を出版し、その中ではっきりと噂を否定しているのである。それに関する記述の一部を紹介しよう。樋口はこう言っている。
「脱原発派の多くの人は『多くの裁判長が原発の差止めを認めないのは、圧力に屈したかあるいは政権に忖度しているためだ』、『樋口裁判長が大飯原発を止めたのは圧力に屈しなかったからだ』と思っています。そして、私が自分の信念に従った勇気ある裁判をし、そのため名古屋家庭裁判所に左遷となったと言う話がまことしやかに語られています。話としてはとても面白いし、わかりやすいのですが、私は名古屋家庭裁判所への移動を左遷と思った事はありませんし、結論に迷いはなかったので判決を出すことに勇気をふるう必要もなかったのです」
実は樋口は、2015年には名古屋家裁と福井地裁を兼務する立場(「職務代行」という)で仮処分の決定をしていた。樋口の異動直前の2015年3月に、関西電力が裁判官の忌避申し立てをしたため、福井地裁部総括のままでは決定を出せなくなったからだ。このことを振り返り、樋口は『原発に挑んだ裁判官』(朝日文庫) の中で、朝日新聞記者の取材に答える形で次のように話している。
「わたしから職務代行を申し出たところ、名古屋高裁は即OKしてくれました。わたしがどのような決定をするのかはわかったうえで、職務代行を許可してくれたのです。これを見れば『裁判所は最高裁を頂点とした一枚岩で政権に迎合している』という単純な図式は間違いだとわかります」
この連載の第1回で紹介したように、樋口は2017年に裁判官を定年で退官した翌年、北海道新聞のインタビューで名古屋家裁への異動後に扱った離婚問題などに触れ、「子の親権者を父母のどちらにするかを決めるのはすごく難しい。国全体から見れば小さな問題かもしれませんが、そっちのほうがよほど悩みました」と語っている。原発差し止めの是非よりも、子どもの親権問題で悩み抜いた――。樋口の人間性をうかがい知れるエピソードだ。
確かに福井地裁から名古屋家裁への異動は微妙なニュアンスを含んでいて、検証チームでも冷遇度の評価をどうするか、逡巡したことがあった。最終的には「1」(=当該判決の影響が推測できるか微妙な者)としたが、当事者が左遷を否定しているので妥当ではないだろうか。
以上の通り、少なくとも樋口については、「原発の運転を止めたから家裁に左遷された」という図式は、根拠がないと思われる。単純に噂を信じてはいけないのだ。
ところが、もうひとつの都市伝説、「裁判官は退官直前に国を負けさせる」に当てはまるケースは、複数存在したのである。
退官直前で「原発を止める」裁判官たち
退官直前で原発運転の差し止めを求める仮処分を決定した――。
この決定を下したのは、いずれも広島高裁の裁判官だ。被爆地広島の高裁で2人も続いたのは、何かの縁だろうか。原発事故の集団訴訟では、退官間際に「国敗訴」を言い渡したケースが1件あったが、今回分析している「差し止め」では仮処分の決定から2週間以内に退官しているので、まさに“去り際の一発”のような感じがある。
退官間際に国敗訴の判決を出すことについては、元裁判官であり、現在は明治大学法科大学院法務研究科教授の瀬木比呂志(せぎ・ひろし)が著書『檻の中の裁判官』(角川新書)で、次のように書いている。
「よく、退官直前にそうした判決を出した裁判長を揶揄する言葉(「退官直前だからああいう判決ができたのだ」)を聞くことがある。しかし、そんな事はいうべきではないと私は思う。たとえ退官直前の判決であっても、陪席たちの将来のことは考えなければならない(陪席が比較的若い地裁であればともかく、高裁の場合、陪席たちも中堅以上だから、果敢な判決についてはリスクを負いやすい)し、退官後の付き合いのこともある。相当の勇気が必要な決断であることに変わりはないのだ」
また、私たちの取材に匿名で取材に応じた現役裁判官も「合議体なので陪席のことは考えます。上級審で維持されるような内容ならいいですが、覆ることを気にすることもあります。だから陪席から異論が出れば尊重すると思います」と話した。
他方、匿名を条件として取材に応じた別の裁判官は、自衛隊のイラク派遣について憲法違反と指摘した2008年4月の名古屋高裁判決などを引き合いに出しながら、「特異性のある判決は裁判長の責任だという認識があります」と言った。当時の裁判長・青山邦夫(あおやま・くにお)がイラク派遣を違憲とした判決は、2008年4月17日。そして青山はその直前の3月31日に依願退官していたのである(判決文は法廷で別の裁判長が代読)。
この匿名裁判官は言う。
「そういう(退官直前に特別な判決を出す)ことをする人は、昔よりは減っていると思います。昔はほんとに最後だけの人もいました。でも特異性のある判決は裁判長の責任であって、陪席に責任はないという認識は(多くの裁判官に)あると思います。だから最後だけというのもできたのだと思います」
退官間際に「国敗訴」などの思い切った判決を出す理由については、いろいろな解釈がありそうだ。その傾向を裁判官たち自身がどうとらえているかについても、見方は分かれそうだ。ただし、理由や解釈がどうであれ、退官直前に重大な判決が出るケースは現に存在し、今もある。
エリート裁判官が原発を止めた例
ところで、原発関連訴訟を見ていると、最近、「国敗訴」などの判決を出す裁判長の経歴が、少し変化してきたように見える。
例えば、前回の連載第2回で取り上げた原発事故の被災者による集団訴訟。そのうち、『千葉訴訟』の控訴審で国の責任を認め、原告に逆転勝訴の判決を出した東京高裁の裁判長・白井幸夫(しらい・ゆきお)は、その直後に名古屋高裁長官への栄転が決まっている。エリート度の高い裁判官が国・東電に不利な判決を言い渡したかたちだった。
原発の運転差し止めの関連では、大飯原発の設置許可処分を取り消した大阪地裁の裁判長・森鍵一の存在が目立つ。上の表を見てもわかる通り、森鍵のエリート度は最高位の「4」。エリート中のエリートである。差し止めを認める裁判官にはエリート度「1」が多い実情と比較すれば、森鍵の存在は際立つ。
森鍵は、選びぬかれた裁判官が就く最高裁行政局付を経験したほか、沖縄赴任(那覇地裁部総括、福岡高裁那覇支部)の経歴も持つ。沖縄は単なる地方勤務ではない。「米軍基地関連など統治行為論(に関わる裁判)があり得るので、特定のエリートしか行かない。しかも判事補、判事、部総括、所長などと繰り返し行くことがある」(前出の匿名裁判官)。森鍵のケースはまさにそれに当たる。
ちなみに、統治行為論とは「国家機関の行為のうち、条約の締結や衆議院の解散など国家統治の基本に関する極めて高度の政治性を有する行為(統治行為)は、裁判所の司法審査の対象にならない」という理論だ。在日米軍の違憲性を問うた砂川事件裁判などでこの論は採用されている。
では、森鍵はこれまでにどんな判決に関わっているのだろう。
2013年4月には、大阪地裁の右陪席として、大飯原発の運転差し止めを求める仮処分の申し立てを担当し、門前払いで却下した。那覇地裁では、米軍基地に関する訴訟も担当していた。例えば2016年12月6日には、沖縄県北部の高江地区に米海兵隊の軍用機オスプレイの発着場が建設されるのを差し止める仮処分申し立てを却下している。そのほかにも北部訓練場に関する情報公開訴訟などで、いずれも国の政策に沿った判決を出した。一方、北部訓練場の絡みでは、反対住民を支援していた弁護士が「警察官に2時間通行を制止されたのは違法」とした訴訟も担当。弁護士の訴えを認め、被告の沖縄県に慰謝料の支払いを命じる判決を出している。
森鍵は、ごく最近の2021年2月にも注目すべき判決を出した。生活保護の受給者42人が、国による保護費の減額は違法・違憲だとして大阪府内の12自治体と国を相手取った裁判だ。ここでは、基準引き下げは違法という判決を出して注目を集めた。報道によれば、同様の訴訟は全国で約30件あり、判決は2つ目。引き下げを違法とした判決は初めてだった。ただ、憲法判断はしていない。
こうやって森鍵判決を見ていくと、国に対する判断に何かの傾向があるようには見えない。憲法判断に踏み込まないなど一線を越えていないので上級審を意識しているという推測はできそうだが、「上級審の判断に耐えられるかどうか」は下級審の裁判官の多くが意識することであり、特別なことではない。
こうした経緯を踏まえて、西川教授は「森鍵さんがこれからの人事でどうなるかによって、都市伝説の度合いがわかるかもしれません」と言う。大飯原発の設置許可処分を取り消した森鍵判決は、2020年12月4日だ。本稿執筆時点では、それから4カ月しか経過しておらず、この判決が次の人事に何か影響を与えるかどうかは見通せない。
判決を書くとき、裁判官は人事を意識するのか?
「国敗訴」などの判決を出した裁判官は左遷される――。繰り返しになるが、この都市伝説に信憑性があれば、それは噂ではなく“事件”だ。では、当事者の裁判官はこの都市伝説をどのように考えているのだろう。判決を書く時、今後の人事や内部評価を意識するのだろうか。そもそも裁判官たちは、自らのキャリア、すなわち裁判官人生をどう考えているのだろうか。
比較的最近までその職にあった裁判官たちを尋ね歩くことにした。
3月の晴れた日、私鉄とJRを乗り継いで、東京近郊のベッドタウンに向かった。訪ねる先は、瀬木比呂志の自宅である。駅前からてくてくと歩いていると、少し汗ばむ。脱いだコートを小脇に抱え、細い道を進む。10分ほど歩いた先に目指す住宅があった。
瀬木は司法修習31期。1979年に東京地裁判事補として任官した。1986年には最高裁民事局付に着任し、1989年には大阪地裁で判事。1992年には那覇地裁沖縄支部で部総括を務め、1994年に東京に戻って最高裁調査官になる。エリートコースだ。しかし最高裁での司法官僚生活に馴染めなかったこともあり、2012年に依願退官した。
その後は、先述した通り、明治大学法科大学院法務研究科の教授。刊行したばかりの『檻の中の裁判官』のほか、いくつもの著書がある。『檻の中の裁判官』では、自ら経験した裁判官生活を通して見た裁判所の問題や、今後の司法のあり方について詳しく書き記している。
居間で向き合い、取材は始まった。単刀直入に質問を重ねていく。
――市民に有利な判決を出すと左遷されることはあるのでしょうか。
「多くの場合、あると思います。もっとも、すぐにということは比較的少なく、ひと呼吸置いてからが多いと思います。また、長期間にジワジワと、同期との間で差をつけるやり方で意地悪をするという場合もあります。(その人事を評価するには)10年くらいではダメで、最後まで見ないとわからないのです。部外の人間には簡単にわからないような差の付け方もあり、当人には結構こたえるものなのです」
――人事に影響のある判決というのはどのようなものでしょうか。例はありますか。
「価値関係訴訟です。社会的な価値に関わる訴訟一般と、『統治と支配』の根幹に触れるものです。例えば刑事の重大事件は統治と支配の根幹に触れますし、冤罪事件といわれる事件などはすべてそう言えます」
――民事事件で現場の裁判官が気にするようなものはありますか。
「一般化はしにくいですが、例えば国賠(国家賠償請求)や原発が関係するもの、社会に関わる新しい法律問題等は気にします。労働事件や公害事件も社会的な影響は大きいのですが、これは時代や場合によります」
――場合というのは?
「例えば60年代から70年代にかけては、労働問題が焦点でした。でも近年はそうでもないと思います。時代の流れとか、その事件の性質などとの相関なので一概には言えないんです」
瀬木は「価値関係訴訟」に関してジャーナリスト・清水潔との対談をまとめた『裁判所の正体』(新潮社)の中でこうも言っている。
「夫婦別姓については、まさに「統治と支配」の根幹にふれ、自民党主流派の感覚にもふれますから、絶対さわらない。だけど、非嫡出子の相続分については、そんなに大きな問題ではないので、民主的にみえる方向の判断を下す。やや意地悪な見方かもしれませんが、日本の最高裁の判断を注意深くみていくと、大筋としてはそんな感じでバランスを取っている傾向が強いと思います」
つまり原告を勝たせるのか、国を勝たせるのかは、人権感覚のようなものとは別の、違う尺度での裁判官のバランス感覚にもよるということらしい。この場合のバランスは、匿名裁判官の言う社会観とは少し違う、処世術的なバランス感覚という意味もありそうだ。そしてこのバランス感覚は、原発関連の訴訟にも当てはまると瀬木は言う。
「目立った判決を出さないのが一番」
「原発事故に由来する民事訴訟では、ある程度、原告が勝っていますよね。原発事故は一種の公害なので、損害賠償で原告を勝たせることにさほどの抵抗感はないんです。あれほどの被害を被ったのだから、それを放り出すようなことは肯定できない。でも原発を止めるとなると非常に抵抗感が出てくる。このへんがバランスなんです。つまり『統治と支配』の根幹に触れるかどうかということです」
――裁判官には、どんな事件が国の琴線に触れる事件なのかわかるのですか。
「はい、裁判官ならただちに、においというか、勘でわかります。言葉で説明するのは難しいのですが、例えば、映画を見てそのシーンがロケなのかセットなのかは、観客にはわからなくても、プロが見ればすぐにわかると思うんです。それと同じで、これは危ない事件だというのはなんとなくわかるんです」
――なんだか、ハズレくじのように聞こえます。だとすると、裁判官は、ハズレくじに当たることを避けたいのではないでしょうか。
「大きい事件はやりたくないというのは、ごく普通の裁判官の考えだと思います。面倒な上にすごく手間がかかって、心労があって、しかもその結果、組織の中でプラスに評価されるとは限りません。果敢な判断をすれば、むしろマイナスになりかねない。日本の平均的な裁判官がそんな事件をやりたいわけがないです」
――マイナス評価を嫌うというのは官僚的な考え方に思えます。でも、人事評価的にプラスになるような裁判の判決というのも考えにくい。そうだとすると、裁判官社会の競争の中で、人より前に行くにはどうすればいいのでしょうか。
「それは昔から言われていることですが、訴訟に関して言えば、何もしないのが一番ということです。目立った判決をしないことです。だから事務総局の、特に経理、人事、総務の各局のような官房系の上に行く人たちは大事件はやってないことが多いと思います。例外として、原発の訴訟ではいわゆるエリートを送り込むこともあったようですが、それも『こういう結果にしろ』という指示をしているわけではありません。でも送り込まれた人はわかっていますから、裁判所当局の意向に沿わない判決をすることはまずありません」
原発訴訟などのやっかいな事件は、裁判官も避けたいものだと瀬木は言う。その担当になるかどうか。「何もしないのが一番」という社会では、担当事件を機械的に割り振る現状の方式は、裁判官にとってロシアンルーレットのようなものかもしれない。
では、やっかいな事件に当たった裁判官はどのように考えているだろうか。
今度は別の元裁判官を訪ねた。
初めて原発「差し止め」判決を出した裁判官に聞いた
弁護士の井戸謙一は、滋賀県彦根市に事務所を構えている。最寄りはJR南彦根駅。小さな駅だが、ゆるキャラの『ひこにゃん』、国宝の天守を持つ彦根城は全国的に有名だ。彦根付近は関ヶ原にも近く、比較的雪も多いという。取材の日も雪こそ降っていないかったものの、風は冷たく、強かった。
井戸は金沢地裁の裁判長として、北陸電力志賀原発(石川県)の差し止め訴訟を担当し、2006年3月、差し止めを認める判決を出した。運転中の原発に「差し止め」を言い渡した日本で初めての判決だった。福島原発の事故前のことである。
退官して弁護士になった後も、井戸は原発関連の訴訟に関わり、原告側の代理人として度々法廷に立ってきた。弁護士になった時には、原発のような大きな事件には関わることはないだろうと思ったそうだが、そうはならなかった。今も複数の原発関連訴訟で弁護団の中心的な役割を果たしている。また、2020年3月に再審無罪が確定した滋賀県東近江市の湖東病院事件でも弁護団長を務めていた。
小さなビルの一室。
井戸の事務所で入り打ち合わせ用の椅子に座ると、パーティションに掛けられた、鮮やかな千羽鶴が目に入る。湖東病院事件の支援者から送られたものだという。
井戸と向き合った。穏やかで、時折、笑みも出る。
――金沢地裁で原発の差し止め訴訟を担当すると決まった時はどう感じましたか。めんどうなものが回ってきた、とは?
「受けるのは自動的な配点で決まります。まあ、避けたいとまでは思いませんが、積極的に希望もしませんね。やっぱり負担が大きいですから。もちろん社会的な影響の大きい事件という自覚はあります。だけど、そういう影響の大きさや、判決内容に対する裁判所内部のリアクションは考えてはいけないと思って仕事をしていました」
――裁判官は一般的に大きな事件を避けたいという思いがある、と。そう聞きました。
「それは裁判官によると思います。国にとって重要な事件を無難に裁けば、自分の評価も上がります。社会的に意義の大きな事件に関与できるというやりがいもあるでしょう。それを感じる人と感じない人がいると思います」
――無難に処理とは、どういう意味でしょうか。
「処世術的には、あまり法廷を荒れさせないで、スムーズに迅速に判決までこぎつけることですね。また、論理矛盾で判決が攻撃されないよう細部まで目配りをして、結論はドラスティックなものにしないことです」
処世術的にはドラスティックな結論にしないほうがいい、と井戸は言う。しかし、志賀原発訴訟は「差し止め認容」という極めてドラスティックな判決だった。さすがに判決を書く時には重圧があったようだ。井戸は朝日新聞のインタビューに答え、「一番、プレッシャーを感じていたのは言い渡しの2カ月ぐらい前でしょうか。(中略)布団の中で、言い渡し後の反響を考えていると真冬なのに体中から汗が噴き出して、眠れなくなったことがあります」と答えている(2011年6月2日付)。
そんな思いまでしながら書いた判決。当時、井戸は何に気を遣ったのだろうか。
「結論は差し止めで決まっていましたが、そこに持っていく理由付けで、確実な事実認定と合理的な論理展開で結論に持っていくことを考えていました。結論は各方面から批判を受けるだろうと思っていましたが、判決で論理矛盾や強引な論理展開があったらどうにもなりません」
原発訴訟では、福島第一原発の事故後、原告勝訴の訴訟が増えており、前述したようにエリート度の高い裁判官が設置許可処分を取り消す例まで出てきた。
――原発の差し止め訴訟では、原告勝訴の数が増えています。
「裁判官にそれほどの勇気がなくても、差し止めなどの判決を出せる社会的な雰囲気にだんだんとなっているように思います。原発事故後にたくさんの原発が止まって、実際は原発がなくてもそれほど困らないことが明らかになってきたので」
――井戸さんが志賀原発差し止めの判決を書いた頃は、社会的雰囲気はまったく違ったのですか。
「原発がないと社会が成り立たないから、万一のことはあるかもしれないけど、我慢すべきという雰囲気もありました。だから私の判決でも気を遣っています。当時、北陸電力は電気が足りていたんです。志賀原発を動かしたら関西電力に電気を売るつもりだったんです。だからそこを判決で説明しないといけなかった。説明しなければ、『明日から江戸時代に戻ってもいいのか』という批判が出るのはわかっていましたから」
「裁判官には民主的基盤がない」
官僚的発想だと、「何もしないのが出世の道」ということになる。何もしないというのは、行政が決めたことに関して、司法は判断しないという意味だ。その点を裁判官時代の井戸はどう考えていたのだろうか。
――他の行政機構と同様、裁判所にも出世するなら何もしないのが一番という考え方があると聞きます。
「そういう発想の人はいるでしょうね。無難に目立たないで仕事をこなせば、それなりのポストには行くと思います。でも、人並みでいいならそうだろうけど、最終的にどこかの所長や高裁長官になりたいとしたら、どうなんだろうなあ……」
――裁判官にとって重要な事件とは、どのようなものですか。
「どれが重要でどれが重要でないか、その区分けは難しいですね。行政訴訟でも、文書公開に関するものは書きやすいし、数も多い」
――では、裁判官から見て、原告が勝ちにくい裁判とは。
「裁判官の違法行為による国賠はまず勝てません。あとはやっぱり、国防、防衛だと思います。政策の根幹に関わるものは、裁判所は判断を控えるべきだという感覚が色濃くあります。そうした問題になると、裁判官には民主的基盤がないという話が出てくるんです」
――民主的基盤がない? それはどういう意味でしょうか。
「行政が実行していることは、選挙で選ばれた国会議員が国会で立法したことをもとにしている。国民が選んだ議員によって立法がなされる形になっています。それに対し、裁判官は選挙で選ばれているわけではないので、民主的基盤がない。民主的基盤がない裁判官が、行政がしたことについて違法だとか、差し止めるとか、そういう判断には極めて慎重になるべきだという考え方です」
――その考えは、裁判所に入ってから身につくのでしょうか。
「裁判官生活の中で徐々に身につくのだと思います」
――ご自身はどのように考えていたのですか。
「私個人は、裁判官には違憲立法審査権まで与えているので、だから裁判官個人が(民主的基盤がなくても国家の根幹に関わるものを)判断してもいいと考えていました。でも、裁判官の間で議論すると、慎重になるべきという感覚の人は多いなと思いました」
「藤山さんでもこう言う目に遭わされるんだ」
そうした流れの取材で俎上に乗ったのが、「藤山人事」である。
司法修習30期の藤山雅行(ふじやま・まさゆき)のエリート度は最高ランクの「4」。最高裁事務総局行政局に在籍し、1課長と2課長を務めるなどエリート中のエリートだった。ところが連載第1回で触れたように、藤山は東京地裁第3民事部で行政事件を担当していた時代、「国破れて山河あり」をもじって「国破れて3部あり」と呼ばれたほど行政側に不利な判決を連発した。藤山はその後、千葉地裁部総括→横浜地家裁川崎支部長→三重県の津地家裁所長→名古屋家裁所長→名古屋高裁部総括という道を歩む。
今回の企画で裁判官の経歴評価を担当した明治大学の西川教授も「藤山さんのキャリアは典型的なエリート裁判官でした。『おとなしく』していれば高裁長官に就くことはほぼ確実だったと思います。しかし、東京地裁第3民事部の部総括後、藤山さんクラスならとうてい就かないようなポストに『左遷』されたように見えます」と指摘している。判決によってその後の人事異動が強い影響を受けたと判断できるため、冷遇度も最高の「4」とされた。
この人事を裁判所内部はどう見ていたのか。井戸自身はどう考えていたのか。
「私は関西にいたので詳しいことはわかりませんが、『あれ?』と思いました。やりすぎると、藤山さんでもこう言う目に遭わされるんだ、って誰もが思ったと思います」
行政局のエースだった藤山の異動は、裁判所内部でも不審がられて、あるいは、国敗訴を言い渡していたら、ああいうふうになる、という見せしめ的な側面も持っていたわけだ。
次回はこの藤山人事を検証し、裁判所人事の深淵を覗きにいく。
(本文中、一部の敬称を省略させていただきました)
つづく