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「永遠泳ぎ続ける」という表記は間違い?それとも…新聞校閲者が考えてみた

あふれるニュースや情報の中から、ゆっくりと思考を深めるヒントがほしい。そんな方のため、スローニュースの瀬尾傑と熊田安伸が、選りすぐりの調査報道や、深く取材したコンテンツをおすすめしています。

きょうのおすすめはこちら。

僕が言いたいのは永遠

「永遠と見てられる」
「永遠迷子になった」

それは「延々と」「延々」の間違いじゃないの?
と思ってしまいすが、実際にはネットではこうした使われ方があふれています。

これについて、中日新聞校閲部の方が書いたブロクが今日の必読です。

そのきっかけは、エッセイ『千葉からほとんど出ない引きこもりの俺が、一度も海外に行ったことがないままルーマニア語の小説家になった話』(済東鉄腸、左右社刊)です。

この本は、千葉の実家の子供部屋からもほとんど出ない引きこもりの映画オタクの男性が、一本のルーマニア映画に出会ったことからルーマニア語に目覚め、書籍や映画、ネットを通じて独力でルーマニアで作家デビューするという、にわかには信じがたい体験を書いたエッセーです。

なぜ『延々と』が『永遠と』になってしまったのか、そしてもし校閲としてその表記に出会ったときにどうすべきか、といった疑問に、中日新聞校閲部の河合優一郎さんが、辞書や記者ハンドブックを引き合いに答えてくれます。

この使い道が広まったのは、ダルビッシュ有党首のSNSがきっかけじゃないか、というのが河合さんの見立てですが、いまでは『三省堂国語辞典』や『明鏡国語辞典』にも、誤用や俗語として紹介されるほどに「定着」しているそうです。すごいぞダルビッシュ!

さらに、筆者は 「永遠泳いでる」といった用法が新たに生まれたのは、「延々泳いでる」には宿らないニュアンスがあるからだと見ます。「延々続く宴会」と書いた人はそろそろ帰りたいと思っていて、「いつまでも」を肯定的に捉えた熟語として「永遠と見ていられる」のような使い方を、誤用と切って捨てるには抵抗もあるといいます。

それでは、もし校閲者として、そうした用語がまわってきたらどうするのか。

それについては、元投稿のほうを読んでみてください。

言葉は生き物してどんどん変わっていきます。それに校閲者がどう向き合うのか。とても興味がわきました。(瀬)