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「ミステリー小説のよう」「学術作品として読める」満場一致で受賞の『黒い海』はどのように生まれたのか

大宅壮一ノンフィクション賞など4つの賞に輝き、今年のノンフィクション界の話題を席捲している『黒い海 船は突然、深海へ消えた』(2021年2月~4月SlowNewsで『沈没』として連載)。9月14日に、第45回講談社 本田靖春ノンフィクション賞の授賞式が行われ、著者の伊澤理江さんが受賞のスピーチをしました。今回は授賞式の様子をお伝えします。

伊澤理江さん

賞の贈呈にあたって挨拶したのは、講談社の野間省伸社長。このところのコロナ禍もあって3年ぶりに贈呈式を開けた喜びを述べたうえで、作品について次のように語りました。

「まるで良質のミステリー小説」

「『黒い海』はノンフィクションの凄みを見せつけるような作品でした。著者の伊澤さんは別の取材で耳にした過去の漁船沈没事故の話をきっかけに、真相に迫るべく、関係者に手紙を書き、話を聞くという手法を繰り返して、その結果、世間的には忘れられた事故の原因に、米軍の潜水艦が関係していたのではないかという大きな疑惑が浮上します」

野間社長から賞を贈呈される

「小さなきっかけが、やがて日米関係の不平等性にまで話が広がっていく展開は、ノンフィクションでありながら、良質のミステリー小説を読んでいるような気持ちにさせられました。伊澤さんは今後も取材を続けるとうかがっています。次回作も楽しみにしています」

「ダブル受賞問題なしの満場一致で」

続いて、選考委員を代表して原武史さんが講評を述べました。

「選考委員として2回目の選考に臨んだのですが、昨年とは全く対照的で満場一致で伊澤さんが受賞ということになりました。候補作の中で伊澤さんの作品が抜きん出ていたということです。
昨年は、大宅賞とのダブル受賞というのはどうなのかという声が出ましたが、今年はそういう声は全くありませんでした」

原武史さん

「学術作品に通じるものがある」

「私も強くこの作品を推しました。最終的に色んな可能性がある中で、一つ一つ丁寧に取材をされている。
私自身は政治学者なんですが、船体は深海に沈んでいるので、そういう意味ではもちろん限界があるわけですが、丁寧に取材を重ねつつ、最終的にアメリカの潜水艦の衝突というのが蓋然性としては一番高いだろうという結論に至ったそのプロセスは、学術作品にも通じるもので、もし伊澤さんが政治学者になっていたらおそらく超一流の政治学者になったのではないかと思いました。
私自身が学ばされるところが多い作品だったと思います」

「松本清張の作品と同じで、失われない価値がある」

「選考会議においては(事故原因に)他の可能性もあるのではないかという声も若干ありました。
確かにそれは否定できないと思いますが、例えば松本清張の『日本の黒い霧』などの金字塔のような作品でも、今日(こんにち)明らかに間違っていたというか、否定されているものもあるわけですね。
しかしだからといって、清張の作品が意味がなかったかというと、そんなことはないわけであって、私は仮にこの作品で導き出された結論が最終的に間違っていたとしても、この作品の価値はいささかも失われるものはないと思います」

「取材するだけでなく“しなやかな感性”が重要」

取材していく対象で非常に心に残ったのは野崎哲さん(沈没した第58寿和丸が所属した酢屋商店の社長)とのやりとりでした。
取材をしていくというのは、相手とのやりとりのなかで信用されていくもの。野崎さんに伊澤さん自身がすごく信頼されているというか、やりとりそのものが非常に心に残りましたし、相手に迫っていくなかで徹底的に取材しなければならないのは、ノンフィクションの基礎なのですが、この作品を読むとそれだけだとだめなんだなと」

第58寿和丸(運輸安全委員会の「船舶事故調査報告書」から)

「なんというか、しなやかな感性というか……それが文章を読んでいくと非常に伝わってくるし、さっき学術作品としても読めると申し上げましたが、どういうものを書くにしても最終的に何が大事なのかと。
ある意味、取材だけなら誰でもできるのですが、それを超えるものとしての人間性というか感性というか……それがないとここまでの作品にはならないのではないか。そんな気がしました。この作品が長く読まれるものになると確信しています」

無力感を抱いていた自分への思わぬ一言

そして伊澤さんが受賞の挨拶に立ちました。

「最初にひとつエピソードを紹介させてください。多くの方々に取材に協力してもらいながら、言いようのないもどかしさを感じていました。船舶や事故調査の専門家でもないジャーナリストに一体何ができるんだろうかと。このまま関係者の取材を続けて何かつかめるのだろうかと。そんな無力感を感じていました」

「ところが、長きにわたり取材に協力してくださった専門家の先生から、思いがけずこんなことを言われました。

この事故は絶対におかしいと思った。ただ当時は、自分以外の誰がそう思っているか分からなかった。あなたはちらばった点と点をつなぎ、ちゃんと問題を明るみに出した。それはジャーナリストにしかできない仕事だ

志をもって仕事を続けていくうえで、私にとって忘れがたい言葉になりました」

執筆は子どもを置いて夜、ファミレスで

「家で私は集中して書くことができないので、ファミレスやカフェで、約1年ほど『黒い海』の執筆を続けていました。

夜、家族と食事を済ませて、急いでパソコンを持って家を出ようとすると、娘が「何時に帰ってくるの」といつも聞いてきました。「10時だよ」「12時だよ」と、彼女が幼稚園児で起きている時間ではないので、なかば適当に答えていました。

それが先月になって、彼女からこんなことを言われました。
私が原稿を書いていたころ、帰ってくると言われた時間に、ベットで時計の針を進めて待っていたと。時計の針を進めればママが帰ってくると。そんな夜を何度も過ごしていたようです」

「家にいても透明人間のように仕事にのめり込んでしまった」

「黒い海を書き始めてからの私は、家庭の中では豹変したと思います。それまで家族中心、子供と過ごす時間を多く取っていたのですが、のめり込むとか、仕事に夢中になるとかそういう次元を超えて、家にいても家族といても常に事故のこととか執筆のことで頭がいっぱいで、家にいながら透明人間のように存在していなかったと思います。息子からも出版されたあとでママと遊ぶ時間はもう二度とこないと思っていた。一緒に遊んでくれていた日々を思い出して寂しさを紛らわしていたと打ち明けられました。

さきほど控室で選考委員の先生からも家庭と、子育てと仕事のバランスはどれくらいですかと聞かれました。その時々によって違うけれども、だいたい7、8割が家庭で2割が仕事、隙間の時間で余裕があれば仕事をするという働き方をこの何年かしてきたのですが、この沈没事故と出会ってから完全に逆転してしまって、特に黒い海を執筆していた1年ほどは、10対ゼロで仕事にのめり込んでいたと思います」

そこまでして成し遂げたかったものとは

「そもまでして私は何を成し遂げたかったのか、何が自分の気持ちをそこまで駆り立てたのかということを今、自分自身に問うと、一つまず言えるのはこの沈没事故をめぐる一連の不条理を絶対に埋もれさせたくなかった、記録として価値あるものを残したかった。

それと同時にもう一つ重要だったことがあります。私のような実績のない書き手にこのほとんどだれも覚えていない昔の事故の本を書かせるというのは、出版社としては非常に難しい判断だったと思います。

私が最初に企画を持ち込んだ講談社の青木肇編集長も非常に困っていたと思います。それでも説得を重ねて、後に「ではやりましょう、やるからには賞をとるつもりで」と、そう言ってくださいました。与えられたチャンスに、絶対に結果を出すことでその恩に報いたいと強く思いながら執筆を続けていました。

出版から9カ月ほどたちました。おかげさまで今9刷りになりました。今回の賞でトータルすると4つの賞をいただきました。

当初は本を書かないでと泣き顔だった子供たちも、講談社から増版の通知のブルーのレターがポストに届くたびに嬉しそうにしています。本書を読めるようになるにはまだ何年もかかりそうですが、もう少し子供たちが大きくなった時に、あの寂しかった日々はこの本を書くためだったのかと、理解して納得できる日が来ることを今から楽しみにしています」

左からスローニュース瀬尾傑代表、講談社の野間省伸社長、伊澤さん、『マングローブ テロリストに乗っ取られたJR東日本の真実』で第30回講談社ノンフィクション賞を受賞したノンフィクションライターの西岡研介さん