TBSニュースエディター・久保田智子さんが選ぶ「この複雑な社会を通訳してくれている」SlowNews9作品
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2000年にTBSに入社し、アナウンサーとして活躍した久保田智子さん。2016年に退職後、アメリカのコロンビア大学大学院でオーラルヒストリーを専攻し、 “人の話を聞く”取材の原点をあらためて学びました。
現在は報道記者としてTBSに復職。孫世代が祖父母に戦争体験を聞きSNSで発信する「#きおくをつなごう」プロジェクトを立ち上げるなど、取材と表現の方法を考え続けています。
「社会の分断」が問われる今、歴史や異文化、異なる考え方を寛容に受け入れるための報道とは何か。SlowNews収録作品を例にお話いただきました。
――今日は東京地裁で裁判取材をしてきたそうですね。
久保田 気になっている新生児の保護責任者遺棄致死事件がありまして、その公判を傍聴してきました。残念なことに、子どもに関する事件は後を絶ちませんし、なかなか解決の糸口が見えない社会問題の一つだと思います。
以前読んだことのある本なのですが、『「赤ちゃん縁組」で虐待死をなくす』がスローニュースでも読めるようになっていますね。どんな事情があるにしろ、産まれてきた命が大切にされるにはどうすればいいのか、考えるきっかけを与えてくれます。2015年刊行のものですが、今なお読まれて良い一冊だと感じています。
――スローニュースには現在、書籍が350作品くらい入っていて自由に読めるようになっています。ジャンルごとに分けたタグごとの分類もあり、「#子ども」に並ぶ作品も多くあります。
久保田 ここでしか読めない連載記事もあるんですよね。そのなかの一つ、「チャイルド・デス・レビュー 救えたはずの小さな命」を読むと、子どもをめぐる問題にどう対策するか、そこに省庁間の分断があることが具体的にわかってくる。
正直、自民党の「こども庁」の構想にピンと来ない部分を持ち続けていたのですが、そのモヤモヤというか、問題の本質がレポートされた記事にも読めました。
「チャイルド・デス・レビュー」は個別の事例を発端とした記事です。そして個別の取材の積み重ねによって普遍的な問題系を提示しています。時間をかけて取材をし、丁寧に分析を加えて問題とその解決の可能性を探る。調査報道というもののあり方を思う記事でした。
天才のその後を追った「13歳からのサイエンス」
——一方で「#子ども」には明るい話題の作品もあるんですが、目にとまりましたか?
久保田 はい、「13歳からのサイエンス」ですね。連載の第1回には「蚊に刺されやすい妹がかわいそう」という動機で、中学3年生のときに蚊と人間の足の裏の臭いの関連を独自に研究し始めちゃった田上大喜さんの現在が描かれていましたよね。
田上さんは今、コロンビア大学の学部から大学院に進学されたそうですが、私がコロンビア大学の大学院にいるときに噂になった方なんです。「蚊の研究をしている日本人が学部にはいるらしいよ」って。
大学院なら専門性を重視されるので入学してくるのは分かるんですが、学部入学というのはそれはそれは大変なんですよ、ハイレベルな一般教養を学ぶことも必要になりますから。ですから、これはとんでもなく近寄りがたい天才が入学してくるんだなと思っていました。ところが、記事を読んでみると、田上さんがとても身近に感じられて。
「13歳からのサイエンス」のように個々人に迫る作品って、自分に重ねられる部分や、自分なりに解釈して自分の生き方に取り込める部分があったりもするので、好きなんです。
――人にとことん聞くという、オーラルヒストリー取材に通じるところがありますよね。
久保田 まさにそうですね。ニューヨークタイムズの翻訳記事「彼女がエンジニアになる理由」も理系の若者、この秋からスタンフォード大学で機械工学を学ぶことになった18歳の松本杏奈さんを取り上げた記事でした。ただ、「13歳からのサイエンス」と大きく違うのは、松本さん自身の姿がそこまで見えてこないところ。
あくまでこの記事でスポットが当てられているのは「世界的にみて、日本では理系に進む女性が少なすぎる」という事実なんですよね。逆に「13歳からのサイエンス」は、個人にスポットが当てられている。そこが魅力だと思っています。あと、この連載は親御さんが、どんな教育をしていたのかも取材されていて面白いですよね。
——子育て真っ最中の久保田さんにとっては、気になるところ。
久保田 そうですね。子どもがやりたいと思っていることをどうやって伸ばしてあげられるのかとか、考えるきっかけになりますよね。
教育という観点で言うと、「マンガ 学校へ行きたくない君へ」も興味深い作品。実は姪っ子が不登校で、家族で向き合うのが結構大変だった時期があるんです。乗り越えるのに時間がかかった。子どもってうまく表現できないことが多いと思うんですよ。なんで学校に行けなくなったのか、とか。それが、さまざまな経験者への取材を通して、しっかりと描かれていると思うんです。
このマンガは、大人が子どもの考えていることを知るきっかけになります。取材者目線でいうと、子どもの取材をするのって難しいんですよ。特にテレビだと顔出しの問題もありますし。
再現ドラマで描く手法もあるんでしょうけど、私にはそれはできない。『学校へ行きたくない君へ』を読んで、より幅広いに人に当事者の具体的な思いを伝えられるマンガってうらやましい表現方法だなと思いました。
「日本を席巻する百田尚樹現象」の面白さ
——やはり久保田さんは “個人の話を聞く”というところから出発している記事や作品に注目されていますね。
久保田 自分が大切にしているのは、わかったつもりにならないで聞く、ということなんです。自分の意見はおいておいてとにかく相手に寄り添って聞く。それでやっと見えてくるものがある。石戸諭さんの「日本を席巻する百田尚樹現象」。これを読んだときは感動しました。やっぱりこれだよね、と。
——単に百田尚樹批判をするのではなく、百田尚樹自身の話を徹底的に聞いてもいますね。
久保田 最初から「話を聞いても仕方がない」ということじゃなくて、まずは相手なりの論理、合理性を知ろうと取材をしている。
私のようなリベラル側に身を置いているような者からすると、百田さんの過激な右傾化した発言に喝采を送る人たちの気持ちも、百田さん自身の気持ちも想像しがたい。でも、まずは分かり合えないと決めつけずに、時間をかけて話を聞いて、百田さんなりの言い分を理解しようとするところからはじめる。
もちろん全てを聞いたところで、「なるほど百田さんの意見に納得」というふうにはならないんですが、相手を受け止めつつ自分で再度考えるきっかけをもらった。そんな記事です。私自身、オーラルヒストリーを学んできて、メディアとオーラルヒストリーを両立できる方法はないかと模索してました。その一つの形が、まさにこれだなあと思ったんです。
――アメリカだと、まさに社会的分断が問題になっているわけですよね。
久保田 横田増生さんの「『トランプ信者』潜入1年」はまさに、理解しがたいトランプ支持者に取材し尽くした記事ですよね。これは昨年、2020年の大統領選を取材したものですが、私はちょうど2016年、ヒラリー・クリントンvs.トランプの大統領選をアメリカで体験しました。お互いの思うところに耳を貸さなくなった時代の始まりという感じがしますね。
目的も曖昧で時間が無制限だからこそ聞けること
——いまはメディアでも時間をかけて話を聞くということが難しくなっていますよね。
久保田 いったん会社を辞めてオーラルヒストリーを学びはじめて思ったのは、人の話は時間をかけて聞かなければならない、ということです。どれだけ時間を使ってもいいんだという余裕があるかないかで聞き方がどうしても変わるんですよね。
テレビだと、時間に追われ、放送枠も限られるので、わかりやすく編集しやすい「使いどころ」が必要で、どうしてもそこに向かって取材しようとする意識が出てくる。でも、目的も曖昧で時間が無制限だからこそ聞こえてくるその人ならではの個人的な話っていうのもあるんです。それは、私自身被爆者の話を聞いて実感したことでもあります。
——TBS戦後76年プロジェクトで久保田さんが立ち上げた「#きおくをつなごう」も、その人ならではの個人的な話を記録しておこう、という考えから生まれたものなんですか?
久保田 はい。オーラルヒストリーって、ライフヒストリー、生まれたときからずっと時系列を追って話を聞いていくんです。被爆者の話にしても、原爆投下の当日だけじゃなくてその前やその後も聞く。全体を聞くことで、その人が何を言っているのか知ることができる。スローニュースでは『この世界の片隅で』が読めますよね。これは戦後20年のタイミングで出版された、まさに広島の被爆者への聞き取りの本です。
コロンビア大学大学院にいたときに、沖縄に1ヶ月滞在して戦争経験者の話を聞くというのをやったんです。最初に決めるのは、誰に話を聞くか。すると、候補としてどうしても、これまでメディアに出ていたり、戦争体験を語ることに積極的な、ある意味「有名な人」ばかりが出てきてしまう。
でも、例えば、沖縄のスーパーで、隣でお豆腐を買っているおばあさんだって経験をしているはずなんです、沖縄戦を。
ですが、いきなり私が「戦争体験を教えてください」と言っても話してはくれない。研究者やメディアがリーチできていない人がたくさんいるんです。そこで、もっと多様な聞き手をつくるべきじゃないか。お孫さんが聞き手になって、家族に聞いたらどうだろうって思いました。
それで琉球大学の学生に手伝ってもらったんです。そうしたら面白い話がつぎつぎに出てきた。孫が相手だから気を使わないで自分が言いたいことをずっと喋り続けるんですよね。まだまだ記録されていない、それぞれの戦争の記憶があると思いました。それが「#きおくをつなごう」につながったんです。
メディアはお互いを「通訳」しなければならない
——当事者の話、一人語りは、あくまで自分の歴史観やある種の思い込みに基づいている場合もありますよね。聞き書きを形にして発表するときに気をつけていることは何ですか?
久保田 もちろん誤解や明らかな事実誤認は正す必要があります。ただ、それと同じくらい気をつけているのは表現の仕方です。私は「世代間の通訳をする」と言っているんですが、話を聞くときは相手の文脈に寄り添って、それを伝えるときには伝えたい相手の文脈に寄り添う。「#きおくをつなごう」はSNSを中心にしたプロジェクトで、表現のほんの一例ではありますが、歴史という遠い話を、現代の人たちに伝える表現を模索するのは、メディアの大切な仕事だと思っています。
メディアは伝える方法をもっと研究しなければならない段階に来ているんだと思います。その意味では「データを伝える技術」が、今後どんな話題を提供してくれるのか楽しみです。コロナ禍は、感染者数をはじめとした「数字」をどうやって伝えていくのかを、あらためて考えさせる出来事でもあったと思います。データをどう表現するか、これもメディアが「通訳」として果たすべき役割なんだと思います。
——ノンフィクションの分野でもお金や時間をかけて取材をすることは難しい時代です。テレビも同じですか。
久保田 ほんとうにそうですね。ネット配信も広がって出し口は増やしていると思うんですが、やはりお金も時間も有限だなと思います(笑)。だからこそ、時間をかけてゆっくりと、人と人の間をつないで「通訳」しているような作品はスローニュースと相性が良さそうだなと思っています。時間無制限でじっくり寄り添って話を聞く。それを書き手のフィルターを通して表現していく。そういう作品に出会えることを期待していますし、私もスローニュースを表現の舞台の一つにできるならば、と思っています。
構成・撮影=鼠入昌史