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「このままでは患者を殺すことになる」相次いでいた人工呼吸器のトラブル、なぜ日本ではリスクが軽視されるのか(後編)

米フィリップスが製造した呼吸器系の医療機器が2021年6月、患者に発がん作用などの健康被害をもたらす恐れがあるとしてリコールとなり、世界で550万台もの自主回収が続いている。ところが、その回収対象となった人工呼吸器との交換で新たに配られた「改修器」が突然、十分な空気を送らなくなり、患者が窒息状態に陥るトラブルが主に日本で多発して、再びリコールとなっていた。

自発呼吸が困難な患者も多く使う人工呼吸器で、いつ起きるかもわからない不測の事態。米国では「重篤な健康被害や死亡を引き起こす恐れがある」として危険度が最も高いクラスⅠに分類されたが、トラブルが多発していた日本では今回もまた、重篤な健康被害につながるおそれは「ない」として、報道発表のないクラスⅡの扱いになっていた。そして1年半を超える長期の自主回収がひっそりと始まり、患者は詳しい事情を知らされないまま、窒息のリスクにさらされていたのだ。集中連載の後編では、穴だらけの日本の仕組みを掘り下げる。

フリーランス記者 萩 一晶

なぜ日本では患者のリスクが軽視されるのか

医療機器に欠陥が見つかってリコールとなった場合、日本も米国も、危険度の高いほうからクラスⅠ、Ⅱ、Ⅲの三段階に分類される。そのクラスⅠとⅡを分けるのが、「重篤な健康被害や死亡」を招く恐れがあるかどうか、という判断になる。

日米で決定的に違うのは、この危険度を見極めてクラス分けを判断するのが誰なのか、という点だ。米国では、その権限は規制当局の米食品医薬品局(FDA)にあることが法令に明記されている。だが、日本では主体についての明確な法規定がない。「企業が自主的に判断して行う自主回収だから」(厚生労働省・監視指導麻薬対策課)という理由で、規制当局の関与や責任は不明瞭なまま。基本的には、なんと問題を引き起こした製造販売元が自らクラスを判断し、当局に「報告」する仕組みになっているのだ。

東京都が医療機器製造販売業者に示していた「クラス分類」の手続き

制度上のこの問題が浮き彫りになったのが、「睡眠時無呼吸症候群」の治療に使う米フィリップス製のCPAP(シーパップ)装置や人工呼吸器に健康被害のリスクがみつかり、世界で550万台もの医療機器が自主回収となった2021年の大規模リコールだった。日米とも同じ呼吸器系の機器で起きたこの問題は、米国ではFDAによってクラスⅠ(重篤な健康被害や死亡の原因となり得る状況)に分類されたのに、日本ではフィリップス・ジャパンがクラスⅡ(重篤な健康被害のおそれはまず考えられない状況)として東京都に報告して、そのまま受け入れられていた。

そして今回、人工呼吸器トリロジーをめぐる2度目のリコールでも、そっくりの対応が繰り返されていたことがわかった。

日本の販売元が説明した、米社とは真逆の「理由」

トラブルの原因は、大規模リコールを引き起こした防音材の旧素材に換えて、2022年春に新しく採用したシリコーン製の防音材にあった。接着不良から空気回路の中で剥がれてしまい、空気の流れを塞いでしまうトラブルが相次いで発生。「フォーム剥がれ」と呼ばれるこの問題が起きた場合、異常を感知した呼吸器では「回路リーク低下」「吸気圧下限」「分時換気量下限」など5種類のアラームが鳴る可能性があった。

この緊急事態を受け、米フィリップスは「アラームに気付かないとか、すぐに対応できない場合には、窒息や低換気状態、低酸素血症といった、生命をも脅かす呼吸トラブルに患者が直面する可能性がある」と発表。FDAもこのリコールをクラスⅠに分類した。

トリロジーの裏蓋を開けたイメージ図。右下の「パスカバー」に敷かれたシリコーン製の防音材が剥がれ、トラブルが多発していた(取扱説明書から)

しかし、フィリップス・ジャパンは今回もまた「重篤な健康被害につながるおそれはないと判断しております」と東京都に説明し、クラスⅡとして報告。都も「国とも相談のうえ妥当だと判断した」(薬事監視担当課長)として、そのまま受け入れていた。その結果、クラスⅠだと開かれたはずの記者会見はなくなり、2023年2月から1年半以上に及ぶ自主回収がひっそりと始まっていたのだ。

では、フィリップス・ジャパンは今回、米フィリップスと違って健康被害のおそれが「ない」と判断した理由を、都や国にどう説明していたのか。厚生労働省が管轄する医薬品医療機器総合機構(PMDA)のホームページには、同社による次のような説明が記されている。

フィリップス・ジャパンがクラスⅡと判断した理由として記した内容(医薬品医療機器総合機構のホームページから)

言い分をまとめると、こうなる。
① 空気の圧力が低下すればアラームが鳴る
② 添付文書には、非常事態に備えてモニター装置を併用し、手動式人工呼吸器など代替手段を備えるよう記載されている
③ 問題が発生しても、医療従事者や介護者による代替手段での対応が可能だ

つまり、医療機器そのもののリスクを判断するのではなく、「トラブルが発生してもアラームが鳴り、手動式の人工呼吸器などが備わっていて、まわりの介護者がすぐに対応してくれる」という三つの条件が揃っていることを大前提に、まわりの状況とのセットで健康被害のおそれは「ない」と言い切っていたわけだ。

これは、製造元の米フィリップスが「アラームに気付かないとか、すぐに対応できない場合」には、患者が重大なトラブルに直面する可能性がある、としたのとは真逆の説明だ。

東京都も国も「妥当」と判断したこの日本側の説明。果たして、人工呼吸器を頼りに命をつないでいる在宅患者の生活実態を踏まえたものなのだろうか。

人工呼吸器が「命綱」の患者はどうとらえたか

そこで、人工呼吸器を使っている患者への取材を日本ALS協会(東京都千代田区)にお願いしたところ、広島市内の男性が快く取材に応じてくれた。歯科医師の三保浩一郎さん(57歳)だ。

東京・九段下にある協会の事務所と三保さんの自宅をWEB会議方式でつなぎ、パソコン画面越しに東京から話をうかがった。三保さんは目の動きでマウスを操作し、画面に言葉を表示させる「視線入力」の方法で答えてくれた。

WEB会議方式で広島から取材に答えてくれた三保浩一郎さん=東京都千代田区の日本ALS協会で(撮影・萩一晶)

柔道が大好きなスポーツマンだったという三保さんが、運動神経系の機能が少しずつ失われていく筋萎縮性側索硬化症(ALS)を発症したのは2010年のことだった。ALSとは手足やのど、舌の筋肉が次第に衰え、呼吸に必要な筋肉もやせていく進行性の病気だ。日本ALS協会によると、患者は軽症の人を含め全国で1万2000人前後。その3割ほどが人工呼吸器をつけて暮らしているという。

三保さんも2016年から、フィリップス製の人工呼吸器トリロジー100plusを使い始めた。2021年の大規模リコールで自主回収の対象となった呼吸器だ。そのときはフィリップス・ジャパンの担当者から経緯の説明があり、改修器に交換されたという。

しかし、その改修器に取り付けたシリコーン製の防音材に今度は「フォーム剥がれ」のリスクが発覚していたことについては、何の連絡も受けていなかった。この問題が日本ではクラスⅡとなっていたことについて意見を求めると、「それはおかしい」という直球の言葉が返ってきた。その理由は「人工呼吸器は命に直結しているから」だ。

隣にいた妻(54歳)も、2度目のリコールについては「何も聞いていなかった」として驚きを隠さなかった。たんの吸引などは支援のヘルパーも含め研修を受けているが、呼吸器が突然故障したり、アラームが鳴ったりした場合にすぐに対応できるかと問われると、「私もヘルパーさんも想定外すぎて、すぐには対応できないと思う」と答えた。「近くに人がいないこともありうる」と三保さん。幸い、窒息などのトラブルはなく、2度目の器具交換が無事終了していた。

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