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「ハザードランプを探して」第5回

取材・執筆:藤田和恵、フロントラインプレス

「これで死ねると思ったのに」


「これで死ねると思ったのに……。ほんとに来ちゃったんだ」

「反貧困ネットワーク・新型コロナ災害緊急アクション」事務局長の瀬戸大作さんを初めて見たとき、20代の井上未可子さん(仮名)はそう思ったという。

2020年の11月中旬。

飲まず食わずの路上生活が3日続いていた。井上さんには夏服しかなかったので、夜の寒さがこたえる。この日、料金未払いで携帯が止まった。所持金は現金1円とPayPay505円しかない。住居を失った人などを支援する東京都の窓口「TOKYOチャレンジネット」にフリーWi-Fiを使ってメールで相談したものの、「電話で連絡をいただけない方はお受けできません」と門前払いを食らった。

八方ふさがりの状況で思ったことは、「これで死ぬ理由ができた」である。ただ、最後の最後にダメ元だと思って、ネットで偶然見つけた緊急アクションのサイトからSOSを発信した。すると、井上さんの予想を裏切り、1時間後には約束した東京駅近くの八重洲ブックセンターの前に、ハザードランプを付けた車が止まっているのを見つけた。

「でも、車内には大柄で怖そうな男の人しかいなくて。車に乗った後も、『これからどこかに連れていかれて、変な仕事をさせられるんだ。終わったな……。まぁ、この際、それでもいいか』と思っていました」

怖そうな男の人、つまり瀬戸さんはこの夜、SOS対応が続いていた。井上さんを後部座席に乗せたまま別の場所に移動し、新たな相談者を助手席に招き入れると、ペンとノートを手に彼らの訴えに耳を傾けている。その姿を見て、井上さんはようやく正常な思考ができるようになった。気がつくと、涙があふれていたという。

東京都心、夜のオフィスビル。イメージ(撮影:高田昌幸)

井上さんは都内の私大を卒業後、希望していたテレビ番組制作会社に就職した。いわゆるブラックな業界であることは覚悟していた。一方で井上さんは家族関係に問題を抱えていた。多くは語らないが、時に身体的な暴力をふるわれることもあったらしい。仕事だけでも大変なのに、家族からのストレスまでは受け止めきれなかった。結局、メンタルに不調をきたし、3年ほど前に退職を余儀なくされたという。

小さな番組制作会社の給料では、貯金する余裕はない。ほどなくして1人暮らしをしていたアパートの家賃を払えなくなり、強制退去になった。以後はマンスリーマンションや相部屋のゲストハウス、ネットカフェなどを転々とする暮らしが続く。派遣会社に登録し、検品やピッキング、「日雇い派遣」の仕事をこなしはした。それでもメンタルの調子に波があり、収入は安定しない。

「派遣以外の仕事も探しました。でも、住所不定がネックになって……。かといって、アパートを借りようにも派遣の給料では初期費用を用意することができないんです。コロナの感染拡大が問題になってからは、派遣先も少なくなりました」

井上さんが一段と苦境に陥った2020年4月以降は、コロナ切りに遭って職を失ったアルバイトや契約社員などの非正規労働者も派遣会社の募集に殺到していた。井上さんも「夏になると、お金があるときはネカフェ、ないときは路上という生活になっていました」と明かす。

女性の路上生活は、男性に比べて危険に遭うリスクが高い。井上さんは「夜、公園で眠る勇気はとてもありませんでした」と話す。このため昼間に公園のベンチなどで仮眠をとると、夜は「全財産」が入っているというキャリーバッグを引いて、ひたすら街を歩き回った。寒空の下、薄手の服装で歩く自分が、どんどん周囲から「普通」に見られなくなっていくようで恐ろしかったという。そんな日々が続く中、「このまま終わっていくんだな」と次第に死を意識するようになっていく。

「瀬戸さんと会う前の3日間は寒すぎてベンチに座っていることもできなくて……。昼も夜も上野、東京、浅草のあたりを歩き回っていました。スニーカーの底に穴が開いて、足が痛くてちゃんと歩けなくなってきて……。携帯が止まって行政からも断られたとき、あー、これで絶好の自殺の理由ができたなと思ったんです」

井上未可子さん=仮名=にSOSを出したときの姿を再現してもらった。薄手のアウターが唯一持っていた長袖だったという。女性の相談者はなぜかキャリーバッグを持っていることが多い(撮影:藤田和恵)

瀬戸さんによると、2020年の秋から年末にかけての一時期、女性からのSOSが急増したという。

「11月から年末にかけて、僕が対応したうちの半分が女性でした。そのうちの8割が10代、20代。理由はいくつか考えられますが、女性はもともと宿泊や飲食、小売り、派遣といった仕事に非正規雇用労働者として就いている割合が高い。コロナ禍による解雇や雇い止めの影響を最も強く受けていたと思われます」

個人加入できるユニオンの複数の関係者も、2020年4月にコロナの緊急事態宣言が発出された直後こそ、性別や雇用形態を問わずに相談が急増したものの、その後は次第に「非正規女性」からの相談が増えていったと話す。女性に対するダメージはボディーブローのよう効き、水面下でくすぶり続けていたのだと推察される。

こうした支援の現場の実感を裏付けるデータはいくつもある。

総務省が発表した2020年10月の労働力調査によると、アルバイトやパートなどの非正規雇用の労働者数は前年同月比で約85万人減少した。このうち女性は約53万人で、全体の6割超を占める。

独立行政法人の労働政策研究・研修機構(JILPT)とNHKが2020年11月に共同実施したアンケートによると、同4月以降、解雇や離職、休業など仕事に何らかの影響があった人は、男性の18.7%に対し、女性は26.3%。女性の比率が男性の1.4倍だった。さらに、同4月以降に仕事を失った人のうち、調査時点で再就職していたのは男性の75.9%に対し、女性は61.5%にとどまった。メンタルヘルスの問題に関しても、女性は「精神的に追いつめられていた」と回答した割合が男性より高かった。

ほかにもある。警察庁が2021年1月に発表した速報値によると、2020年の自殺者数は2万919人で、前年に比べて750人増えた。リーマンショックの2009年以来、11年ぶりの増加である。内訳は男性1万3943人、女性6976人。男性は11年連続で減少となった一方、女性は増加に転じている。とくに昨年10月の女性の自殺者数は852人に達し、前年同月に比べて8割以上も増えていた。

「新型コロナ災害緊急アクション」が昨年の大みそかに東京・池袋で開いた相談会。瀬戸さんも相談対応にあたった=2020年12月31日(撮影:藤田和恵)

私も瀬戸さんに同行するなかで、ぎりぎりの暮らしを強いられる女性に何人も会った。

ある20代女性は「寮付きのガールズバーの仕事に応募したんですが、『働きたいという女の子が大勢来たので、もう募集はしてない』と断られてしまいました」と明かした。彼女はそれまで主に飲食店で働いていたものの、コロナ禍による自粛の広がりで、求職活動さえままならなくなってしまう。SOSを発した時点ですでに住まいはなく、ネットカフェ暮らし。離れて暮らす父親は病気で入院し、母親は長年精神疾患を患っているといい、「実家に頼ることもできません」と途方に暮れていた。

彼女は瀬戸さん同行のもと、生活保護を申請した。このとき、両親の健康状態や家計の状況について説明したにもかかわらず、担当のケースワーカーから「そういう決まりなので」と扶養照会をかけられた。「両親に余計な心配をかけただけでした。(扶養照会の)目的が謎……」と彼女は言う。

SOSの現場に向かう瀬戸大作さん。今年1月に緊急事態宣言が発出されて以後、相談は急増しているという(撮影:藤田和恵)

別の20代女性のケースも紹介しよう。

この女性は、飲食店の仕事を掛け持ちしてシェアハウスで1人暮らしをしていた。ところが、2020年4月の緊急事態宣言の影響でいずれの店舗も休業。休業手当などは払われず、収入はゼロになった。「宣言の解除後も働き続けることを考えると、手当について(店側に)強く尋ねることはできませんでした」と言う。さらに家賃を1カ月滞納したことで、同年6月、シェアハウスを運営する会社から「家賃を払わないと訴訟を起こす」と通告されてしまう。判例によると、一般的に1〜2カ月程度の家賃滞納では契約解除は認められない。まして、今回は未曽有のパンデミック下での出来事である。瀬戸さんは「シェアハウスによる悪質な追い出しは時々あるんです」と言う。

30代の女性は2020年3月、派遣として働いていたコールセンターを雇い止めにされた。生活保護を利用することも考えたが、絶縁状態にある両親に扶養照会されることを知って諦めたという。このため同年5月から別の派遣会社に登録し、持続化給付金の審査業務を担う仕事に就く。「いつ雇い止めに遭うか分からないから、稼げるときに稼がなければ」と考え、9時〜18時と21時〜翌朝6時の仕事を掛け持ちしていた。「体が持つまで頑張ってみます」と取材で話してくれた彼女。その後は、どうなったのだろうか。女性の携帯はそれから数カ月がすぎた夏以降、通じなくなっている。

女性にとって路上で夜を明かすリスクは高い。今も行き場をなくして途方に暮れている女性がいる(撮影:高田昌幸)

「新型コロナ災害緊急アクション」には、性風俗産業で働く女性からもSOSが寄せられる。

ある10代の女性は、昼間は大学に通い、夜は掛け持ちで性風俗の仕事をこなしていた。学費を工面したうえで、地方都市にある実家に仕送りするためだという。実家に住む親は病弱で十分に働くことができない。以前、世帯分離をして実家だけでも生活保護を利用できないかと福祉事務所で相談したことがある。しかし、申請はさせてもらえないまま窓口で門前払いされたという。

性風俗の仕事はその特性上、不相応なピンハネの対象になったり、メンタルを一定に保つことが難しくなったりする人もいる。瀬戸さんによると、この10代の女性は「家族そろって、手をつないで崖から飛び降りる夢をよく見る」と話しているという。

冒頭で紹介した井上さんは、瀬戸さんと初めて会い、ハザードランプを灯した車に乗り込んでもなお、このまま風俗店にでも連れていかれるんだと誤解していた。実際はあの夜、「緊急ささえあい基金」から給付されたお金でビジネスホテルを予約。夜遅くなったので、瀬戸さんに車でホテルまで送ってもらうことになったという。

井上さんが埼玉県出身と知った瀬戸さんは、車中でずっと、映画「翔んで埼玉」の話をしてくれたという。でも、井上さんはずっと泣き続けていた。

「ホッとしたからじゃないんです。いい年をして、自立もままならない自分がみじめすぎて……。そう思うと、涙が止まらなかったんです」

なにひとつ、井上さんのせいではない。でも、多くの女性たちが抱える心の声を聞いた気がした。

昨年3月に「新型コロナ災害緊急アクション」が発足してから間もなく1年になる。瀬戸さんを中心としたスタッフが現場に駆け付けたSOSは450件を超えた。

東京の日の出。明けない夜がないように、コロナ禍の闇もいつか明ける日が来るのだろうか(撮影:高田昌幸)

おわり

取材・執筆:フロントラインプレス

「誰も知らない世界を 誰もが知る世界に」を掲げる取材記者グループ。調査報道や手触り感のあるルポを軸に、新しいかたちでニュースを世に送り出す。取材記者や研究者ら約30人が参加し、2019年5月に正式発足。代表は高田昌幸・東京都市大学メディア情報学部教授。