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原子炉・加速器で癌を治す 最終回 三人の旅人

取材・執筆:下山進

 加速器から発せられる中性子を、ホウ素を選択的に付着させた癌細胞にあてて殺す。中性子捕捉療法(BNCT)の保険診療が、世界に先駆けて日本で始まった。科学者たちの思い。

 高槻は、京都と大阪の中間に位置する。大阪医科薬科大学(2021年4月大阪医科大学から名称変更)は、阪急高槻駅のすぐ前にある。JRの高槻駅からも10分ほどだ。このキャンパスの一角に関西BNCT共同医療センターはある。2021年9月14日、オープンスペースの会議室で、工学部の学生に対してBNCTを説明する会がもよおされていた。

「この患者のかたは料理人で、嗅覚が失われるからと、手術を拒否。BNCTの適応をうけた」

 BNCTを求めてくる人は、治療の効果だけではなく、術後のQOLを求めているのだとわかった。ここに頭頸部癌の治験の設計の妙がある。「切除不能の再発頭頸部癌か、切除不能の進行性の頭頸部癌の患者」を治験の対象としたのは、こうした理由があった。「切除不能」にわざわざ手術を拒否した患者もいれる、としたのである。

 所長の小野公二の部屋の前の廊下に、2020年6月17日に保険診療を開始した日の記念写真が掲げられている。

 しかし、一年三ヵ月がすぎたこの日までに、BNCTの照射を関西BNCT共同医療センターでうけた患者の数は、まだ36人。

 頭頸部癌の患者を関西BNCT共同医療センターでうけもっているのは、粟飯原輝人(あいはら・てるひと)である。

 粟飯原輝人は、悪性黒色腫(メラノーマ)のBNCTの適応に研究者人生をかけてきた平塚純一がいる川崎医大の出身。頭頸部癌の基礎研究で博士号をとった。

 大阪大学の加藤逸郎が67歳の女性の頭頸部癌の患者への照射で2001年に劇的な成功をおさめたあと、粟飯原も平塚純一の指導をうけながら、BNCTをするようになる。

 そのなかでかつては治らなかったものが治っていくのを実際に見る。制御できない癌をもった患者にBNCTをすると、癌が消える人も何人かいる。また手術では、頭頸部癌だと唾液腺がやられて、わさびがたべられないとか、のどをきることで風呂に入れないとか術後のQOLが著しく下がる場合があるが、BNCTだとそうしたことはない。そのようなことを実地で経験するなかでBNCTにのめりこんだという。

 そうした中で京大原子炉実験所教授から関西BNCT共同医療センターの所長になる小野公二の強いひきで大阪医科大にきた。小野は、粟飯原を、「おまえがおらんかったらばここはうごかんのじゃー」と口説いた。

 所属は関西BNCT共同医療センターになるが、患者の選定については、耳鼻咽喉科の河田了の指揮下にある。

大阪医科薬科大学病院に隣接する関西BNCT共同医療センター内のBNCTの照射口。照射時間中頭を固定する必要がある。ここに入る者は、線量計をもつことが義務づけられている。
照射口を反対側にまわったところ。住友重機械工業製の加速器がある。

1年3ヵ月で140例 

 BNCTを受ける患者の数について、河田の心配は的中する形になっていた。BNCT共同医療センターを誘致する際の小野の説明では、頭頸部癌1万3000人のうちの3分の1が適応になるということだったが、実際、河田が過去執刀した頭頸部癌の患者207名のカルテを調べて何人が適応になるかを調べてみると5パーセントほどだった。

 保険診療が開始されてからも、全国の病院から400例ちかくが紹介されてきたが、適応になったのは39例だったのだ。

 その理由は、承認時の条件が関係してくる。「全症例を対象にした使用実績調査」を条件にした承認だったのだ。粟飯原輝人は「仮に死亡例などが出ると、承認の取り消しということもあるかもしれない。だから慎重に患者を選定しているのです」と言う。

 まず、腫瘍の大きさが直径15センチ以内に収まっているかを見る。臨床研究の時代には、67歳の女性患者の例のように5回も照射をしたようなこともあったわけだが、そういうわけにはいかない。背景をそろえる必要がある。照射は一回かぎりだ。だから、中性子の届く15センチという枠がはめられた。またホウ素剤を投与して、癌細胞に選択的に集まるかどうかをPETでみる。ここで癌細胞へのあつまりが悪い患者はやはり適応外にさせられる。

 こうして絞っていくと紹介のうちの10パーセントという数字になってくるのだ。

 現在、日本で頭頸部癌のBNCT照射ができる病院は、大阪医科薬科大と福島にある総合南東北病院しかない。総合南東北病院の2021年9月時点での実施数は100例を越えたところ。つまり1年3ヵ月でBNCTをうけた患者の総数は日本で140例ということになる。

 住友重機械工業は、機械の納入の際に代金をもらっているからいい。たいへんなのはホウ素剤のメーカー、ステラファーマだ。

 薬事承認されたホウ素剤「ステボロニン」の薬価は一袋44万215円。60キロの体重の人で照射の際には4袋必要だから、一人あたりの売上は、176万860円。

 BNCTの照射は一人あたり一回だけなので、これで終わりである。なので、1年3ヵ月で140人では到底採算ラインにのらない。

 2021年度4月~9月の半期のステラファーマの売上は、わずか6929万円にしかなっていない。経常損失は4億671万円である。保険承認のあった2020年の通期の売上は2億596万円で、経常損失6億5639万円。

 ステラファーマは、2021年4月に東証マザーズに上場し、36億円を調達したが、このままのペースでいけば、6年でその金を使い切ってしまうことになる。

 同社の取締役管理本部長兼総務部長の藤井祐一によれば、「年間800例~1000例が採算分岐の目安」ということだ。現在のコストが年間8億円だから800例で、9億6000万円くらいの売上になり、これで利益がでるわけだが、現在のような状況では到底届かない。同社がリリースしている「成長戦略」では、適応疾患の拡大と海外市場の可能性をうたっている。しかし、これまでみてきたように日本国内の適応疾患の拡大には時間がかかる。

 ましてや海外では、フィンランドが病院に加速器を設置しているだけで、他の国ではBNCT用の医療用の加速器はまだ設置されておらず、薬事承認となると、遠い先のように見える。

消えた製薬会社も

 アルツハイマー病の新薬の開発では、開発に失敗し、消えた製薬会社がいくつもあった。これが新しい療法を実用化する際の難しさで、資本主義市場のなかで、ある一定時間内に結果をださないと会社が存続できない。「医は算術」とはよくいったが、しかし、そうした経済面を見据えながら情熱で乗り越えようとする人々もいる。

 総合南東北病院の理事長で、100億円以上の投資をして、病院併設のBNCTセンターをつくった脳外科医の渡邉一夫はこう考えている。

「経営的には、まだまだ厳しい状況だが、困難とは考えていない。患者のニーズにあった質の高い医療を提供する。それに尽きる。それを患者の身になってとことん追求すれば日本各地や世界から患者は訪れる」

エビデンスを積み上げる

 大阪医科薬科大学の耳鼻咽喉科の教授河田了は、現在では、BNCTの施設が大学病院にできた以上、エビデンスを積み重ねていくことが大事だと頭頸部癌のBNCTを担当している粟飯原輝人に言っている。

 全国の病院からの紹介は河田の耳鼻咽喉科で、いったん、BNCTの適応がかなうかどうかをみる。そのうえで、BNCTの照射が適当と判断されれば、粟飯原が照射を担当することになる。

 BNCTの照射をうけた患者はもともとの病院に帰っていくわけだが、その病院から事後の報告をうけるための仕組みづくりを河田は急いでいる。

 私が粟飯原に会った2021年9月16日は、口腔内の癌で照射をうけた患者が、妻と一緒に粟飯原のもとを訪れていた。口腔内の癌が消えたため、食事をとれるようになり、太ってしまった、と妻が嬉しそうに報告したのだという。

 しかし、照射をしてまだ一年にならないわけだから、慎重に結論はださずにいる。他の患者も同様だという。保険診療をうけた患者に、照射から一年がたとうという患者も出てきたが、がんは2年、3年とみていかなければわからない。

 耳鼻咽喉科の教授の河田了も、治験での部分収縮はあまり意味がないと思っている。癌は残ればかならず増殖する。それは脳神経外科の宮武伸一と同じ意見だ。しかし、頭頸部癌のフェーズ2でも完全奏功のケースが5例あったことは貴重だと考えている。再発頭頸部癌はほうっておけば100パーセント死ぬ。それが1割でも助かれば凄いことだ。だからこそ、実際に照射をうけたケースを丁寧にフォローアップしていって、どんなケースで効いて、どんなケースで効かなかったかのエビデンスを積み上げることが重要だと考えている。

 河田は外科医になって30年以上になる。この間の歴史を考えてみると、実は癌は治療でなく診断で格別の進歩があったのだと考えている。

 河田が研修医のころは、CTスキャンがやっと入ってきた時期だった。それがMRIが入り、PETができるようになり、内視鏡の技術も進んで、早期にがんが発見できるようになった。それによって多くの人が救われるようにはなった。しかし、治療の面でみるとおおきなブレークスルーはなかったように思える。手術に関していえば、1970年代とそれほどかわっているわけではない。抗がん剤も、1980年代にでてきたシスプラチンがいまだにメジャーな選択だ。40年前と変わらないわけだ。そうしたなかでやっと承認された新しい治療法だ。慎重にエビデンスを積み上げることが大事と河田は考えている。

三人の旅人 

 小野公二は、京大原子炉実験所教授だった2013年に岡倉天心の『東洋の理想』という本に出会う。岡倉は、明治の思想家で、ボストン美術館の東洋部長をつとめた国際派の人物だが、この本のなかに、日本にも伝わっている民話として中国の都、洛陽で出会った三人の旅人の挿話がある。

 一人はインドから来た人、一人は日本から、もう一人は地元中国の人。ここで中国の旅人がこう言ったというのである。

「ところで、われわれがここで落ち合ったのは、さながらひとつの扇を作ろうとしているのに似ている。中国は扇の紙、インドからこられたあなたは放射状の骨、この日本からのお客さんは小さいが欠くことのできない要(かなめ)です」

 この話を読んだ時、小野は、これはBNCTのことではないか、と思った。

 京大原子炉実験所には、自分のような医者もいれば、丸橋晃のような物理学者もいる。ホウ素剤を研究する外の研究者との交流もある。医学と物理と化学、この学際に様々な発見が花開いてきたのだ。

 BNCTは、それぞれの専門家が力をあわせなければ前に進まない。

 大阪医科大学に関西BNCT共同医療センターをつくる時も、猛反対をしていた耳鼻咽喉科の河田了とも、ぶつかりながらも、互いの主張するところを認め合い、前に進んだのだ。

 だからこそ、BNCTは日本でもっとも発展し、世界で一番先に薬事承認を得ることができたのだ。

「小さいが欠くことのできない要」として日本は今後のBNCTの発展につくさなくてはならない。

 そう考えながら、今でも小野はこの『東洋の理想』の三人の旅人の挿話を思い出すのである。

アルゼンチンで 

 1957年生まれのアマンダ・“マンディ”・シュウィントはあと1年半か2年で、科学者としてのキャリアを終える。

 2001年の日本の67歳の女性の頭頸部癌の患者の生還に目を見開かされたアルゼンチンは、その後、頭頸部癌でのBNCTの適応に努力をしている。マンディは、マウスの実験の成功のあと、猫や犬での実験を続けて、腫瘍の消失を確認している。

 人の治験に入る安全性の確認のために、犬や猫への照射を行ったのだが、アルゼンチンでは、経済の状態も悪く、資金が手当てできず、なかなか治験へと進めないまま、引退の時期に近づいている。加速器の建設も遅れたままだ。

 思い返せば、自分たちはいつも不安だった。この道を歩いていてもいいのか? はたして正しい道のなのか、不安に思うことはいつだってあった。

 それでも、BNCTは、異なる分野の科学者の切磋琢磨、率直で厳しい意見の交換、そして協力があって、少しずつ前に進んできたのだ。

 マンディは、そんな前進の瞬間を思い出す。

 ルーシーと名づけられた頭頸部癌をわずらった犬がBNCTを受けた後に回復し、ビーチでルーシーの子供たちとたわむれていたその時を。

 そして娘が、そんな自分の仕事を友人に誇らしげに話しているのを聞いていたあの時を。

 そう、道のりは遠い。わかっている。でも、今は最後のそのときまで、科学と自分を信じてこの道を歩いていくことにしよう。


下山進

ノンフィクション作家。著書に『アメリカ・ジャーナリズム』(丸善)、『勝負の分かれ目』(KADOKAWA)、『2050年のメディア』(文藝春秋)、『アルツハイマー征服』(KADOKAWA)、『2050年のジャーナリスト』(毎日新聞出版)がある。サイエンスについては、編集者だった時代から興味をを持ち、ジェニファー・ダウドナの『クリスパー 究極の遺伝子編集技術の発見』(文藝春秋)をノーベル賞受賞の2年前に出版していたりした。元慶應義塾大学総合政策学部特別招聘教授。上智大学文学部新聞学科で「2050年のメディア」の講座を持つ。


証言者・主要参考文献

小野公二、粟飯原輝人、河田了、藤井祐一、Amanda E. Schwint

ステラファーマ 2022年3月期 第二四半期報告書 

ステラファーマ株式会社 事業計画及び成長可能性に関する事項について 2021年5月

冒頭のサムネイル Photo/下山進


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