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「まさか毎日の洗濯で!?」死産と超未熟児の出産を重ねた“妊娠高血圧症”の妻が、疑わざるを得ない理由とは【デュポン・ファイル第5部③】

化学工場でPFOAを取り扱う「危険な作業」をしていた孫請けの「協力会社」の社員らが、次々とがんで亡くなっていました。PFOAとの因果関係はないのか。集中連載4回の第3回では、がんで亡くなった下請けの協力会社社長の妻にも、出産に影響するある症状が出ていたことについてお伝えします。

フリーランス 諸永裕司

顔も見られず、亡くなった娘

顔を見ることのできなかった娘の墓にはいまも、折を見て足を運ぶ。

<平成4年6月1日 美有 1才>

墓石にはそう彫られているが、実際には8カ月の死産だった。本来、名前をつけるものではないのだろうが、初めて授かった赤ちゃんは確かにお腹の中で生きていた。

8カ月で亡くなった長女の墓(遺族提供)

いまから22年前。妊娠7カ月のころ、「赤ちゃんが降りかかっている」と医師から言われ、入院した。血圧が高く、塩分も制限された。ただ、赤ちゃんは胎動もあり、心音も異常はない。エコー画像には頭も、手も、足もしっかり写っていた。

予定日まで2カ月となったとき、突然、耐えられないような痛みに襲われた。早く取り上げなければ。陣痛促進剤を打たれ、そのまま帝王切開した。

でも、泣き声を聞くことはできなかった。「顔を見ないほうがいい」。赤ちゃんはそのまま別室へ連れていかれ、会えないまま荼毘に付された。

「胎盤早期剥離」

胎盤が子宮からはがれ、赤ちゃんへ酸素と栄養を送るみちが絶たれてしまったのだった。母親の高血圧や妊娠高血圧症が原因とも言われている。

退院するとき、医師は言った。「あなたは大変だったから、産むのはもうやめたほうがいい」。でも、あきらめきれなかった。

次女も超低体重児で出産

それから2年後、再び妊娠した。

経過は順調だったが、念のため予定日の1カ月前から入院した。生まれてきたのは男の子で、2605グラム。低体重出生の目安となる2500グラムを少しだけ超えていた。

さらに4年後。3人目を産むときは、病院の外で救急車が待っていた。

血圧が高く、妊娠6カ月のときに緊急入院した。それから1カ月あまりして、産むことになった。予定日より2カ月半ほど早いが、このままでは母体も危なくなる、との判断だった。取り上げられた赤ちゃんは、手のひらに収まるのではと思うほど小さかった。

体重は1060g。顔もよく見られないまま救急車に乗せられ、NICU(新生児集中治療室)のある病院へ運ばれていった。母子手帳には「極低出生体重児」「重症妊娠中毒症、胎児仮死による帝王切開」と記された。

1060グラムで生まれた次女の母子手帳。亡くなった夫は病床で、夢は「次女の運転でドライブすること」と話していた。

黄疸がひどく、「高ビリルビン血症」と診断され、すぐに光線療法を受けたと聞かされた。その後、保育器で育ち、2500グラムを超えて退院できたのは生後84日目のことだった。その間、毎日、夫は母乳を取りにきては、赤ちゃんのもとへ届けてくれた。

「妊娠高血圧症」はPFOAによる健康影響のひとつ。でもどうして私が…

長男も次女も順調に成長し、いまでは成人して働いている。2人の孫にも恵まれた。

薄れかけていた出産の記憶がよみがえったのは、夫が突然、58歳で逝ってしまった後のことだ。

夫が40年近く働いていた三井・ケマーズフロロプロダクツ(旧三井・デュポンフロロケミカル)の清水工場では、2013年までPFOAが使われていたという。

そのPFOAによる健康影響のひとつが妊娠高血圧症だった。でも、工場で働いていたわけでもないのに、どうやったらPFOAを体の中に取り込むのだろうか。

ここから先は会員限定です。工場で働いていたわけでもない妻が、PFOAの影響を受けていたとしたらなぜなのか。過去の公害ともつながるその可能性が明らかになります。

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