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16歳日本人少年も働かせていたミャンマーの犯罪拠点 海外各地を蝕む詐欺ネットワーク

                   伊藤喜之(ドバイ在住ライター)
年明け早々、東南アジアを震源地とした一つのニュースが中国社会で波紋を呼んだ。

中国の若手俳優、王星(31)が「映画の撮影」の仕事でタイを訪れ、その後、行方不明になったという事件だ。

中国人俳優の王星さんがタイで拉致、監禁された事件を報じるCNN(2025年1月15日)

王星は1月3日、首都バンコクの空港に迎えにきた撮影スタッフと自称していた男たちの車に乗り込んだ。しばらく中国にいる恋人とメッセージアプリでやり取りを交わしていたが、王星のメッセージは短くなり、まもなくして音信が途絶えた。

最後の携帯が発信した最後の位置情報は、タイとミャンマーの国境付近。何者かによってミャンマー側に拉致された疑いが持たれた。

タイとミャンマーなどの周辺国(googleマップのスクリーンショット)

 王星の恋人が中国当局やバンコクの中国大使館などに通報したばかりか、中国SNSのの微博(Weibo)にも王星との連絡が途絶えたことを投稿したため、大きな騒動に発展した。見つかったのは、行方不明になってから4日後だ。

映画の撮影というのは拉致するための口実で、ミャンマー東部の都市ミャワディにある中国人犯罪組織の詐欺拠点に連れ込まれ、オンライン詐欺に従事させるためのタイピングなどの訓練をさせられていたという。救出当時、王星は丸刈りにされていたことも、この事件をショッキングなものにさせた。

 中国の公安部は若手俳優の失踪という事態に動き、詐欺グループ側も事態が予想以上の騒ぎに発展したことで、王星を解放したという経緯だったという。中国公安部とタイの警察当局が協力して、この事件に関わったと見られる12人を拘束したと発表した。

 ミャンマーでは特に北部で少数民族の武装組織が群雄割拠し、ミャンマー国軍との武力衝突が繰り返されている。しかし、中国人で少し犯罪情勢に詳しい人であるなら、この土地が別の意味を持つことを知っている。

近年、中国人によるオンライン詐欺の拠点が数多く形成されていることで、悪名がとどろいているからだ。

王星さん(中国のSNS「Weibo(微博)」から)

王星事件は、日本メディアの多くも取り上げられ、耳目を集めた。その理由の一つには、この事件に合わせて、オンライン詐欺拠点や強制労働の実態を調査しているタイのNGO「人身売買被害者支援のための市民社会ネットワーク」が発表した報告にある。

ミャンマーには2025年1月7日時点で、21カ国の6000人以上が中国マフィアの仕切る詐欺拠点で強制的に詐欺犯罪に加担させられているとし、その内訳は中国人約3900人に加えて、6人(後に26人との報道も)の日本人が含まれてことが言及されていたためだ。

その後、ミャンマーの詐欺グループをめぐる状況は急変している。タイ政府は、タイ側から供給されていたミャワディなどへの電力やインターネットを遮断し、詐欺グループ包囲網を強めている。 2月12日にはミャンマーの詐欺グループで働いていた20カ国の260人が解放された。

2月13日と15日には、いずれもミャンマーの詐欺拠点で働かされていたとみられる日本人の17歳の高校生、日本人の16歳の少年をタイ警察が保護したことを明らかにした。このうち、高校生はオンラインゲームで知り合った日本人の男(29)に家出を促されて渡航し、タイ経由でミャンマーに越境していた。

一連の事件は、私が1年以上かけてきた取材成果を連載や書籍としてまとめようとしていたタイミングで起きた。まさに私が追いかけてきたテーマが「海外各地に増殖する中国人の詐欺産業と、そこに組み込まれる日本人と日本語話者の実状」だ。

生活拠点を置くドバイで中国人詐欺グループの存在を知ったことが端緒となり、その後、東南アジア、日本など、各国で取材を進めてきた。

開発や管理を担当した詐欺賭博サイトの画面をみせる中国人エンジニア(2025年1月、伊藤写す)

アジアを中心に、オンライン詐欺や麻薬密売、人身売買、カジノ利権などに関与する反社会的な勢力がいまだかつてない規模感で増えている。

東南アジアではミャンマー以外ではカンボジア、フィリピン、タイ、マレーシアなどに多く、南アジアではパキスタンやスリランカ、中東では、アラブ首長国連邦(UAE)などにも存在している。一国につき、数千人から数万人、多い場合には十数万人が関与しているとされ、まさに産業といえる規模感だ。

これらの国々に存在する中国人によるオンライン詐欺拠点は、中国語で「園区(ユエンチュイ)」と呼ばれる、現地に造成された産業団地に数十程度の詐欺グループが集積しているケースが多い。

園区内部には、詐欺グループの会社が入居する建物のほか、飲食店、商店、宿泊施設など衣食住に必要なものが揃っており、その場所だけで生活が完結できるようになっている。一つの詐欺会社には平均して50〜100人ほどのメンバーがおり、拠点には詐欺に駆使するパソコンやスマートフォンがずらりと並ぶ。

 無数にある詐欺グループに共通するのは、逃走を防ぐためにパスポートを取り上げ、多くの末端メンバーをオンライン詐欺に加担させている状況だ。

ノルマの未達や規則に従わなかった場合の殴打や電気警棒による暴行も日常的であり、最悪の場合、殺害されるケースも報告されている。使えないと判断したメンバーに対しては、それまでかかった経費を徴収した上で、他の詐欺会社に転売する人身売買も横行している。

海外のオンライン詐欺拠点で体罰を受ける中国人の若者だとして、昨年11月にSNSの中国人チャットグループに投稿された動画から

 こうした場所で生きる中国人たちは、自分たちの業界をこう呼ぶ。

「灰色産業(フイソーチャンイェ)」

文字通り、「グレーな産業」を意味する言葉で、「灰産(フイチャン)」と略されて使用されることも多い。「灰色産業プロジェクト」などの名称で様々な犯罪ビジネスの求人が投稿されるチャットグループもSNS上には存在している。

1年以上の取材で、接触した灰色産業の関係者は50人以上にのぼる。

大半のグループは中国人や中華系のボスが管理しており、配下には中国人、現地人のほか、東南アジア、南アジア、アフリカ諸国出身の外国人も詐欺のかけ子やボディガードなどとして多数雇用されていることが分かってきた。

中国人詐欺グループのボス、現役や元メンバーのほか、詐欺拠点に人材を送り込む斡旋業者、詐欺収益の資金洗浄業者からも証言を得た。そして、少なくない数の日本人や日本語話者が、この産業に組み込まれている状況があることも複数の当事者への直接取材で確認した。

中華系グループによる詐欺拠点だったカンボジア・シアヌークビルのカジノホテル。2024年8月に大規模な摘発があった、同年1月には日本人男性が保護されていた(2024年12月、伊藤撮影)

灰色産業は、極めてシステマティックに構築されている。

詐欺アプリを開発・メンテナンスするエンジニアは、大半の詐欺グループで必須とされ、通常のメンバーよりも少し割高な給料で採用されている。ターゲットにする国の銀行口座や携帯電話のS I Mカードを用意する「道具屋」も多く、ここには中国人以外も関与している。

詐欺グループの需要に応えるため、詐欺拠点の界隈には売春や麻薬、カジノなどのビジネスも全てワンセットのように整えられている。

オンライン詐欺の標的とするのは米国、英国、フランス、ドイツ、日本、韓国、中国といった世界中の先進国が中心であり、業務の開始はターゲットにする国との時差に合わせられている。

2024年6月にプノンペンの中国人詐欺拠点に警察の摘発が入る様子。カンボジアメディアが報じた

中国人詐欺グループの一員として、カンボジアから日本に向けたSNS型投資詐欺に関与していた中国人男性(28)は「株式市場が開く日本時間の午前8時、カンボジアの午前6時が始業時間だった。日本市場は儲けやすい市場だと言われていた」と証言する。

 中国人詐欺グループは同胞の中国人にも容赦なく詐欺を仕掛けており、中国国内での被害者の増加は近年の深刻な社会問題となっている。フィリピンを拠点にした中国人詐欺グループでエンジニアとして働いていた中国人男性(28)は、こう話す。

「私の仕事は、中国人向けのオンライン詐欺カジノのプログラムの開発と管理だった。最初は罪悪感があったが、数ヶ月もしたら慣れてしまった」

中東のアラブ首長国連邦にあった詐欺拠点から英国、フランス、ドイツなどの欧州向けにロマンス詐欺などをしていた中国人男性(31)は、約2年半で三つの詐欺会社を転々とした。

「最初に入った会社では毎日の朝礼があり、中国のヒットソングをみんなで歌って気合いを入れるのがルールだった。曲目はいつも違って、リーダーが選曲する。人を騙す罪悪感をなくして、モチベーションを高めるためだった」

元詐欺メンバーの中国人には翻訳アプリを使いながら取材(2024年12月、クアラルンプール)

詐欺に関与していた中国人への取材では、どこまで証言を信用していいのか疑念も当然あった。そのため、当初は通話やメッセージによる取材を重ね、その後、実際に東南アジアなどの複数国で対面取材も行った。詐欺に従事していたことを示す何らかの証拠(直接証拠は詐欺グループの指示でまず残っていない)を提示させることで、可能な限りの事実確認を進めた。

複数の国で、10カ所以上の詐欺拠点(跡地も含む)も訪れた。一方、日本での取材では、海外の中国人詐欺グループの関係者から入手した名簿をもとに詐欺の被害者にも当たった。

SNSの普及によって、中国人を中心とする灰色産業はいま、いまだかつてない規模の巨大な犯罪ネットワークを全世界に作り出しているのではないかーー。私が、これまでの取材を通じて出した一つの仮説だ。

アメーバのように捉えどころのないように見える有象無象の犯罪グループがどのように生まれ、どのような組織間の繋がりを構築しているのか。そして、そこにはどのような背景を持った人々が集まっているのか。今後の長期連載を通じて、これらの問いにできる限りの回答を示し、灰色産業の実態に迫っていく。

第2回は2月19日11時30分から公開予定です。

伊藤喜之(いとう・よしゆき) 1984年、東京都生まれ。元新聞記者。2022年8月末で新聞社を退職し、同9月からドバイ在住でライター活動を始め、2023年3月、初の単著『悪党 潜入300日 ドバイ・ガーシー一味』(講談社+α新書)を出版。講談社ノンフィクション賞最終候補作に。