【証拠資料入手!】「福島原発」政府事故調も隠した米軍注水支援「失われた2日間」を暴く証拠メールを全文公開
添田孝史・木野龍逸/フロントラインプレス
2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)の津波によって、東京電力福島第一原子力発電所はほとんどの交流電源を失った。当時現場では事故を拡大させないため、東電職員や協力企業の作業員らが懸命に事故対応を続けた。米軍による支援の申し出があったのは、そのさなか、事故翌日の3月12日夕方である。ところが東電は米軍の受け入れを拒み、その間に事故は深刻さを増していく。
この新事実を明らかにしたスクープの後編では、社会技術システム安全研究所の田辺文也所長に「東電が早々に米軍の支援を受け入れて入れば、事故の拡大を防ぐことができたのではないか」というポイントを尋ねた。
田辺氏は国立研究開発法人・日本原子力研究開発機構の元上級研究主席で、長年にわたって原発の安全性を研究してきた。
田辺氏の話に入る前に、もう一度、新事実をおさらいしておこう。
事故発生の翌日に米軍からの支援の申し出があり、東電はそれを拒んだという事実は、内閣府への情報開示請求で得たメールに記されていた。メールは事故対応に当たっていた政府関係者のもので、1人は原子力安全・保安院の根井寿規審議官、もう1人は日本の原子力委員会の近藤駿介委員長だ。根井氏は政府側で事故対応をまとめる立場にあり、近藤氏は原子力推進機関のトップという立場だった。
では、問題のメールの全文を公開しよう。