
吉田義男元監督が記者に「あんた、いま笑いなはったな。その笑いを1年間、忘れまへんで」と詰め寄ったエピソード
阪神タイガースをじめて日本一に導いた阪神・吉田義男元監督が2月3日、午前5時16分、脳梗塞のため亡くなりました。最近でも藤川球児タイガース新監督の誕生を喜んだり、OB との交流を楽しんだりするようす伝わっていた91歳の突然の訃報を、スポーツ新聞が一斉に報じました。
そんなたくさんの追悼記事の中でも、もっとも興味を引いたのは吉田さんの知られざるエピソードを書いた中日スポーツの田所龍一さんのコラムです。
1984年当時、「右翼」か「二塁」で揺れ動いていた岡田選手のポジション問題に、就任直後の吉田監督が「岡田を二塁」で決めた直後のときのエピーソドです。
集まった記者たちを前に、二塁手・岡田に対する評価が低すぎるのではないかと指摘したあと、「私が見る限り、岡田は《日本一の二塁手》になる素質が十分あると思います」と宣言。そのとき、こんなことがあったというのです。
そのときだ。ベテラン記者の一人が吉田監督の発した「日本一」の一言に思わず「プッ」と噴き出した。そのとたん、吉田監督の表情が変わった。その記者を指差し―。
「あんた、いま笑いなはったな。私が日本一のと言うたときに笑いなはったやろ。わたし、その笑いを1年間、忘れまへんで」と言い放ったのである。
温厚で知られる吉田さんの強い意思が伝わってきます。その後、85年にチームは日本一になり、岡田さんは名二塁手になるのですから、まさに有言実行でした。
そして、そのあと、件の記者に吉田監督がかけた一言も、執念が伝わってきてなかなか味わいがあります。
それにしても、吉田さんがタバコの一本一本に名前を書いていたという「伝説」は古いタイガースファンの間では有名なのですが、各社の追悼記事のいくつかでは、記者がその真相を直撃した話が出てきます。
「ようやく汚名が挽回されました。もっと早く書いてくれてもよかったんやありまへんか」と吉田さんは笑っているのでしょうか(瀬)
このコラムは、あふれるニュースや情報の中から、ゆっくりと思考を深めるヒントがほしいという方のため、スローニュースの瀬尾傑と熊田安伸が、選りすぐりの調査報道や、深く取材したコンテンツなどをおすすめしています。