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74人の子どもの命が奪われた場所、そこに来なければできないことがある~小3の娘を失った父親が「終わりではない」と語る理由とは

児童74人、教職員10人が津波の犠牲となった大川小学校。東日本大震災で「悲劇の小学校」と言われた場所だ。遺族19人が石巻市と宮城県の責任を追及した5年にわたる裁判では行政の「組織的な過失」を認める画期的な判決が出たが、「まだ何も終わっていない」と語る人がいる。只野英昭さん。当時小3の娘を津波に奪われ、小5の息子の哲也さんは奇跡的に助かった。津波裁判を闘った遺族たちを描いた映画『生きる』の完成にあたり、日本記者クラブで今の思いを語った。

大川小に来なければできないこと

大川小学校の校庭でぼーっと立っている人に冊子を渡してお声をかけると、元教員なんです、現役教師なんですというがたくさんいて。どうして来たんですかと聞くと、8、9割の人が同じ答えをします。

「自分だったらこの校庭で、あの日の状況を思い浮かべながら、何ができるかを確かめに来ました。自問自答をしに来ました」と。
それをするべきなんじゃないかなと思います。

大川小学校 2017年8月撮影

もちろん子どもたちを守らなきゃならない教育関係者もそうでしょうけど、子どもたちに自分の命をどう守るか学んでもらうことは、今後の防災教育の柱になるもの。

それがあの日の「津波てんでんこ」(注: 他人に構わずそれぞれができるだけ早く高台へ逃げないと津波からは逃れられないという言い伝え)なんじゃないかなと。自分でどうしたらいいという判断をして行動に結びつけるようにしなければ。

南相馬の小学生が校庭に来た時に、「じゃあ君たちだったらどこへ逃げるか探してこい」とやってたんですね。びっくりしました。おそらくこれが今後やるべき教育になってくる。いつどこにいても、自分だったらという避難行動をとれるような教育をしていかなければと。

いろんな人が来て、自問自答する場所、それが「震災遺構」じゃないかなと。あの津波は北上川だけで起こるものではない。他人事と思わないでくださいねと。

なぜ地元からは来ないのか

県外からは大川小にいっぱい来るんですよね。県内の人は判決が出てから来始めました。

正直、思いました、判決出るまでの間に同じ震災起きなくてよかったねと。起きたらまた同じ悲劇が起きてしまったでしょう。悲劇が起きても、判決が確定しても改善策が最大の被災地ですら運用されていない。

大川の子どもたちが通っている学校では、避難とか防災教育で大川小に行っていると皆さん思いますよね。来たことありませんから。今現在ですら、あそこに足を踏み入れない学校防災をしていると。

こんなことが起きたから、繰り返さないようにって教えるべきなのに、そこに全く触れない。この現状を一番伝えたいのが石巻市に住んでいる親子さんですよ。

(大川小学校の敷地にある)伝承館は、大川小学校震災伝承館ではありません。「大川震災伝承館」、地域の被害を伝えるために造られたものです。

伝承館運営団体のツイートより

われわれ遺族で検証しているメンバーに、こういう感じで伝承館をオープンしたいんですけどと石巻市から示された資料には、学校のことは何も載っていませんでした。最高裁で判決が確定してもなお、そういうことをするんですね。

今はある程度見られるようになっていますけど、根本的なスタンスは本当にふるさと館です。だから大川小のことを調べて全国から来られた人が、伝承館から出るなり「なんじゃこりゃ」って言っています。

これだけのことが起きたのに、後世に伝えていくうえで、なかったことにしよう、都合が悪いから隠そう、そういうことの結果がこの事故だったのに。

本当に語り継がなければならないのは、「ここでこんな悲劇があったらから繰り返さないようにこうしよう」ってことなのに、「こっちで何人助かりました」ばっかり。

この大川小の事案こそしっかり真実を追及して二度と悲劇が繰り返さないように、真実を伝えていかなきゃならないと自分は思っています。だから真実を知りたいんですね。

ビデオで記録する理由は「真実を知るため」

あの3.11からずっと、ビデオカメラで記録に残すことを続けています。真実、あの日何があったのかを知るためにです。

只野英昭さん

映画の中にも出てきた、一人だけ助かった先生は、本当の証言を遺族の前ではしてくれませんでしたが、実際には「嘘の証言をさせられている」というのが正しいと思っています。

自分の記憶が正しければ、彼は2年前の3月に退職しているはずで、もう裁判も終わって、職も辞しているのであれば、ちゃんと真実を語ってほしいなという思いがあります。一生、隠れて生き続ける必要はなく、彼は正しかったから生き残ったわけですから。

彼は自分だけ先に逃げていたのではなく、ここは想像の域に入りますが、登れるかどうか調べているうちに津波が来ちゃった、が本当じゃないかと自分は思っております。われわれは彼を責めているのではないです。

自分の場合は遺族でもあり、生存児童の親でもあります。あの日、何があったのかという事実、息子は生き証人ですから、全部あそこで見てしまった。でも誰かが話さないと、捜索することすらできなかったんですね。親だったら辛いから忘れろ、しゃべるな、っていうのが普通だと思うんですけど、あいつに聞くしかなかったんです。いっぱい協力してもらいました。この裁判でも確か2度ほど聞き取りに協力してもらいました。

教える立場の人たちが全部、逆をやってくれたんで。息子が友達や妹が亡くなっても語っているのに、学校の先生ってこんなことでいいんだって……12年間それでずっと生きてきています。まだ改められていません。そこを何とかしなきゃいけないって思っています。

結局、嘘から始まったということですね。こっちは本当のことを知りたいのに、地震で木がバキバキだったから山へ登れませんでしたとか、助かった先生も本当のことを言ってくれないし、息子の証言はでたらめだと言われたりとか。われわれは亡くなった娘を返してと言っているわけじゃなくて、何が真実だったのということを知りたいんです。

遺族説明会でとにかく責任逃れに徹していた記録を撮っていただけ。それでいいんですか、最大の被災地が。なぜ3500人以上亡くなっている石巻市でこんなことするのかなって思った時に、守ろうとしているものが違うということがあからさまに分かったので。ずっと信用できないから撮っていたというのが本当なのかもしれません。

当事者が自ら記録し、前面に出る意義とは

会見には吉岡和弘弁護士が同席。遺族が自ら記録し、説明を聞くことには重要な意義があると語った。

僕たちや記者が直に石巻市役所や市教委に乗り込んでいっても当然、一切口を開いてくれない。そういう時に遺族の方が担当窓口に行ってみなと。何人かで行って、聞いて見なさいよって。そして行くとやっぱり人の子で、本当は言っちゃいけないといわれているんだけど、ちょっとだけ言わざるを得ないなという状況もあるわけです。そういう風に情報を引き出していくと。

裁判をやる前、説明会で遺族の方が真剣に質問していくと答えざるを得ない。1回あたり3、4時間やりとりする。僕らが裁判所で尋問をしても、長くても2時間ぐらいが関の山で、最近では1時間ぐらいで知らぬ存ぜぬで終わっちゃう。そういう中で遺族だからこそ長いやり取りを10回にわたってやった。

吉岡和弘弁護士

そこでやった証言記録が宝の山で、そこに全ての立証事項が隠されていた。最初の3回目ぐらいまでは市教委ペースで進められていたのが、4回、5回と重ねるうちに「ちょっと待ってください、1回目に言ったこれと矛盾しませんか」という聞き方で、後半になるとわれわれ弁護士も舌を巻く見事な反対尋問をしていって、証拠を勝ち取っていくということがありまして。

担当職員も内心はわかっているわけです。本当はありのままのことを言っていいという状況を行政側も作ってあげないと、担当者がかわいそうですよね。そういうことも考えていかなきゃいけない問題です。

ぜひ教育関係者とこれからの話を

只野さんは裁判で終わりなのではなく、「これからが始まり」だと語った。

あの日から12年に入るわけですけど、自分が被災現場に行ったのは3月14日。生まれ育った故郷に帰って撮った写真が、映画でも使われています。あれを撮ってから12年もたったのかと思うと、もっと早く判決も何とかできなかったのかなと。

自分は裁判が最終手段と思ってなかったですから。12年でもう終わったのではなくて、まだまだこれからやらなければならない。責任問題の部分は司法で判断しましたが、改めるという部分がまだなされていない。

自分たちもそこに加わって、子どもたちの命を守る教育関係者の方々と考える時間を持っていくのがこれからなのかなと。教育関係者とは今は全然話ができてないので、それをこれからしていきたい。

語り部をしている時によく言わせていただいているんですけど、震災後じゃないんですよと、次の震災前だからねと。そこの意識が意外に、最大の被災地では薄れてきているんではないかという部分があって、ちゃんと改めていかないとまた繰り返すんじゃないかと思うので、それをしていきたいなと。

映画『生きる』は2月18日から順次公開

遺族たちの裁判へ至る闘いを描いた記録映画『「生きる」大川小学校 津波裁判を闘った人たち』は、2月18日から全国で順次上映される。

寺田和弘監督は、「映画を作るうえで最初から最後まで変わらなかったのは、日本人の法律意識を問いたいということ。裁判は当たり前の権利。それをするだけで、なぜ誹謗中傷されるのか。今回のように殺害予告までされてしまうのか。この映画を見ても、本当に誹謗中傷できるかを問いたい」と語っている。

あの日から問われ続けたことが何だったのか、映画は淡々と記録映像をつなぐことで浮かび上がってくる異色のドキュメンタリーとなっている。

取材・撮影:熊田安伸