「これでは死んだほうが楽だとマジで思う」静岡の化学工場で“危険な作業”に従事、がんで逝った夫が残した日記【デュポン・ファイル第5部②】
化学工場でPFOAを取り扱う「危険な作業」をしていた孫請けの「協力会社」の社員らが、次々とがんで亡くなっていました。PFOAとの因果関係はないのか。集中連載4回の第2回では、協力会社の社長が残した日記から、最期の日々の言葉をお伝えします。
フリーランス 諸永裕司
肺がんを告知されてから1年の記録
2年前の春、夫は58歳で逝った。肺がんだった。
直前まで、製造プラントの業務を担う協力会社の社長として、静岡市にある三井・ケマーズフロロプロダクツ(略称MCF、元三井・デュポンフロロケミカル)の清水工場で働いていた。勤務歴は37年、発がん性が指摘されるPFOAも扱っていた。
残された黒革の3年日記は2019年から2021年まで。1日8行。肺がんと告げられてから1年あまりの日々も克明に綴られていた。
新型コロナウィルスに見舞われた2020年は、最後の日に「おだやかなおおみそか」と記され、新年は家族揃って焼肉パーティーをした。
<1月5日>
製造予定の件で(略)もめる
MCFで全てやるのが本来の姿
正月早々、仕事のトラブルに見舞われたらしい。珍しいことではない。短い言葉の中に、請負元への不信感や、孫請けの立場で言い返せない悔しさがにじむ。
翌日、予期せぬできごとが待っていた。
<1月6日>
県総(注:静岡県立総合病院)で診察。ほぼ「がん」。
マジかー! なるようにしかならない。
身内にはわるいけど、自分らしく自分らしく
暮れに地元の病院で診察を受けた際、「肺に影がある。調べてもらったほうがいい」と言われたものの、予想していなかった。「もっと尽くしていれば……」と漏らした私への言葉も書きつけていた。
違うよ。いつも感謝してる。俺のバチだよ。迷わくかけてすまない!
さらに1週間後、検査結果が出た。正式な診断は進行性の肺線がん、「ステージⅣ」。手術はできず、完治はしない、という。
<1月13日>
まあ受けとめるしかないかな。
これからの事を考えるが会社の事を1番に!
その後、秋に2人目の孫が生まれる、と知らされた。
<1月23日>
9月に○○おにいちゃんになる(ん)だって
それまで生きていたいね
体調不良でも工場でタンク清浄
背中の痛みや胸の苦しさに耐え、抗がん剤治療を受けながら仕事を続けた。
<3月1日>
いがいに忙しい。途中で胸が痛くなるがすわってじっとしてる
歩くスピードがみんなについていけない。
帰宅後、肉うどんうまし!