見出し画像

不思議な裁判官人事 第1回 国を負かした裁判官は左遷される 

取材・執筆:木野龍逸、フロントラインプレス

 都市伝説がある。

 原子力発電所に関わる判決で運転の差し止めを認めたり、原発事故での国の責任を認めたりするような裁判官は左遷される、あるいは定年退官間近にならないとそんな判決は書けない、というものだ。端的に言えば、「原発の裁判で原告を勝たせると左遷される」である。

 こうした「噂」は、原発訴訟に携わっている原告や弁護士、取材記者たちの間でときどき話題になる。けれども、なんとなくそう感じるというだけで、これまで事実関係を確かめたという話は聞いたことがない。根拠がないから「噂」というのであって、もし、裏付けがあれば、「裁判官が電力会社や政府におもねっている」ことになるので、もはや事件である。新聞の1面トップ級、文春砲並みの破壊力である。

 噂の種になる話はちょこちょこ、途切れずに出てくる。

大飯原発再稼動を認めなかった樋口裁判官の場合

 ここ数年の間にも、いくつかの出来事があった。

 1つは「原発の運転差し止めを認める判決を出した裁判長の異動先がおかしい」という話である。その裁判官の名前は樋口英明(ひぐち・ひであき)。福井地方裁判所で裁判長だった時、2014年に関西電力の大飯原発3、4号機の再稼働を認めなかった。2015年には同じ関西電力の高浜原発3、4号機の運転を差し止める仮処分を認めた。読売新聞も朝日新聞も、全国紙が揃って1面トップに据えた判決を短期間に2度も出したのだ。

 そして2度目の判決後、すぐに、名古屋家裁の裁判長に異動した。地裁裁判長から家裁裁判長の異動には降格のようなイメージがある。それが噂の原因になり、たちまち「左遷だ」という投稿がSNSで飛び交った。

 当の樋口はどう考えていたのか。2017年に裁判官を定年退官した樋口は、翌年、北海道新聞のインタビューに応じ、原発の運転差し止めを認めたことに触れて、「葛藤はなかった」(2018年12月25日)と述べている。名古屋家裁への異動原因についての言葉はないが、家裁で扱った離婚問題などについては「子の親権者を父母のどちらにするかを決めるのはすごく難しい。国全体から見れば小さな問題かもしれませんが、そっちのほうがよほど悩みました」と語っている。

 このインタビューを読む限り、樋口本人に家裁への異動を気にしている様子はない。「左遷」話は単なる噂に過ぎなかったとように見える。それに、福井地裁での2度目の判断は、名古屋家裁への異動が決まった後に出されたものだ。直接の因果関係は読み取れない。

 では、裁判官全体を見渡したら、どうなるだろうか。

 国や行政側を敗訴させた裁判官と、その裁判官のその後の人事。双方には因果関係があるのか、ないのか。都市伝説は根も葉もないただの噂なのか、それとも根拠になった事実があるのか。

定年間際の裁判長が「国の責任」を認める?

 2021年2月19日、よく晴れた金曜日。

 東京・霞が関の裁判所庁舎前には、東京電力福島第一原子力発電所の事故で避難せざるを得なくなった人たちやその支援者、そして数多くの記者が集まっていた。東京高裁では、原発事故で千葉県に避難した避難者による集団訴訟『千葉訴訟』(第1陣)の控訴審判決が下されることになっていたからだ。被告は東京電力と国である。

 福島原発事故に関する集団訴訟では、東電はもちろん、国にも賠償を求める裁判が数多く起こされている。2021年3月末時点で15件の一審判決が出ており、このうち国の責任を認めたのはほぼ半分の8件。『千葉訴訟』では、一審の千葉地方裁判所が国の責任を否定している。控訴審で判断がひっくり返ると楽観的に考える関係者は多くなかった。

 そんな中、例外はいた。原発事故の取材を続け、千葉訴訟の判決直前に『東電原発事故10年で明らかになったこと』(平凡社新書)を上梓したサイエンスライター添田孝史(そえだ・たかし)である。控訴審での原告勝訴という予想を捨てておらず、高裁前でも「原告の勝ち」を口にしていた。科学的とはとても言えないが、その根拠は「裁判長はけっこういい歳だから」だという。

 後日、この時のことを聞くと、添田は「確かにそういう(定年が近いと国敗訴にしやすいなどの)話は聞くけど、全くエビデンスないですよね。誰かが検証した話も聞いたことない。まあ、都市伝説は都市伝説だからおもしろいんですけどね」と話した。続けて、「え、私のコメントを入れるんですか?

 サイエンスライターとして科学的じゃない話をするのはちょっとなあ」と腰が引けていたが、話をしたのは事実なので仕方がない。口は災いのもとである。

『千葉訴訟』を担当した裁判長は司法修習36期の白井幸夫(しらい・ゆきお)だった。1984年に裁判所に入り、定年退官まであと1年数カ月。裁判官の定年は65歳だ。満65歳を迎える誕生日の前日で定年退官になる。残りの任期を考えると、東京高裁裁判長で「上がり」の可能性は高かった(この人事予想は2週間後、ものの見事に覆されるのだが)。

 判決の日、午後3時の開廷からしばらく経った頃、3人の弁護士がゆっくりと正面玄関から出てきた。取材陣が集まる場所に向かって、縦長の紙(記者たちは「びろーん」と呼んでいる)を掲げた。

「逆転勝訴」

「国の責任を認める」

「ふるさと喪失 慰謝料認める」

原告が逆転勝訴した『千葉訴訟』。東京高裁前で勝利を示す紙を掲げる弁護士たち=2021年2月19日(撮影:木野龍逸)

 大きく墨書きされた文字を見た人たちから、「おーっ」という静かな声が上がり、カメラマンたちが一斉に撮影を始めた。添田は「やっぱり定年だからですかね」と声を出して笑った。僕も同意し、こういうこともあるんだなぁとぼんやり考えていた。

 確かに『千葉訴訟』の白井裁判長は定年に近かった。だからといって、そんなことで判決が左右されているとしたら、裁判への信頼は薄れ、法治国家の根本が崩れ兼ねない。したがって、弁護士の中にもこの手の都市伝説を一笑に付す人は少なくない。

裁判官エリートの作られかた

『千葉訴訟』の控訴審判決を取材した前後、フロントラインプレスの取材チームは、追い込み作業を急いでいた。チームといっても、筆者の木野と日刊紙で働く仲間のT記者の2人。小所帯である。

 検証取材の目的はたった一つ。

「国敗訴などの判決を出した裁判官はその後の人事で冷遇される」。判決内容と人事異動の関係を過去の実例から実際に読み解いていこう、という内容だ。

 取り組んできた作業の手順は極めてシンプルだった。

 まず、判例データベースで原発関連訴訟など国を被告にした裁判の判決を集める。その中から、国の賠償責任を認めたり、運転差し止めを認めたりした判決などを抽出する。その上で国側敗訴の判決をリスト化する。続けて、各判決の裁判長の経歴を確認し、判決の前後で異動の傾向に違いがあるかどうかを調べる。判例データベースは『TKCローライブラリー』を、裁判官の経歴は『新日本法規』の裁判官データベースなどを参照することにした。

 最も重要なのは、各裁判官がたどった人事の経歴をどう評価するかにある。どのポストからどのポストへ動けば、「左遷」「冷遇」などと言えるのか。どのコースがエリート街道なのか。そもそも裁判官の世界に「左遷」はあるのか。そうした評価は、明治大学政治経済学部の西川伸一(にしかわ・しんいち)教授に協力を依頼することにした。

 西川教授には『増補改訂版 裁判官幹部人事の研究』(五月書房新社)という著作がある。裁判所人事の研究では日本の第一人者だ。この著書で西川教授は裁判官のキャリアパスを「経歴的資源」と定義し、歴代の各裁判所長ら1758人の経歴を精査して各ポストの位置付け、序列を割り出したのである。作業の綿密さは想像を超える。

 ここで裁判所の組織を見てみよう。

 日本の裁判所は、最高裁判所を頂点にしたピラミッド型になっている。最高裁の下に8つの高等裁判所と6つの支部があり、その下に253の地方/家庭裁判所とその支部などが置かれている。裁判官の人数は、総勢で約3000人だ。

 これらの裁判所には明確な順位がある。例えば高裁の序列は上から、東京、大阪、名古屋、広島、福岡、仙台、札幌、高松の順に並ぶ。『裁判官幹部人事の研究』によれば、東京高裁の長官に就く人は、その前に他の高裁長官を経験することがある一方、逆に東京高裁の長官から他の高裁長官になった人は過去に誰もいない。

 別のデータも見てみみよう。

 同じく『裁判官幹部人事の研究』によれば、これまで最高裁の裁判官になった人のその直前ポストは、27人が東京高裁長官、21人が大阪高裁長官だった。高松高裁や札幌高裁の長官から直接、最高裁に異動した人は1人もいない。つまり、「東京・大阪」と「高松・札幌」の高裁では、明らかに重みが違うのである。

 裁判官の中には裁判をしない裁判官、「司法官僚」と呼ばれる人たちもいる。人事や予算折衝などを担う最高裁事務総局、司法研修所などに所属する裁判官たちがこれに該当する。判例を調査・研究する最高裁調査官もそうだ。これら裁判をしない部署は、エリートと呼ばれる裁判官が必ず通るポストだとされている。民間企業で言えば、将来のトップ候補を選りすぐり、現場仕事はあまりさせず、帝王学的に育てているような感じだろうか。

 西川教授によると、最終的に幹部になる裁判官たちの異動はパターン化しており、裁判所組織では「同じ『経歴的資源』を持つ同質的で特権的なトップエリート層が形成されている」という。裁判所にはシステマチックな人事制度があることを明らかにしたのである。

 私たち取材チームがその西川教授に協力を依頼したところ、幸い、「たいへん興味深いです」と言って申し出を快諾してくれた。しかし私たちには、西川教授のところへ行く前に、やらなければならないことがあった。判決の収集と整理である。これが予想以上にたいへんな作業になった。

「国」を相手にした判決数の多さに卒倒

 判決収集の手順はこうだ。

 まず、先述したデータベースから判決を集める。期間は、1990年1月から2019年12月までを対象とした。判決を検索する際のキーワードは、国相手の裁判で使われる「被告国」「代表者法務大臣」を基本にした。提訴の時期が古い場合、被告が「内閣総理大臣」や、事件を所管していた大臣になっていることもある。そうした場合は、随時、判決を追加することにした。

 訴訟の数は限りないから、やみくもに「被告国」などを調べていくと、収拾がつかなくなるかもしれない。そのため、キーワードをさらに追加して、調査対象とする訴訟を絞ることにした。原発の運転差止や原発事故の賠償を求める「原発」「原子力発電所」、公共事業の停止や公害の賠償などを求める「差止」「取消」、原爆症の認定などを巡る裁判で使用される「原爆症」、外国人に関する「退去強制令」、「アスベスト」「じん肺」などの健康被害に関する訴訟、それに「らい予防法」。これらが判決を選び出す際に使った最初のキーワードである。

 検索を進めていくと、一定の絞り込みをしているにもかかわらず膨大な判決がヒットした。早くも目が回りそうになる。例えば、「差止」および「取消」で検索すると、民事訴訟の合計で約4700件。このうち一部だけでも原告の請求を認めた「一部認容」を含む判決は742件を数えた。これらの判決を読み込み、公害や公共事業の差止請求、あるいは行政文書の非開示決定に対する取消請求などの事件に絞り込み、内容をエクセルに打ち込んでいく。この絞り込みで残ったのは110件だった。

photo/Getty images

 これで終わりではない。これらのうち「国が敗訴した」と確実に言える判決はどれか。それを読み込みによって判断する必要がある。原告の請求を「一部認容」した判決であっても、「国の責任」をどう認めたのかを判断するには、判決文を丁寧に読むしかない。国の責任を全面的に認めているのか、少しだけ認めているのか。公害の集団訴訟のように、多数の原告のうち一部の被害を認め、その一方では国の責任を否定した訴訟もある。控訴審の場合は、国に不利な判決だったかどうか、一審判決と賠償額の増減を比較するなどの作業も必要だ。

 騒音や大気汚染などの公害訴訟では、過去の判決を踏襲しているものもある。前例踏襲の判決は「国に不利な判決」というより、時々の政策に従ったとも考えられる。したがって、こうしたケースは除外することにした。とにかく、足し算と引き算、それらに伴う読み込みと判断が容易ではないのだ。

 判決の読み込みは、裁判取材に長けたフロントラインプレスのT記者が担当した。この作業量も厖大になった。なにしろ判決本文は、少なくても数万字、多いときには100万近い文字数になる。本で言えば、新書の文字数がおおよそ12万字前後。つまり判決文ひとつで新書数冊分になることもある計算だ。裁判官はこれほど長い判決文をいくつも書いているのか。そう思うと、ちょっと頭が下がる。長ければいいというものではないにしても、社会的に注目度の高い訴訟や原告数が多い訴訟では、証拠の数も判断すべき点も格段に増えていく。

 最終的にどの判決を評価の対象にするかは、T記者の判断を第一にした。数が多すぎて誰かが「エイヤッ」で割り切らないと、検証は進まないからだ。この作業量を考えると、これまで誰も「判決内容と裁判官の人事」の関係をきちんと検証しなかった理由がよくわかる。

エリート度と冷遇度を定義し評価してみる

 判決を抽出する基準の検討におよそ半年。さらに、実際の抽出と判決文の読み込み、問題点の洗い出しなどにさらに半年。私たち検証チームの2人は、各裁判長の経歴を西川教授に分析してもらう準備をようやく整えた。判決読み込み過程で、裁判官の重複を取り除き、最終的に西川教授に手渡した裁判官の数は、民事訴訟だけで170人以上になった。西川教授にはたいへんな負担を掛けることになり、心苦しいとしか言いようがない。この場を借りて最大の感謝を表したい。

 私たちが西川教授に送ったのは、「国側を敗訴させた裁判官の名前」と「その裁判官の異動歴」だ。人事異動については、任官から始まり、当該判決を出した後から現在まで、裁判官人生の歩みがわかるように整理した。出来上がった順番にデータを五月雨式に送っていく。すると、西川教授からは数日後に「評価結果」が届いた。

明治大学政治経済学部の西川伸一教授(撮影:木野龍逸)

 西川教授の評価尺度は2つの指標から成り立っている。「エリート度」と「冷遇度」だ。

 下の記述を見てほしい。「エリート度」は4段階、「冷遇度」は5段階。それぞれ、数字が大きいほどレベルが高くなる。

《エリート度》
4:最高裁事務総局局付の勤務歴のある者、および法務省へ異動しての勤務歴が長い者
3:高裁所在地の地裁所長、東京家裁所長、横浜地裁所長、京都地裁所長、神戸地裁所長の勤務歴のある者
2:3と1の間にいると考えられる者
1:支部勤務、家裁勤務が長い者

《冷遇度》
4:当該判決の影響が顕著に推測される者
3:当該判決の影響がかなり推測される者
2:当該判決の影響がある程度推測される者
1:当該判決の影響が推測できるか微妙な者
0:当該判決の影響がまったくみられない者

 西川教授はこの2つの指標をクロスさせ、裁判官の経歴評価を試みた。ただし、エリート度については客観的な評価ができるものの、冷遇度については「主観的判断にならざるをえない」と言う。そのため、この記事で扱う「冷遇度」は基本、条件付きでの評価になる。

 西川教授はまた、裁判官の人事を評価する前提として、「判決がその後の経歴に影響を与えたかどうかの因果関係を立証するのは不可能なので、傾向的な指摘にとどまる」としている。裁判所の人事評価が外から確認できない以上、複雑な要素が絡み合う人事について確定的なことは言えない。それは致し方ないところだ。

 もう一点、注意すべき事柄がある。現役の裁判官については今後のキャリアがどうなるのかわからないため、あくまでも現時点での評価になることだ。国敗訴の判決を出した時からポストが変わっていない場合は「評価不能」とした。

 では、検証の結果を発表しよう。「裁判官の判決と人事」には、どんな関係があるのか。いったい何がわかって、何がわからなかったのか。

「わからない」ことが「わかった」裁判官人事

 まずは全体の集計結果から(表1)。

 ここでピックアップしたのは、いずれも「国敗訴」と言える判決を出した裁判官だ。合計で141人になる。そのうち、最も冷遇されているように見えるのは、「エリート度」「冷遇度」がともに最高ランクとなった「4-4」評価のケースだ。裁判官として言うことのないエリートコースを歩んできたのに、(確定的ではないものの)国敗訴の判決によって人事で冷遇されたことが「顕著に推測される」人たちである。評価の結果、「4-4」は2人いた。

 次いで、エリート度は最高の「4」、冷遇度は「3」という「4-3」で8人を数えた。判決と人事の「影響がかなり推測」される人々である。

 国敗訴の判決を出したことがあるものの、エリートコースをそのまま進み続けている裁判官も多い。その場合、エリート度は最も順風満帆な道を歩んでいることから「4」、冷遇度「0」となる。この「4-0」は20人に上った。同様に、エリート度の「2」や「1」、つまりエリートコースを歩んでいるとは評価できない裁判官についても、人事では特段おかしな動きが見られないため、冷遇度を「0」とした裁判官も数多い。

 もう一度、表1を眺めてほしい。

 全体をぱっと見た感じでは、判決と人事になにか関係があるようには見えないというのが第一印象ではないだろうか。そもそもエリート度が高くても低くても、影響なしと評価できるケースが一番多いのである。

 裁判官の人事については、元最高裁判事の泉徳治(いずみ・とくじ)が『一歩前へ出る司法』(日本評論社)の中で次のように語っている。違憲判決や行政に不利な判決などを出すと地裁の支部ばかり回されるという話がよく出るが実際はどうなのか、という質問への回答だ。

「昔からそういう批判があることは承知しておりますが、人事はそれほど単純ではないと思います。事件は一件一件異なりますし、判決の良し悪しなど、上級審でその判決を審査した者でないと簡単には分かりません。異動案というものは、ご本人方の事情、各裁判所の事情など、諸々の事情を調整し、多くの人の意見を反映させて出来上がっていくものだと思います」

 泉は最高裁事務総局で人事局任用課長、人事局長などを歴任した司法官僚の中心的な人物だ。そのため、上記の見解には、都市伝説に対する反論の意味もあっただろう。一方で、今回の調査で実際に一覧表を作ってみると、「人事はそれほど単純ではない」という泉の言葉は実態を適度に表しているとも思えてくる。

「エリート度」「冷遇度」という2つのものさしで裁判官人生を評価した西川教授は、全体の評価を見渡した印象を次のように話した。

「たとえ国が負ける判決を出しても、その後の経歴はそれほど顕著に変わらないようです。裁判官の人事については、法曹関係者の間でも『法則性はわからない』と言われていました。今回、全体を見た感じでも『わからないということがわかった』ということでしょうか」

 その上で西川教授は「わからない」理由を推察した。

「現在は、簡易裁判所の判事を除くと全国に約3000人の裁判官がいます。しかも途中で依願退官をしたり、在官中に死亡したりすると、すぐに補充しなければいけません。その時に、何か法則を持ってやることは難しいんだと思います」

 裁判の多くは、裁判長と右陪席、左陪席の合議で行われる。一人でも欠けると、裁判は進まない。欠員が出たらただちに補充しなければならないが、裁判官全体の数は決まっているので人的リソースの余裕はあまりない。しかも定年退官の基準は誕生日である。コマ数の多い絵並べパズルを1年中、解いているようなものかもしれない。こんな条件下では、「国敗訴の判決を出すと左遷」という噂通りの人事を実行しようとしても簡単にできるものではない、というわけだ。

 でも、本当にそれだけなのだろうか。

「ミスター司法行政」と呼ばれた元最高裁長官の矢口洪一(やぐち・こういち)は「政策研究大学院大学C.O.E.オーラル・政策研究プロジェクト」の手による自身のオーラルヒストリーの中で、こんなことを述べている。

「司法行政は、ほとんど人事が中心です」

 この言葉には、単に人を補充するだけでない裁判官人事の意味が含まれているように感じた。実際、今回の検証を進め、評価結果をさらに詳しく見ていくと、あの都市伝説はあながち想像だけでもないように思えてきたのである。

「おとなしくしていれば、高裁長官になっていただろうに」

 話を西川教授による「評価」に戻そう。

 今回、「4-4」と評価された2人のうちの1人は、司法修習30期の藤ふじ山やま雅まさ行ゆきだ。裁判官として主に行政事件を担当し、名古屋高裁部総括を最後に定年退官した。「部総括」は正式な職名である。

 裁判所には、例えば、東京地裁の民事担当の場合、1部から51部まである(現在は6つが欠番)。それぞれの部をまとめるのが「部総括」で、裁判所内部では「部長」と呼ばれることが多い。部長は、3人合議の裁判では左右の陪席を従える「裁判長」を務める。

 そう言えば、松本潤(まつもと・じゅん)がダジャレ好きな刑事弁護士を演じるテレビドラマ『99.9―刑事専門弁護士―』(TBS系列)では笑しょう福ふく亭てい鶴つる瓶べ演じる裁判所の部総括が「部長」と呼ばれていた。あんなに悪い顔をした部総括がいるかどうかは別として、呼ばれ方は実態に即していた。ちなみに『99.9』のシーズン3はいつ放送されるのかと思っていたら、次は映画になるらしい。この2月に公開されたトレーラー版では「この冬公開」となっている。

 さて、1978年に裁判所に入った藤山は、1993年から1997年まで最高裁事務総局行政局で課長職を務めた。その後、2000年に東京地裁で行政事件を担当する第3民事部の部総括に就任する。行政事件を担当するのはエリート中のエリートと言ってよい。

 この東京地裁第3民事部の時代、藤山は弁護士の間で「国破れて山河あり」をもじって「国破れて3部あり」と呼ばれたほど行政側に不利な判決を連発した。代表的な事例は、東京都の西部を縦貫する「圏央道あきる野インターチェンジ」について住民側が建設中止を訴え、事業認定の取り消しを求めた裁判だ。藤山は判決で、事業認定取り消しとともに東京都収用委員会が決定した事業用地収用裁決の取り消しも認めた。住民側の全面勝利である。しかもこの判決の半年前には、土地収用の代執行を停止する判決も出していた(これらの判決はいずれも上級審でひっくり返っている)。

 藤山はこのほか、外国人の強制退去処分の取り消しなどを認める判決も多数出している。判例データベースで「退去強制令」を検索すると、藤山は東京地裁部総括として16件の訴訟を扱い、そのうち一部でも原告側の請求を認めた判決は15件もあったことがわかった。ほとんど全部である。

 難民認定や強制退去処分といった外国人の滞在許可に関する訴訟は行政事件の担当部署で扱う。だから件数は多くなる。例えば、2007年から2013年にかけて(途中の2年間を除く)東京地裁の部総括として行政事件を担当した裁判官の定じょう塚づか誠まことは、退去強制令に関する62件の訴訟を扱っている。ただし、そのうち原告の請求を一部でも認めた判決は7件しかない。もっと極端なのは、2013年から2018年に東京地裁で行政訴訟を担当した谷口豊(たにぐち・ゆたか)だ。データベースで検索すると、ヒットしたのは棄却192件、認容7件。こうしたケースと比べると、藤山の判決がいかに突出しているかがわかる。

 その藤山は、東京地裁の部総括から東京高裁判事になった後、千葉地裁部総括→横浜地家裁川崎支部長→三重県の津地家裁所長→名古屋家裁所長→名古屋高裁部総括という道を歩んだ。周囲が「あれ?」と思うような異動を繰り返し、定年退官した。その間、名古屋高裁部総括になるまで行政事件はほとんど扱っていない。端的に言って「外されたのではないか」と推認できる。

 西川教授は藤山の経歴について、次のように話す。

「藤山さんのキャリアは典型的なエリート裁判官でした。『おとなしく』していれば高裁長官に就くことはほぼ確実だったと思います。しかし、東京地裁第3民事部の部総括後、地家裁所長のポストには就けたものの、津地家裁、名古屋家裁と、藤山さんクラスならとうてい就かないようなポストに『左遷』されたように見えます。その後の人事でも、藤山さんクラスなら当然、東京高裁の部総括になれたと思いますが、最後は名古屋高裁の部総括に回されて、そこで定年退官を迎えています」

最高ポイント「4-4」の裁判官の場合

 藤山のようなわかりやすく推認できる例はほかにないだろうか。まずは西川教授が「4-4」と評価した2人目を検証してみた。冷遇度で最高の4、つまり、「当該判決の影響が顕著に推測される」裁判を手掛けていれば、少しかもしれないが、判決と人事の相関性はまた積み上がる。

「4-4」の2人目は、司法修習39期の畑一郎(はた・いちろう)。現在は仙台高裁の判事に就いている。冷遇度が最高の「4」になっているのは、9年間も仙台地裁の部総括から動かなかったからだ。畑の経歴を見ると、最高裁民事局付を複数回経験しているほか、1999年には最高裁事務総局の総務局第2課長兼第3課長にも就いた。まごうことなき、エリートコースである。けれども、その後に東京地裁判事になり、2003年からは仙台の地裁と高裁を行き来。2018年に仙台地裁の部総括に就任すると、そのまま9年間、異動がなかった。

「そこに違和感を感じる」と西川教授は話す。通常、裁判官は2年から4年の周期で異動があるからだ。一方で、本人が希望すれば、裁判官は一定の地域内で勤務することもできることから、動く範囲が地理的に限定されることもある。畑の場合も何か特別な事情があった可能性がある。

 今回、畑を評価対象としたのは、自衛隊の情報保全隊が個人情報を収集していた事件に関し、2012年の仙台地裁判決で、情報保全隊の行為は人格権の侵害であり違法だとして、国家賠償を認める判断を下していたからだ。このほかに畑には、国を被告とする目立った裁判を扱ったことはない。

 そうしたことから「違和感は残る」(西川教授)ものの、左遷人事なのかどうかは「わからない」と結論づけるしかなかった。

「エリート度」「冷遇度」などを説明する西川教授(撮影:木野龍逸)

次点「4-3」裁判官で、よくわからなくなってきた

 次に「4-3」評価の裁判官8人を個別に見ていこう。8人ともエリート度は最高評価の「4」。エリート中のエリートである。問題は、国敗訴などの判決がその後のキャリアに影響したと言えるかどうかだ。

【田中健治(たなか・けんじ)司法修習41期=大阪地裁で国敗訴の判決】

(判決例)
 2011年から2015年にかけ、行政文書の不開示決定を取り消し。2012年11月には、内閣官房機密費の支出に関する一部文書の開示を決定。遺族年金の支払い請求が時効を理由に認められなかったことに関する訴訟では、時効になったのは社会保険庁が組織的に不適切な取り扱いをした結果であり、支払いを拒むのは許されないとして、原告を勝訴とした。

(異動歴)
 1994年から96年までエリートのポストのひとつ、最高裁行政局付に着任。2012年に大阪地裁部総括になった後、2015年に神戸地家裁尼崎支部長。2020年から現在まで那覇地裁の所長。

(西川教授のコメント)
「尼崎支部長にはエリートはほとんど就かない」

【川神裕(かわかみ・ゆたか)司法修習34期=東京地裁等で国敗訴の判決】

(判決例)
 日韓会談に関する行政文書の一部開示を認める判決。証券取引等監視委員会が強制捜査で領置処分をした物について、違法な処分だと認める判決。一方、2014年には、福島第一原発と第二原発の設置許可処分の無効を訴える訴訟において、原告の居住地が原発から遠く、原発事故の被害を受けていないなどとして原告適格を認めず門前払いしたこともある。これらの経緯から、国を相手取った訴訟では原告寄りの姿勢を示す傾向にある、とも言い難い。

(異動歴)
 1985年に最高裁行政局付、2000年に最高裁調査官、2006年に最高裁上席調査官を務めた。2015年に東京高裁部総括に就任したが、そこで5年間動かずに定年退官。

(西川教授のコメント)
「このくらいの経歴(最高裁勤務が長く上席調査官まで務めた)なら東京高裁管内の地裁所長もあると思うが、なぜか大津地家裁の所長になった。その後、東京高裁で5年も部総括をして退官しているのも異例」

【吉村真幸(よしむら・さねゆき)司法修習41期=鹿児島地裁で国敗訴の判決】

(判決例)
 2015年、鹿児島地裁部総括として、警察が虚偽自白などを強要した未曾有のえん罪事件「志布志事件」において、その国賠訴訟で原告の請求を認めた。ただし、志布志事件は、この時点で冤罪事件だったことが明らかになっており、人事への影響の大きさは微妙。

(異動歴)
 1992年から2001年までのほとんどの期間を最高裁で司法官僚として過ごす。その間のポストは、民事局付、人事局付、総務局付、総務局参事官。2005年には最高裁情報政策課参事官。2012年に鹿児島地家裁で部総括。2016年に東京地裁部総括になり、2021年に金沢地裁所長。

(西川教授のコメント)
「鹿児島に行くまでの経歴には非の打ち所がない。長く東京から出ていなかったから、一度遠くに(鹿児島)行くのはおかしくない。ところが所長は金沢。東京高裁管内ではなかった点が気になる。まあ、新幹線が通っていますけどね。この後は東京高裁の部総括に戻るか、名古屋か。でも、あと2年しかない」

【西川知一郎(にしかわ・ともいちろう)司法修習37期=大阪地裁で国敗訴の判決】

(判決例)
 大阪地裁部総括だったとき、原爆症の認定を求め9人が提訴した訴訟を担当。2006年の判決では原告9人全員の請求を認めた。この判決後、国は原爆症認定訴訟で敗訴を続け、認定基準の変更につながった。2007年3月から6月にかけて5連続で国敗訴の判決があるが、その前後に国敗訴はほとんどない。

(異動歴)
 1988年に最高裁行政局付、1996年に最高裁調査官。2006年に大阪地裁で部総括になった後、2014年に神戸地家裁尼崎支部長、2015年に福岡高裁宮崎支部で部総括。大津地家裁所長を経て2019年から大阪高裁部総括に就く。

(西川教授のコメント)
「最高裁の局付から高裁支部(福岡高裁宮崎支部)の部総括になった例は他にない。なぜか、尼崎支部長あたりからエリートコースをはずれだしている。この経歴で宮崎支部に行く人事は、普通はないだろうと思う」

【西田隆裕(にしだ・たかひろ)司法修習42期=大阪地裁で国敗訴の判決】

(判決例)
 2014年、原爆症認定義務付け訴訟において義務づけは棄却したものの、救護被爆や入市被爆による原爆症を広く認めて、請求を一部認容した。内部被ばくについても評価した判決だった。

(異動歴)
 1993年に最高裁民事局付、2006年に最高裁調査官に着任。その後は大阪に定着して2012年に大阪地裁部総括。2020年から神戸地裁尼崎支部長。

(西川教授のコメント)
「経歴を考えると、尼崎支部長のポストに違和感がある。この後に所長ポストに就く可能性はあるが、過去の例からは尼崎支部長から上位の所長に就く可能性は低い」

【増田稔(ますだ・みのる)司法修習39期=東京地裁で国敗訴の判決】

(判決例)
 2015年に出した原爆症認定訴訟の判決で、放射線による影響を下咽頭、腎細胞、胃、乳、それぞれのがんに加え、虚血性心疾患、脳梗塞など広範囲の疾病を対象として原爆症を認めた。原告19人中18人の請求を認めた。

(異動歴)
 1991年に最高裁家庭局付、1999年に最高裁行政局参事官、2001年に最高裁行政局第2課長、2003年に最高裁調査官など、最高裁で司法官僚を歴任。2018年に那覇地裁所長。2020年に福岡高裁部総括。

(西川教授のコメント)
「最高裁の局付と課長の両方を経験した人で、(東京、大阪、名古屋の)3大都市より格下の福岡高裁部総括になった例は他にない」

【江口とし子(えぐち・としこ)司法修習33期)=大阪高裁で国敗訴の判決】

(判決例)
 横浜地裁時代は、石綿(アスベスト)粉じんによる健康被害の影響を認めず、原告の請求を棄却。横浜ではその判決以外に、国を被告とする裁判は担当していない。その後の大阪高裁では、国を被告とする6件の訴訟を裁判長として扱い、半分の3件で原告の請求を認めた。そのうち1件は石綿粉じんの健康影響を認める判決であり、横浜地裁時代の判断とは180度転換した。

(異動歴)
 1987年に最高裁民事局付の後、訟務検事や司法研修所教官などを歴任し、2007年に横浜地裁で部総括。2013年の長崎地裁所長などを経て、2014年に大阪高裁部総括になり、2020年に定年退官。

(西川教授のコメント)
「国敗訴の高裁判決は後のことなので、その判決を理由に冷遇されたとは判断できないが、それ以前のキャリアを見ると、長崎地裁所長から大阪高裁部総括は順調な出世とはいえないように見える」

原発関連訴訟判決文の数々

原発関連訴訟を軸に検証すると、謎が見えてきた


 これまでの事例を読み、表を見て、みなさんには判決例と人事異動の関係がどう映っただろうか。

 少なくとも、私たち取材チームはこの時点では、上掲の西川教授コメントで紹介したように「わからないことがわかった」と言うのが限界だと考えた。上記「4-3」評価の8人の人事異動と判決についても、読み方によっては「関係がある」と見えるかもしれない。いずれのケースも「関係があると見えるのは印象に過ぎない」のかもしれない。

 しかし、この取材はこうした曖昧な状態で終わるわけではない。今年2月19日、よく晴れた東京高裁前で目の当たりにした、原発事故避難者による『千葉訴訟』の「びろーん」。多くの法曹関係者が原告勝訴に自信を持てずにいたなか、科学ジャーナリストの添田正史は「定年間際の裁判官は国の責任を認める」という都市伝説をもとにして、原告勝訴を言い当てた。実際、その真偽はどうなのか。

 私たちはこの後、原発関連訴訟を軸に検証を進めた

 すると、「あれ?」とも「おや?」とも言いたくなる出来事に突き当たったのである。

(本文中、一部の方々の敬称を省略しています)

つづく