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原発行政の闇を暴き続ける彼は、なぜ「調査報道記者」を名乗るのか

元毎日新聞記者 日野行介さんに聞く

日野行介さんの取材と報道のスタイルは、数多くのジャーナリストの中でも異彩を放っています。毎日新聞の記者としてのこの10年間の仕事は、いずれも原発事故後の行政の施策をめぐって、国や自治体、専門家の嘘を暴いて突き付けるものでした。「福島県の県民健康調査は秘密会で表の会議の方針が決められ、線量ネット調査も活用しなかった」「復興庁の幹部が匿名で暴言ツイッターを発信していた」「原子力規制委の委員長が虚偽説明」といった新聞の1面を飾ったスクープの数々を記憶している方も多いのではないでしょうか。

彼は原発事故をテーマにしながら、原発そのものの取材をするわけではありません。彼がやっているのは、「行政の意思決定の過程を丸裸にすること」です。そして記事のスタイルは一人称で、行政側とのやりとりを克明に描写し、相手の焦りや怯えさえ伝わってくる。言葉の選び方も痛烈で容赦ない書きぶりです。だから取材先からも常に警戒されていますが、それにもかかわらず調査報道をモノにしてきました。なぜそれができるのか、彼自身はその理由を「狂気と執念」と表現しています。今回、日野さんにこうした報道を手掛けてきた理由と手法について根ほり葉ほり聞きました。
(聞き手・スローニュース 熊田安伸)

「原発事故」を取材しているのに原発そのものを取材しない記者

熊田 日野さんはこのほど毎日新聞社を辞め、独立後の第一作として『調査報道記者 国策の闇を暴く仕事』(明石書店)を上梓されます。これまで手掛けてきた原発事故に端を発する6つの調査報道と、その手法、背景をまとめたものです。それにしても『調査報道記者』とは思い切ったタイトルをつけましたね。

『調査報道記者 国策の闇を暴く仕事』発売中

日野 最初は『原発戦記』というタイトル案もあったんですよ。でも僕はよく「日野さんは原発記者なんですか、調査報道記者なんですか」と聞かれるのですが、原発だけを取材の対象にする気はないんです。長年食らいついてきたこだわりはあるにしても、あくまでも自分にしかできない調査報道という方法で、ターゲットに迫ることが大前提。その意味で自分の存在意義、核心を形作っているものは調査報道だと結論づけたことが、本書のタイトルを『調査報道記者』とした理由です。

熊田 とはいえ36歳から45歳という、記者として一番脂がのっている時期の10年間を原発に関連する取材に費やしている。

日野 最初に手掛けた「県民健康調査」の時はあまり意識してなかったんですよ。この本にも書いた通り、情報が入ったから飛びついて始めたのが実情です。たまたま知り合いの関西労働者安全センターの人が講演をするというので聞いてみたら、出てきたのがこの本の最初の章で書いた「不可解なエピソード」だったのです。

熊田 国の放射線医学総合研究所が、原発事故後にインターネットで自分の行動経過を打ち込むと被曝の推計量を算出するシステムを開発して、公開すると告知までしたのに、結局は福島県の県民健康管理調査で使われることはなく、公開すらされなかったという問題ですね。

日野 その問題を追いかけているうちに、メディアにも公開されている県民健康管理調査の検討委員会とは別に「秘密会」が開かれていて、本会合のシナリオが事前に決められていたことが分かりました。

熊田 日野さんはこの時、「被曝推計システムを公開しなかった経緯を記した資料」を情報公開請求していますが、本書を読む限り、明らかに秘密会の存在を知る情報源がいるようでした。どうやってたどり着いたのですか。

日野 そこはかなりセンシティブなところがあるので(苦笑)……まずは関係者に総当たりをしたんですよ。国の役人、研究機関、福島県も。当たっていく時に、相手が最初からディフェンシブな姿勢の人だというケースと、そうじゃないケースがあると思うんですけど、情報源になった人はある理由からディフェンシブにならずに話してくれる人ではないかと想像しました。

日野行介さん

しかし正面からアポイントを入れると、広報の担当者などが出てきて同席してしまうかも知れない。そうすると、正直に話してもらえない恐れもある。それでネットで行動を調べていたら、その人がある場所に3日後に行くことが分かったので、そこに行って直接面会しようと考えました。用事を済ませて出てきたところを捕まえて「あの調査のことなんですけど」と尋ねると、「凄いね、どうしてそんなこと知っているんだい」と。そこで連絡先ももらった。その後はしょっちゅう連絡する関係になれた。いわば記者にとっては「金鉱脈」だったのです。

熊田 それで取材に確信が持てたと。

日野 教えてくれた人の問題意識はありがたかったですね。もう最初から、「あれはどうやって被曝の証拠を消すか、被曝を無かったことにするかということを話し合っているんだ」とバチッと言ってくれたので。

熊田 「総当たり」の取材をしたら、「毎日の日野記者には会わないように」というおふれが出て、ブロックされて会いづらくなるような気もしますが。

日野 その施策がどういう施策かによると思うんです。この県民健康調査は典型例で、国民や県民にオープンにやってますよと透明性をアピールしているから、取材を受けざるを得ない。検討委の座長だった福島県立医大の山下俊一副学長も当初、線量ネット調査がお蔵入りした事実の確認をするためにインタビューを申し込んだところ、すぐに受けてくれました。

熊田 日野さんが書いている「温情的スローガン」を表看板にしているケースならば、ということですね。

「意思決定過程を丸ごと暴く」ことができれば真実が見える

熊田 ただ、「調査報道記者」としては、もっと他にもたくさんのテーマがある。そもそも原発取材ひとつをとっても、原発そのもののメカニズムの問題とか、事故の根本原因や安全対策の問題とか、そういうことを調べている記者が主流です。そちらの方向には行かず、行政の意思決定の過程にフォーカスを当てたのはなぜでしょう。

日野 意識し始めたのは二つ目の取材ぐらいからです。原発事故の被災者政策は典型例なんですけど、表で言っている「温情的スローガン」的なことが全く信じられない。復興の加速化とは避難の打ち切りなわけで、 表で言っていることは額面通り受け取れないのはもちろん、真逆だという実態が見えてくる。

ただ、情報源からその政策の本当の意味を聞けたとしても、誰かの証言だけでそのことを表現するのはたぶん無理だろうと考えました。原発事故の被災者政策は帰還政策と言われていますが、旧知の官僚から「国が考えていることが何か分かりますか?帰るかどうかは本当はどうでもいい。単に早く手を引きたいだけなんですよ」という話を聞くわけです。でもそう話す官僚がいると書いたところで伝わらないし、立証もできない。

ではどうやったら立証できるのだろうかと考えてたどり着いたのが、意思決定過程を丸ごと暴くという方法です。誰がどういう会議をして、どういう思惑でどういう発言で政策を組み立てたのか。丸ごと暴かないと、この政策が本当はどういう政策なのかと定義づけることができません。政策は普段は結論だけ公表されるので、ぼんやりとしか見えない過程を可視化するためには、やっぱり非公開の「会議」と「調査」を取材すべきだと。それをやって初めて、これはこういう政策なんだと自分なりに確信とか証拠を持って言えるんじゃないかと考え始めたのです。

「答え」を持っているのに情報公開を請求する理由とは

熊田 意思決定過程を丸ごと暴くために日野さんが使っている手法の柱が情報公開請求です。ただ、最初の県民健康管理調査の時もそうでしたが、いわば「答え」を既に持ってるのに、あえて情報公開かけているのが日野さんの独特のスタイル。情報公開請求で答えを探そうとする通常の記者とは逆の使い方です。例えば原子力規制委員会の更田委員長の発言が事実と違うと指摘した報道の際には、実はすでに録音を入手しているのに、敢えて先方がどう答えるか、何を出してくるのかを見ている。これは見方を変えればちょっと意地悪なやり方というか、彼らの隠蔽(いんぺい)やミスを誘発してしまうやり方にもなりかねない。敢えてそういうやり方をしているのはどうしてなのでしょうか。

日野 そのケースで言うと、更田さん個人を批判したいわけではなく、規制委員会という組織が原発事故の教訓から、透明性ということを前面に掲げる組織になった。しかしどうもそうではないようだと。だからその姿勢が本当なのか、組織が生まれ変わったのかということを問うのが大きな目的でした。そもそも情報公開というものは、本来なら公開すべき情報を、公開するか非公開にするかを相手にオフィシャルな形で判断させることでもあるので、透明性を問うためには一番手っ取り早いし、正攻法だと思います。

もう一つは、役所が隠している範囲、隠したいものを特定したいからです。非公表の資料を入手しても、だからといってそれがすなわち役所が隠したい資料だということはできません。彼らが何を不都合だと思い、どこを隠そうとしているのか、その思惑を確認したいという意図もあります。

さらに請求するタイミングのことはいつも考えていて、取材をしっかり固めていないうちに請求すると、むしろ証拠隠滅を招いてしまうので気をつけています。

熊田 そうした日野さんの手法の最大の功績というのは、役所側が、「この情報公開をしてきた記者は答えを持っているかもしれない」と思うようになったことですよね。だから出さないと言ったら問題になるし、逆に改竄(かいざん)したものを出したらそれこそ問題になってしまうから、もう出さざるを得ない。そういう状況を作った。だから役所側はみんな疑心暗鬼で「どこまで持っているんですか」と聞き返しているわけです。日野さんの10年の仕事はそういう意味でジャーナリストの世界に貢献しているのではないかとも思っています。

日野 実はそれを途中から意識し始めて、結構なプレッシャーになりました。被災者の住宅問題を扱っていたころは、結構、野放図に情報公開請求をしていたんです。でもやっぱり国ってレベル高いんですよね。除染の問題で環境省とやり取りする中で、結構、高度な神経戦があって、下手な情報公開請求をすると相手に足元を見られるなとだんだん意識するようになって、この5年ほどは自分にプレッシャーをかけていたところがあります。

でもやっぱり成果はあるんですよ。一番すごいなと思ったのが『除染と国家』(集英社新書)の時に、事実上の秘密会であるワーキンググループのことを書いて。ワーキンググループの存在そのものを問題にしたのではなく、「除染で出た汚染土を巡り、環境省の検討会が再利用の方針を決めた際、法定の安全基準まで放射能濃度が減るのに170年かかるとの試算を非公開会合で示されながら、長期管理の可否判断を先送りしていたことが分かった」ということを報じました。するとワーキンググループの存在にみんな着目し出して、全国からワーキンググループでの議事録がないかなど情報公開請求が殺到したらしいんですよ。その結果、環境省が皆さんに開示すると同時にホームページに公表しますよ言い出した。

しかし公表された議事録がどうもおかしい。どうやら一部の発言を削っているようで、しかもこの削り方はどう考えても元になる録音でもなければできない。そこで事務局の担当者への直通番号が入手した資料に出ていたので、思い切って電話してみたところ、「あ、録音ありますよ」と。18時間分の音声データが開示されて、非公開会合の中で環境省の幹部が、削られた発言を「議事録に残すな」と指示していた。なぜこんな録音が開示されたかといえば、おそらくこっちが持っているだろうと思ったからだろうと。やはり持ってるものを請求することも、効果があるんだと感じたケースでした。

同じ山を違うルートで何度も登るような取材

熊田 日野さんの仕事を俯瞰すると、要するに原発を対象にしながらその是非を問うという取材ではなく、それ以前の問題として、行政が人々の今後の生活に関わるような政策を決定する際に、いかに都合よくやってしまっているのかを実証しようという報道だと思いました。健康調査だろうが、避難計画だろうが、それぞれテーマは違っても、本の中に出てくる言葉を借りれば「いかに冷酷にやっているのか」という指摘を繰り返しているのだなと。

日野 おっしゃる通りです。同じ山を何回も違う登山道で登っている。だから登山して頂上に行ったら、全く同じ光景なんですよ。なんか小役人的な「凡庸な悪」(ハンナ・アーレント)みたいなものが浮かび上がってくる。原発が怪物的存在であるからこそ、そういうものが出てくる。人間の弱さでもあると思うんですけど。

熊田 一つ一つの言葉の選び方が激烈なのでそこに目が行ってしまいますが、重要なのは一人称ですごく細かくその時々のことを書いていること。それによって読者が追体験して再現できて、資料などを検証できるというスタイル。ただしディティールを書くとどうなるかというと、取材先が切羽詰まって怒り始めて、ひたすら日野さんを怒鳴っているようなやりとりの描写が出てくる。そういう場面って普通はそこまで細かく書かない。記事の本筋とは関係ないし、惻隠(そくいん)の情のようなものもあって、そのシーンは割愛するか、書いても職員の名前までは書かないことが多い。しかしばっちり実名で書いていて、先方の理屈がいかに陳腐かが見えてきて、それを容赦なく表現している。

日野 いじめている感覚はなくて、そういう役所の対応や発言を全部通して見た時に、その「凡庸な悪」のようなものが伝わると思うんですよね。

よく「日野さんの怒りって凄いですよね」と言われるんですけど、他人が思っているほど「怒り」の感情はないんですよ。寧ろ空っぽ。ただものすごく「冷酷」な政策が進んでいるんじゃないかと思うことがあって、相手が隠蔽、改竄なんでもありな抵抗をしてくると、そのことを躊躇(ちゅうちょ)なく書きます。僕自身はすごく空気も読めないし読まない。サラリーマンとか組織になじめないと思っているから、逆にそういう指摘を相手に同情することなく割り切って書けるところがあるんじゃないかなと思っています。だから結果的に見ると、嚙みついているような印象になっているのではないかと。

情報源がいなくても報道はできる

熊田 ところで私も調査報道にオープンデータを活用することを勧めていますが、一方で情報源を作らなくて済む取材はない、楽な調査報道は絶対にないということも強調しています。日野さんも基本は情報公開請求を柱にしながら、どの報道一つをとっても情報源がいなかったら成立しなかったのではないですか。

日野 いやそうでもないです。両方のパターンがありますよ。ただ結果的にやることは同じなんです。

熊田 情報源がないパターンだと、最後の最後を詰めるのが難しくありませんか。

日野 ただ意思決定過程を丸ごと手に入れていく取材だと、どこかで秘密情報に当たることがあります。例えば被災者の住宅問題や避難計画の取材などでは、矛盾する数字を集めて行ったらどんどん行政側の綻びが見えてきました。

「黒塗り」はどう乗り越えるのか

熊田 情報公開請求を利用する多くの記者たちが文句を言っているのが、開示された文書が全部黒塗りで「のり弁」状態になって出てくることです。これでは情報公開制度の意味がないと。そもそも最近では議事録を作りさえしないこともあります。年々酷くなっていますが、日野さんの報道を見ていると、そのあたりを易々と乗り越えているようにも見えます。何かアドバイスはありますか。

日野 それは本のあとがきでも書いているように「狂気と執念」しかないんですよ。住宅問題の取材の時に黒塗りが大量に出てきたのですが、とにかく不服だとして審査請求を繰り返しました。それで出てきたものもあります。これは徹底的に戦うしかないんですよ。

戦うために「これは本来公開すべき情報である」というのを、自分の中で確信を持てるよう取材を尽くすしかないわけです。諦めたら終わりです。諦めないでやり続けられるのが「狂気と執念」ということ。

そして大きな問題って、だいたい一つの組織の中で全部処理し切れてなくて、複数の組織が関係してくる。その都度、ある組織が提案したものが別の組織によって潰されたりするのは往々にしてあることです。一方が出さなくても潰されている方の組織に情報公開請求をかけてみれば打開できることもあります。

きっかけは「敦賀シンドローム」

日野 そもそも僕は駆け出しのころは滋賀県の大津支局で事件記者をやり、警察(サツ)回りも好きでした。でも「逮捕へ」はあまり抜きたい(注:いち早くスクープすること)とは思わなくて、「実はこういうことだった」みたいな事件の裏側のようなことに興味がありました。

熊田 2011年に原発事故が起きた時には、大阪社会部で司法担当をしていたということですが、この世界ではいわば「花形」のポジションですよね。

日野 担当の頃には和歌山県知事が談合事件で逮捕されるなど大事件もあり、すごく面白かったのですが、ただ僕はどこかで、事件記者は自分が一生をかけてやる仕事じゃないと思ってしまった。特に大阪での司法記者は、冒頭陳述の一言一言を裁判が始まる前に抜き合っているような仕事。自分の目線、自分の問題意識で 一つのテーマを捉えるという取材とは違っていて、そこが馴染み切れない感じがしました。そして一番の原因は「敦賀シンドローム」です。

これは、毎日新聞社で福井県の敦賀市での駐在を経験した記者が共通して口にしている言葉です。僕も大阪に行く前、初任地の大津から異動して25歳から28歳までの3年間、敦賀駐在でした。ひとたび原発と向き合う仕事をしてしまうと、抜け出せなくなる。原発をめぐる大きな嘘は、民主主義を破壊してしまう。それは原発取材じゃないとなかなか見られないよなと。

熊田 今のは重要なポイントですね。原発がある敦賀だから、原発を取材するのではなく、今の日本の民主主義の仕組みを解明するには原発から入るのがいいと思ったということですか。

日野 民主主義の骨組みみたいなものが敦賀で見えました。担当している時に美浜発電所3号機の大きな事故もありましたが、それよりも印象に残っているのは、敦賀発電所で最新のPWR(加圧水型軽水炉)である3、4号機の増設計画が持ち上がって、地元自治体から了解された時期だったことです。

日本原子力発電株式会社のホームページより

その裏で、地元の自治体に「匿名寄付」が大量にばら撒かれて、それを一つ一つ洗い出して暴いていったのが調査報道の原点になりました。何々町に8億円とか、何々漁連に18億円とか、次々と出てきた。

熊田 どんな資料やテクニックを使って調べたのですか。

日野 今思うと取材が粗いなとは思うのですが、例えば河野村(現在の南越前町)の場合だと、その地域の漁協のボスから、「いやうちは4億もらったんだけど、河野村はもっともらっているんだ」という話が聞けました。 それで予算書とか村の広報とかを見てたら、収入の円グラフの1/3ぐらいが空白になっているんですよ。どこからの収入か全く書かれていない。あ、これだと思いました。当時の河野村なんて誰も記者は行かない。そこで村長に夜回りをかけたら「お前どうせ原電(日本原子力発電株式会社)の話で来たんだろう」と。「これ寄付ですよね。2年間で12億ですよね。使い道は観光船3隻ですよね」と尋ねると、「そんなに分かっているなら俺に聞くな」と。

敦賀市の場合だと、辞めた元の担当者の天下り先に通い詰めて、この道路って原電の寄付が財源ですよねとか、この病院もそうですねとか、毎日毎日一つずつ聞いていくみたいな取材をしていました。

そんなお金で病院や駅を建てて、地方自治ってどうなってしまうんだろうと。なんのために電力会社はこんなに金を出すのだろうと考え続けていました。やはり今に至る原点かもしれないですね。

事件というのは、結局は個人の私利私欲の問題に帰結します。それよりも世界そのものが歪んでいる原発の方が僕は面白い。社会の構造みたいなものを 突き詰めて調べるのであれば、そちらの選択肢しかありませんでした。

地方の若手だからこそ調査報道を

熊田 日野さんの場合は、折々に「お前は調査報道に向いてる」と理解ある上司がいたからこそ、調査報道ができたと聞きました。一方で、やはりそこまでの狂気と執念で完遂するには時間も手間もかかると思います。地方の若手記者からは、「調査報道を手掛けるための時間がない」という声もよく聞きますが、どう思いますか。

日野 組織にどこまで許容度があるかも大きいですが、少なくともいきなり調査報道をやろうと思っても、それまでやってこなかった人にはできません。記者1年生、2年生の時から、小さくてもいいから自分の独自の視点で調べて書くことを実践として繰り返しておく必要があります。

逆に地方こそ、調査報道の生き残る余地があると思います。採用後、まずは地方の支社や支局に配属する大手メディアのシステムは、僕はいいと思っています。警察回りをやりながらだって絶対に調査報道はできる。なぜなら、どんな社でも若い時というのは、暴れることをある程度許容される時期なんですから。そこで暴れなかったら、いつ暴れるのかということです。

熊田 そして日野記者は20年間、暴れ続けてしまったと(笑)。フリーになって、今後はどんな活動をしていきますか。

日野 個々人の生き方に焦点を当てられるノンフィクションのようなものに取り組みたいですね。この本も金太郎飴のような役人が出てくるばかりで、「人間の気持ち」みたいなものは書き込んでいません。「小役人」になり切れなかった人、なり切れないからこそ面従腹背で生きてきた人の姿から、「冷酷な国策」が見えるような記事をものにしたいです。


日野行介

1975年生まれ。九州大学法学部卒。毎日新聞社入社後、大津支局、福井支局敦賀駐在、大阪社会部を経て東京社会部、特別報道部。大阪社会部では司法担当が長く、和歌山県談合・汚職事件、泉南アスベスト訴訟、郵便不正事件などを取材。敦賀駐在や東京社会部、特別報道部では原発を中心に取材した。2022年4月から毎日新聞社を辞めてフリーに。著書に『福島原発事故 県民健康管理調査の闇』『福島原発事故 被災者支援政策の欺瞞』(岩波新書)、『原発棄民 フクシマ5年後の真実』(毎日新聞出版)、『フクシマ6年後 消されゆく被害――歪められたチェルノブイリ・データ』(共著、人文書院)、『除染と国家 21世紀最悪の公共事業』(集英社新書)