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年間50億円の巨費を投じる「子どもの健康と環境に関する全国調査」のデータがなぜか非公開…15年を経てようやく公開の動きが
健康影響を調べる大規模で画期的な「エコチル調査」
体のなかに取り込んだ化学物質による健康への影響を調べる全国調査が動き始めたのは、東日本大震災の前年だった。
「子どもの健康と環境に関する全国調査」。エコロジーとチルドレンをかけあわせ、「エコチル調査」と呼ばれる。
2010年3月に作成された基本計画は、「環境要因(化学物質の曝露、生活環境等)が子どもの成長・発達に与える影響を明らかにする」として、
<実際のヒトにおいてどのような影響があるのかを、実際のヒトの集団で観察する疫学的なアプローチが重要である>
と謳っている。
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動物とヒトでは種差があり、動物実験の結果をそのままヒトに当てはめることは難しい。そのため、全国15地域の母子10万組を対象に、胎児のときからこどもの成長を追跡して、どんな化学物質がどのような影響を与えているかを調べようというものだ。
エコチル調査は当初、こどもが13歳になる2023年までとされていたが、より長期的な観察の必要性が認められ、18歳になるまで延長された。今後、こどもが40歳になる2050年までつづける方向で検討されている。
「国家プロジェクトなので全ての人に公開」が原則だったが…
世界的にも画期的な取り組みのなかで、課題のひとつが「調査から得られたデータの利用・解析」だった。基本計画には、こう書かれている。
<本調査は、国家プロジェクトであることから、得られたデータは原則として全ての者に対して公開される。データが活用され、科学の進歩ならびに環境健康施策の推進に資することが期待される>
しかし、宣言とは裏腹に、データの公開は進まなかった。
この間、内部でどのように検討されてきたのか。国立環境研究所に開示請求すると、「運営委員会」「曝露評価委員会」「コアセンター会議」などの議事録が開示されたものの、大半が黒塗りにされ、ごく一部を除いて議題さえ明らかにされなかった。
第三者が調査の実施状況をチェックする企画評価委員会では再三、公開すべきとの声が上がっていたが、公開をめぐる内部の議論が明らかにされることはなかった。
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さまざまなデータのひとつに、PFASの血中濃度がある。全国で目立った汚染のない地域で暮らす10万人の母親たちが、体のなかにどれくらい取り込んでいたのか。世間の関心は高いものの、公表されていない。
「すべてのデータを活用できるよう」先んじて公開した東北メディカル・メガバンク機構
「データ公開によって研究成果を社会に還元するのが世界の潮流です」
そう話すのは、エコチル調査に先んじてデータ公開に踏み切った「東北メディカル・メガバンク機構」(以下、東北MM)で広報を担当する長神風二・東北大学教授だ。
東日本大震災直後の2012年、東北大学医学部の関係者が、震災による健康影響を長期的に追跡しようと立ち上げた。宮城県と岩手県に住む15万人の血液と遺伝子(ゲノム)情報をかかえる。このうち7万人は、祖父母、父母、孫の3世代に及ぶものだ。
「原則すべてのデータを活用していただけるようにしています。希望される研究者の方に利用目的をうかがい、外部の専門家による審査会でOKが出れば、使っていただけます」
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モデルにしたのは、2000年代後半に設立されたUKバイオバンクだという。みずからはデータを集めて整理することに注力し、世界中の希望者にデータを提供している。いわば、データ提供そのものを存在意義にしているのだという。
東北MMの調査では、参加者たちが調査の意義をよく認識している、と長神教授は指摘する。
「参加者たちは採血に応じるだけでなく、アンケート調査に継続的に協力するなど、負担は小さくはありません。それでも協力をつづけるのは、自分のデータを知ることで疾病予防に役立てられるという個人的なメリットだけではありません。『最終的に、なんらかの形で世界の人たちの役に立つのなら』と言ってくれる方が少なくないのです」
PFAS関連で公表された研究成果はわずか4件
データは使われてこそ生きる。
世界保健機関(WHO)のもとにある「国際がん研究機構(IARC)」は2023年、PFOAについて「ヒトに対して発がん性がある」との評価を発表した。このとき、疫学研究グループで検討に加わった、国立がん研究センターの岩崎基医師は、欧米と比べて日本の疫学調査の少なさが際立っていた、という。
「日本人は、どれだけ摂取するとがんのリスクがあるのか。それを探るためにも、国内での疫学調査を充実させる必要があると思います」
データの公表以前に、そもそもの調査が十分に行われていないという。
どんな化学物質をどれだけ体内に取り込んでいるのかを調べる、環境省の「化学物質のヒトへのばく露モニタリング調査」はこれまで80〜100人ほど(全国3地域)に限られていた。2025年度から対象を50地域の1000人に広げるものの、現時点では国民の平均的な曝露量を把握できていない。
冒頭に記したように、エコチル調査は、化学物質の曝露などがこどもの成長・発達に与える影響を明らかにするために始まった。
PFASによる影響については、対象となる2万5千人の母親からの採血は2017年に終え、2021年に統計的な処理も終えてデータは確定している。にもかかわらず、これまでに公表された研究成果は4件にとどまる。
そのうちの1件で「染色体異常」との関連が示唆されたものの、大規模プロジェクトの成果は一部しか明らかになっていない。
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開始から15年でようやくデータ公開へ
開始から15年。年間50億円が注ぎ込まれ、世界的にも希少な国家プロジェクトの公開度と貢献度が問われるなか、事務局を担う国立環境研究所はようやく、データ公開に向けて動き出した。
2023年に、情報公開のためのシステム構築に取りかかり、来年度から本格的な公開に踏み切るという。山崎新・エコチル調査コアセンターはこう話す。
「全国15地域にあるユニットセンターでは、調査の参加者に年2回聞き取りをするなど、スタッフの負担は小さくありません。また、司令塔となるコアセンターも人員が限られており、データ公開に手をつけられずにきました。これを機に、これまでに集めた貴重なデータを社会に還元し、多くの方に活用していただければと思います」
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今後、民間を含めた研究機関につとめる研究者などを対象に、測定データと健康についてのデータをセットにして、個人情報に触れない形で有料で提供するという。
3月2日には、「エコチル調査」の成果を伝えるシンポジウムを大阪で開催する。
全国各地で汚染が確認されているPFAS。最新情報について、「諸永裕司のPFASウオッチ」で毎週お届けしています。
諸永裕司(もろなが・ゆうじ)
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1993年に朝日新聞社入社。 週刊朝日、AERA、社会部、特別報道部などに所属。2023年春に退社し、独立。著者に『葬られた夏 追跡・下山事件』(朝日文庫)『ふたつの嘘 沖縄密約1972-2010』(講談社)『消された水汚染』(平凡社)。共編著に『筑紫哲也』(週刊朝日MOOK)、沢木耕太郎氏が02年日韓W杯を描いた『杯〈カップ〉』(朝日新聞社)では編集を担当。アフガニスタン戦争、イラク戦争、安楽死など海外取材も。
(ご意見・情報提供はこちらまで pfas.moro2022@gmail.com)