【スクープ静岡発】化学工場の下請け作業員は「PFOAに殺された」のか…夫の死を目の当たりした妻の苦悩【デュポン・ファイル第5部①】
国際機関から発がん性を指摘されている有機フッ素化合物、PFAS(ピーファス)。ジャーナリストの諸永裕司氏は、静岡市の化学メーカー、三井・ケマーズフロロプロダクツ(当時は三井・デュポンフロロケミカル)の工場での汚染の実態を明らかにする大量の極秘データを入手し、4月にSlowNewsでスクープとして15回にわたり報じました。
果たして汚染による被害は出ていないのか。それから半年、諸永氏は工場内でPFASの一種、PFOAを取り扱っていた、孫請けの「協力会社」の家族や工場関係者との接触についに成功。すると、次々とがんで亡くなっている実態が判明しました。PFOAとの因果関係はないのか。「デュポン・ファイル第5部 下請け作業員編」として、家族の証言や残された記録の内容を4回にわたって集中連載します。
フリーランス 諸永裕司
肺がんで逝った58歳の夫
玄関わきの六畳間に、黒縁の額がかかっている。
日付は令和3(2021)年1月27日。新型コロナウィルスのため、首都圏では何度目かの緊急事態宣言が出されていた。この直前、夫は、末期の肺がんで「ステージⅣ」と告げられた。手術はできず、完治もしないという。
夫は、フッ素樹脂を製造するプラントでの作業を請け負う協力会社に勤め、静岡市にある三井・ケマーズフロロプロダクツ(MCF)清水工場で40年近く働いていた。
額に入れた文章は、この9年ほど前に、創業者の父から社長を引き継いだときに記したものだ。残された時間に限りがあると知り、末尾の「粋に戦う」を「粋に逝く」と書き換えたのだった。
振り返れば、昔気質というか、気障なようにも思えるが、夫は言葉どおりに生きたと思う。
突然のがん告知から1年3ヶ月。2022年春、昔から愛でていた庭の芝桜が咲く前に、夫は急ぎ足で逝ってしまった。58歳だった。
孫請けである夫の仕事は、化学工場でPFOAを扱う作業
残された書類の中に、色褪せた作業請負契約書があった。1985年9月1日付で、社長だった夫の父が三井・デュポンフロロケミカル(当時)の1次下請け会社と結んだものだ。つまり、この会社は孫請けにあたる。
契約内容は「製品の充てん・容器及び包装の検査整備作業」と記されているが、鉛筆で矢印が引かれ、そのさきにこうあった。
<フッ素樹脂塗料の製造及研究開発作業>
書類の束を繰ると、契約は1年ごとに更新されていた。2013年にかわした覚書には、業務内容が具体的に記されていた。
フッ素樹脂塗料の製造 製造三課(XP-1プラント)
フィルドPFAの中間原料製造 製造三課(多目的プラント)
マイクロパウダー凝集工程 製造三課(MPプラント)
原粉倉庫の物流作業 製造二課(原粉倉庫)
樹脂製品の入出庫作業、他 物流グループ(樹脂倉庫)
充填場業務に係る作業 物流グループ(充填場)
ただ、詳しい仕事の中身まで聞いたことはない。
工場関係者によると、XP-1プラントや多目的プラントの工程ではPFOAが使われていた。また、メーカーによってフッ素樹脂製品の配合や色調などが異なるため、製品ごとにタンクの洗浄などを清掃する作業も含まれていたという。
「XP-1では、フッ素樹脂を含んだ塗料を製造していました。また、多目的プラントではローディスと呼ばれる牛乳状の原料を混ぜて、その後、チーズ状になったものを乾燥させる。その際、舞い上がる粉を吸い込む恐れが大きいのです」(工場関係者)
健康オタクの夫ががんに。実は父も、夫の上司までも……
夫は還暦が近いというのに筋トレを欠かさず、腕立て伏せを100回するほど鍛えていた。毎朝4時前には起きて愛犬と散歩し、体重は小数点第2位まで気にかけるほど健康に気を遣っていた。それなのに、がんになった。
「やっぱり化学薬品使ってたから」
夫に語りかけると、即座に遮られた。
「そんなことを口にしちゃいけない。従業員が残ってるんだ」
でも、なぜ死ななければならなかったのか。やはり、工場と関係があるのではないか。