「ハザードランプを探して」第3回
取材・執筆:藤田和恵、フロントラインプレス
雇用崩壊の末
新宿駅西口の喫煙所、池袋駅周辺のネットカフェ、上野駅近くの百貨店・上野マルイの前付近——。「新型コロナ災害緊急アクション」へのSOSはなぜか夕方以降、そうした東京都内の主要駅周辺から発せられることが多い。
事務局長の瀬戸大作さんはSOSを受けると、車で現地に向かう。約束した場所に到着すると、車を止めてハザードランプをつける。先方には車の色とナンバーを伝えてある。相手の携帯が料金未納で止められている場合、通話ができない。だから、行き交う人たちの中にこちらを探している人がいないか、瀬戸さんも、同行取材をしている私も目を凝らす。相談者は40代以下、どちらかというと若い世代が多い。
ある時、瀬戸さんが相談者に手渡すための乾パンやミカンといった緊急の食料を袋に詰めながら「リーマンショックの時とは全然違うね」と言った。2008年のリーマンショック時、仕事を失って困窮したのは、ほとんどが中高年以上の人たちだったという。東京・日比谷公園に設けられた「年越し派遣村」で、大勢の中高年者が炊き出しに列をつくった光景を私もよく覚えている。
そんなリーマンショック当時とは異なり、コロナ禍におけるSOSでは年齢層が明らかに下がっているという。彼らの多くは収入も住まいも失い、所持金もほぼゼロという状態でやってくる。ただし、ホームレス状態にあるようにも見えない。貧困とは無縁だと思っていた人が一瞬にしてすべてを失う――。彼らの一見整った身なりからはそんな危うさもうかがえた。
瀬戸さんは「コロナ禍はきっかけに過ぎません」と言う。
「若い人たちはコロナの前から寮付き派遣や日雇いのアルバイトとかをして、ネットカフェ暮らし、あるいは家賃を払うのもぎりぎりの暮らしをしていたんです。それがコロナで一気に底が抜けただけ。コロナになって若い世代の困窮者が多くなってきたのは、もともと彼らが不安定な働かされ方を強いられていたからです」
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2020年11月の半ば。この日、東京・池袋から届いた20代の男性のSOSも壮絶だった。
「神奈川のほうから仕事を探しながら歩いてきました。基本、野宿です。面接の前の日だけ漫画喫茶でシャワーを借りて身だしなみを整えるという生活をしてきました。でも、住所不定、携帯もないのでどこも雇ってくれず、所持金が尽きてしまいました。履歴書や証明写真を買うお金もなくなりました。もう1週間、何も食べず、水道の水だけの生活が続いています。どうか助けてください……」
男性は山谷順平さん(仮名)。携帯はすでに止まっているが、池袋のコンビニ前のフリーWi-Fiを使ってメールを送っているという。瀬戸さんと落ち合ったとき、所持品は現金328円とテレフォンカードしかなかった。衣類などを入れていた鞄は1カ月ほど前、公園のベンチで仮眠していた間に盗まれたという。スニーカーの底はすり減り、10円玉大の穴が開いていた。
山谷さんは高校を卒業後、大手自動車や機械器具メーカーの工場の派遣労働者として働いた。住まいは派遣会社が用意した寮。いわゆる「寮付き派遣」である。雇い止めなどにより派遣先は半年から数年で変わった。月収は残業の有無によって違ったが、だいたい手取りで20万円。寮費などを引かれると、貯金をする余裕はなかった。
2019年夏、知人から「居酒屋の店長をやってみないか」と声を掛けられ、“転職”した。その店は、コロナの感染拡大のあおりを受け、あっけなく閉店。住み込み店長だった山谷さんは収入と住まいを同時に失った。両親とは折り合いが悪く、音信不通状態だったが、まだ世帯分離の手続きを済ませていなかった。このため、10万円の特別定額給付金は受け取り損ねたという。個人事業主に給付された持続化給付金については「そういうものがあることを知らなかった」と言う。
「しばらくは日雇い派遣や日払いの仕事で食いつないで、ネカフェに泊まっていました。でも、(このSOSを出す)1カ月半ほど前、完全に路上生活になって……。東京のほうが仕事があるんじゃないかと思って、(神奈川県西部から)歩いて移動しながら、藤沢や戸塚、横浜などの街につくたびにフリーWi-Fiを使って仕事を探しました。パチンコ店で配っている無料の飴をもらって飢えをしのいだこともありました」
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一連の同行取材では、山谷さんと同じ「寮付き派遣」で働いていたという人に多く出会った。
寮付き派遣は2004年の改正労働者派遣法によって解禁された製造業派遣の現場に多く見られる。企業側にとっては雇用の調整弁だが、働き手にとっては仕事と住まいを同時に失いかねないリスクがある。また、寮費が地域の不動産相場に比べて割高だったり、退去時に法外な清掃費を請求してきたりする派遣会社もあるという。
長年、寮付き派遣で働いてきた人の中には「生かさず、殺さずのところでうまく搾取される仕組みになっている。でも、“コロナ切り”のようなことさえなければ仕事はあるので、ついずるずると続けてしまう」と話す人もいた。
寮付き派遣以上に不安定なのが、山谷さんが住み込み店長をクビになった後に就いていたという「日雇い派遣」だ。実は日雇い派遣は究極の細切れ雇用であるという理由で、2012年に原則禁止されている。しかし、私が現場で取材する限り、自身の仕事を「日雇い派遣」「スポット派遣」と答える人は少なくなかった。せっかくの法律が機能していないということだ。
この夜、池袋で瀬戸さんと会った日、山谷さんは寄付金で運営されている「緊急ささえあい基金」から数日分の宿泊費と食費の給付を受けた。同時に、生活保護の申請を決めた。
瀬戸さんと別れた後、山谷さんはコンビニでおにぎり3つと、サンドイッチ2つを買ったという。何日ぶりの食事だろうか。しかし、いざ口にしようとすると、「なぜかツナのおにぎり1個しか食べられなかったんですよ」と山谷さん。人間、何日も固形物を口にしていないと、うまく飲み込むことができなくなることを、山谷さんは人生で初めて知った。
厚生労働省は2021年1月、新型コロナウイルス感染拡大の影響による解雇・雇い止めの人数が累計で8万人を超えたと発表した。しかし、SOSを発する人たちの中にはこの統計に含まれていないと思われるケースもある。「名ばかり個人事業主」と呼ばれる働き手たちだ。
寒さが一段と厳しくなった2020年11月なかば、新宿・歌舞伎町の外れ。路地裏のビジネスホテル街とあって、人通りはほとんどない。
SOSで出動した瀬戸さんの車に、1人の男性が乗り込んできた。後部座席である。40代だという。瀬戸さんが振り向いて声を掛けた。
「この前より顔色、悪くないですか? 大丈夫? 血圧の薬、ちゃんと飲んでる? やっぱり生活保護を利用して生活を立て直したほうがいいんじゃないかな」
この男性、吉野義孝さん(仮名)がSOSを出すのは2度目のようだ。建設現場の一人親方で、夏以降はお金がある日はネットカフェで、お金がない日は路上で生活しているらしい。高血圧の持病があると言い、薄暗い車内でも顔がむくんでいるのが分かる。
吉野さんは「体のことまで心配していただき、ありがとうございます」と丁寧に言葉を返した。そして、最近は働いても報酬の6割が未払いであること、そのせいで病院に行けず、手持ちの降圧剤がなくなったこと、血圧を計ったら180近くあったことなどをぽつぽつと打ち明けていく。
長年、電線の保守点検を行うNTTの関連子会社で現場作業員を指揮監督する「職長」として働いてきた。社員の身分ではなく一人親方として、である。しかし、数年前、作業中にくも膜下出血を発症し、高血圧のリスクを抱えるようになったことで仕事を失った。個人事業主という理由で労災や傷病手当金、失業保険といった保障は皆無だったという。
その後も工事現場で働いたが、1日当たりの報酬は5000円ほどにまで下がった。そこに追い打ちをかけたのがコロナウイルスの感染拡大である。仕事が減っただけでなく、報酬を支払われない現場も出てきた。大手ゼネコンの下請けであっても、下請けから孫請け、さらにその下に行けば行くほど工事料金の支払いが滞っている。そうした現実は、現場経験の長い吉野さんも分かってはいたという。
「『金を払ってくれ』『うちも資金繰りに困っているんだ』という不毛なやり取りを何度したか、わかりません。そのまま連絡が取れなくなってしまう雇い主もいて……。気が付いたらホームレスでした。まさか自分が路上生活をすることになるとは、思ってもいませんでした」
一人親方と言えば聞こえはいいが、多くは一般の作業員のことだ。企業にとって社会保障費の負担もなく、いつでもクビにできることなどから、使い勝手がいい。だが、会社の指揮命令下にある作業員を個人事業主として働かせることは、法的には許されない。
吉野さんの場合は、職長時代から作業場所も勤務時間も指定されていた。中にはタイムカードが設置されていた現場もあった。実態は、「一人親方=個人事業主」などではなく、雇用契約を結ぶべき「労働者」である。吉野さんは「現場は自分と同じような一人親方ばかりでした。中でも家族持ちは大変です。未払い分を取り戻そうと、昼も夜もなく働いていて……。ぼくよりずっと悲惨でした」と話した。
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建設現場の一人親方だけではない。ここ数年、「名ばかり個人事業主」の拡大はすさまじいものがあるようだ。チラシ配りの仕事に就くある女性は「アルバイトだと思ったら、個人事業主でした。出来高制なので、時給換算すると最低賃金を下回ってしまうんです」と憤った。スーパーで試食販売の仕事をしていた別の女性は「派遣だと思ったら、個人事業主。その仕事もコロナでなくなったけど、個人事業主なので休業手当ももらえません」と言う。
ネット上の求人情報からも、現状が透けて見える。調理員や医療補助スタッフ、不動産の営業スタッフなど、勤務時間も場所も決まっているのに、契約形態が「個人事業主」となっているケースがたくさんあるのだ。コロナ禍で急増したウーバーイーツ配達員も個人事業主である。働く時間を自由に選べるという点では、確かに労働基準法上の労働者とは違う。ただ、報酬などの条件ついて会社側と対等な交渉をする機会もない働き手を従来の個人事業主と同じ枠組みで処遇してよいのだろうか。インターネットやスマホアプリを介した単発の「ギグワーカー」の増加に法の整備が追い付いていない。
非正規雇用労働者や個人事業主は一貫して国の雇用政策の下で増やされてきた。成長産業に人材を集め、競争力を高めたいという官民の狙いである。しかし、「名ばかり個人事業主」に象徴されるような不安定な働き方をさせるなら、それに見合ったセーフティネットがあって当然だ。コロナ禍という未曽有の事態とはいえ、そのたびに大勢が生活困窮者になったり、ホームレス状態になったりする働かせ方を「自由」「多様化」などの美名で語ってよいはずはない。
ただ、こうした矛盾に対する憤りは、必ずしもSOSの発信者と共有できるものではない。むしろ共感を得られないことのほうが多い。それが現実でもある。
では、彼ら、彼女らは自分たちの働き方をどう思っているのだろうか。
寮付き派遣で働き続け、最後は仕事を探して徒歩で神奈川県西部から東京・池袋にやってきた山谷さんは「寮付き派遣しか(選択肢が)ないんですよ。仕事があるだけありがたいです。高卒という学歴を考えたら、仕方ないかなとも思います」、一人親方の吉野さんは「おかしいとは思うけど、自分だけ文句を言ったら仕事をもらえなくなってしまう」とそれぞれ持論を述べた。
また、ある女性は日雇い派遣が禁止されていることについて「どうしてお金に困っている人を苦しめるような法改正をするのか。早く法律を元に戻してほしい」と訴えた。生活に困って日雇い派遣で働こうと思ったのに、法律で禁止されているという理由で紹介してもらえなかった経験があるのだという。
取材の中で私は、寮付き派遣はもともと期間工という直接雇用であったことや、ユニオンや労働組合に入って声を上げることは憲法で保障された権利だと説明したこともある。しかし、彼ら、彼女らの反応はいまひとつだった。
「それよりも――」とSOSの発信者たちは言うのだ。「私は1日も早く生活保護から抜けたいんです」「僕は1日も早く仕事を見つけたいんです」と。若い世代であればあるほど、こうした生真面目さを見せる。
ある福祉事務所に足を運んだとき、ハローワークの求人情報のファイルが置かれているのを見つけた。その多くは、「寮付き」「住込み可能」とうたう非正規雇用だった。不安定な寮付き派遣のせいで仕事と住まいを失った人たちに、またしても同じ仕事をしろという――。若者たちの不安と焦りに付け込むように、負の連鎖が止まらない。
つづく